宮岡礼子『曲がった空間の幾何学 現代の科学を支える非ユークリッド幾何とは』
曲がった空間の幾何学 現代の科学を支える非ユークリッド幾何とは (ブルーバックス)
- 作者: 宮岡礼子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/07/19
- メディア: 新書
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非ユークリッド幾何学についての一般向け解説書。「一般向け」とはいっても、その内容は大学教養レヴェルを超える。著者は、日本数学会幾何学賞を受賞したこともある数学者。低次元の、主に「閉じた」曲面に限定して解説するが、本書の半ばでは、いわば本書のクライマックスたるガウス・ボンネの定理、最後は微分形式や表現論まで行き着き、最後はポアンカレ予想と関係するサーストンの幾何化予想に軽く触れるという極めて野心的な内容。その過程では、双曲面幾何、ホップ予想、等質空間等、数学科の授業で聞いたような話が所々ちりばめられ、然は然り乍ら、それらが無味乾燥な概念として単に置かれているわけでもない。中高生であっても、意欲があれば十分読み込める*1。
最初の段階で、内積、位相から曲率、測地線まで一気呵成に解説し、一般読者の関心が高い(と思われる)多角形のオイラー数、種数についても丁寧に解説される。恐らく何より、内積と曲面の計量の関係が極めて明快である点が、本書の解り易さを決定付けている。もちろん専門書のように丁寧な証明を行うわけではないが、「本質」はしっかり押さえられる。専門書で証明を追いつつ路頭に迷いがちな数学専攻の学生にとっては、良き道案内者となってくれるかも知れない。小さな本ながら、極めてお得感がある。
真の失業率──2017年8月までのデータによる更新
完全失業率によって雇用情勢を判断する場合、不況時に就業意欲を喪失し労働市場から退出する者が発生することで完全失業率が低下し、雇用情勢の悪化を過小評価することがある。この効果(就業意欲喪失効果)を補正し、完全失業率とは異なる方法で推計した「真の失業率」を最新のデータを加えて更新した。
完全失業率(季節調整値)は2.8%と前月と同水準、真の失業率は2.5%と前月より0.1ポイント低下した。引き続き、真の失業率は減少基調である。現推計時点において、真の失業率は基準年*1である1992年より改善していることとなる。
所定内給与と消費者物価の相関に関する7月までの結果は以下のようになる。賃金、物価ともに概ね先月の水準と変わらない。物価は、グラフには反映していないが、8月に入り上昇率が拡大した。賃金は、今春闘結果を反映し緩やかに増加しており、加えてパート比率の低下が安定的に賃金を押し上げている*2。
大湾秀雄『日本の人事を科学する 因果推論に基づくデータ活用』
- 作者: 大湾秀雄
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2017/06/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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近年、エビデンスに基づく意思決定が重要視されるが、その一方、企業の保有する人事データは、これまで必ずしも十分に活用されてこなかった。本書の著者は、市場環境や人口動態の急激な変化を迎える中、効率的かつ事業継続性のある企業組織を作り上げていくため、人事データを活用することの有効性を訴える。
基礎的なデータ分析手法とともに、人事労務、賃金制度に関するオーソドックスな理論的見解もわかりやすく丁寧に解説される。さらにフリーの統計分析ソフトフェアについても触れられる*1など極めて実務的であり、人事データにアクセス可能な職員であれば、本書の解説をもとに直ぐにでも分析ができるだろう。加えてコア人材、中間管理職の重要性、AIによるネットワーク情報の活用など現在進行形の研究課題についても触れられており、エビデンス・ベースの分析手法は、企業の問題解決のみならず、人事労務、賃金制度等の分野での今後の研究動向を考える上で必須のものとなることが示唆される。
営業社員によるゲーム理論的な利得最大化行動が人事データによって露わになり制度変更につながる件、従業員満足度調査を通じてみえてくる人事評価制度のバイアスなど、個別の結果をみているだけでも面白い。
石原千秋『大学受験 のための小説講義』
- 作者: 石原千秋
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2002/10/01
- メディア: 新書
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- 同じ文章でも小説と評論では読み方が違う。評論は書いてあることが理解できれば読めたことになるが、小説は書いてないことを読まなくては読めたことにならない。
- 大学受験の小説では、「書いていないこと」が問われ「行間を読む」ことが求められる。これは「想像力」の仕事。センター試験の小説では、出題者と〈読みの枠組み〉がズレると、全問不正解の憂き目に会うことさえある。
- 「書いていないこと」は登場人物の「気持ち」。これにはリアリズム小説に関わる二つの理由がある。
- リアリズム小説は目に見えるものだけを「客観的」な「事実」として書く技法により成り立つが、「事実」が人生にとってどういう意味を持つのかは人の「気持ち」(内面、自我)が決める。「事実」が人生にとって持つ意味こそ「真実」。
- 小説の言葉はもともと断片的で隙間だらけ。読者は知らず知らずの間に言葉の隙間を埋めている。読者の解釈で言葉の隙間が埋め尽くされ、それ以上新しい読み方を生まなくなれば、それは小説の死。言葉の隙間が多く隠されている作品が古典の名に値する。
- 小説の中で、〈モノ〉 が何の意味も持たず存在することはあり得ない。必ず何らかの微妙なニュアンスを帯びて使われる。慶應義塾大学=卒業後旧財閥系大企業に就職するエリート、女性の扱いに慣れたスマートな学生等。
- 「気持ち」はそこにあるものではなく、「こう読みたい」という期待に沿って読んだ読者が作るもの。あらかじめそこにあるような錯覚を持つのは、「気持ち」を作る作業を読者が意識化していないため。小説は粘土のようなもので、読者はそこから好みの「物語」を読み取る。
- フランスの批評家ロラン・バルトによれば「物語は一つの文」。その基本形は二つあり、①「〜が〜をする物語」=主人公の行動を要約したものと、②「〜が〜になる物語」=主人公の変化を要約したもの。読者が読み取る「物語」 の違いによって、主人公さえ入れ替わることがある。「小説が読める人」とは、「物語」の働き に意識的な人。一つの小説から出題者と同じ「物語」を取り出せる人が、受験小説の「出来る人」。
- 受験小説では、小説の言葉と解答の言葉に本質的な違いがあるため、現実らしく見せた小説の表現を抽象的な言葉に「翻訳」しなければ解答が出来ない。抽象化とは、言葉から得たイメージを、二元論的な思考の枠組みによって、自分の所属している〈世界〉のどこかに位置付けること。そのためには〈世界〉が自分の手の中に入っていなければならず、抽象化とは、〈世界〉の全体像を手に入れることでもある。それは、「自分とはなにか」という問いに答えることでもあり、したがって抽象化する行為はアイデンティティの問題(自己同一性=自己と他者を区別する中で「自己とは何か」 を問う問題)をも引き寄せる。
- 学校空間の物語は家族のメタファー(比喩)として読む。先生と生徒の関係を「擬似的な父娘の物語」として読む等。フロイト的家族は「血」と「性」によって成り立ち、子が親と「同じ」になることを「成長」と位置付ける。
- 記号式の設問を解くための五つの法則は、以下の通り。これらの法則と消去法を組み合わせて解くのが、センター試験の小説の鉄則。
- 「気持ち」を問う設問には隠されたルール(学校空間では道徳的に正しいことが「正解」となる)が働きがち。
- そのように受験小説は「道徳的」で「健全な物語」を踏まえているから、それに対して否定的な表現が書き込まれた選択肢はダミーである可能性が高い。
- その結果、「正解」は曖昧模糊とした記述からなる選択肢であることが多い。
- 「気持ち」を問う設問は、傍線部分前後の状況 についての情報処理であることが多い。
- 「正解」は似ている選択肢のどちらかであることが多い。ただしこの法則は、中学・高校入試国語ではそのまま使えるが、大学受験国語では裏をかかれることがある。
真の失業率──2017年7月までのデータによる更新
完全失業率によって雇用情勢を判断する場合、不況時に就業意欲を喪失し労働市場から退出する者が発生することで完全失業率が低下し、雇用情勢の悪化を過小評価することがある。この効果(就業意欲喪失効果)を補正し、完全失業率とは異なる方法で推計した「真の失業率」を最新のデータを加えて更新した。
完全失業率(季節調整値)は2.8%と前月と同水準、真の失業率は2.6%と前月より0.1ポイント低下した。引き続き、真の失業率は減少基調である。現推計時点において、真の失業率は基準年*1である1992年より改善していることとなる。
所定内給与と消費者物価の相関に関する6月までの結果は以下のようになる。賃金、物価ともに概ね先月の水準と変わらない。物価はこのところ停滞傾向である。賃金は一般労働者の所定内給与への今春闘結果*2の反映、パートタイム労働者比率の動向如何により、今後の方向性が定まると予測される。
https://www.dropbox.com/s/fixt1abitfo58ee/nbu_ts.csv?dl=0
*2:厚生労働省の調べでは、民間主要企業春季賃上げは2.14%で前年より0.24ポイント減。http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000131411.html
石原千秋『教養としての大学受験国語』
- 作者: 石原千秋
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2000/07/01
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- かつて大学受験国語参考書の定番だった高田瑞穂『新釈 現代文』(昭34年出版)では、文章を正確に「追跡」することだけが説かれた。これは、現代文*1を読めば自然に「近代的自我」という思想が身につくという確信に裏打ちされたもの。高田は、「近代」の精神を人間主義と合理主義と人格主義*2という言葉で語る。「近代的自我」とは、この三つの精神を内面化した自我のことであり、戦後の日本人にとっては未来の思想だった。
- 高田は同著で、「この近代精神――中世のものの考え方とはっきりちがった新しい精神は、まずヨーロッパに起り、次第に全世界に波及して、あらゆる国、あらゆる民族に、近代という新しい時期の到来を告げた」と語っており、「近代」とは、ヨーロッパというある限定された地域に生まれた一つの思想であることがはっきり見えていた。
- 「ポストモダン」の現代に生きる僕たちにとって、「近代」がすでに過去の思想になりつつあることは紛れもない事実であり、僕たちの前には多様な思想が現れ始めた。「資本主義も社会主義も一つの思想にすぎない」と思えるような現代に生きる僕たちは、その中のたったひとつの思想に殉じて人生を貧しくする必要はない。信じることも大切だが、適度な距離をとり、多様な思想の中から自分の思想を選択できる時代でもある。
- 辻本浩三『評論文ガッチリ読破術(MD BOOKS)』、森永茂『基礎強化 入試現代文』、Mini Dictionaryシリーズの国語辞典『現代文・小論文』の三冊は受験生必携。これらとは別に読者に身につけて欲しいと考えるのは、文章との距離の取り方。普通、受験国語の現代文読解では批評意識を持つことは許されないとされるが、本書の読者には、批評意識を持ってもらいたい。そのために必要なのは、思考のための座標軸を持つこと。
- 例えば「自己」について考える場合、対立概念である「他者」を思い浮かべる。一方には「自己とはかけがえのない個別なもの」という考え方があり、他方には「自己とは他者との関係によって成り立つもの」との考え方が来る。こうした二項対立、二元論による思考で、「自己」をめぐる座標軸ができたことになる。このような座標軸をたくさん持つことが、本書でいう「教養」。この教養は、大学入試国語を解くのに大きな力を発揮する。
- 中学までの国語には説明文というジャンルがあり、明確な主張を持たず、ただ事実を説明する。一方、大学受験国語では、はっきりした主張を持つ文章が出題されるのが普通であるが、その語り口は二つしかなく、①現実を肯定的に受け入れる語り口と、②現実を批判的に捉える語り口。特に、②の批評が圧倒的に多く、これらを具体的にまとめると次のようになる。
- 何が進歩的で何が保守的かは時代によって変わる。高度経済成長期までは「近代」を支持する評論が進歩的であったのに対し、公害問題を一つのきっかけとして、高度経済成長期以後は「近代」を批判する評論が進歩的となった。
*1:高田によれば、現代文とは、「何らかの意味において、現代の必要に答えた表現」のこと。
*2:人間主義とは、ヒューマニズムの訳語であり、人間性を尊重し、これを束縛し、抑圧するものから人間の解放を目指す態度。合理主義とは、人間の理性を人生観・世界観の中心におく考え方であり、自然科学と結合したことで、自然の法則は、無目的的な、没価値的な因果の法則であるという立場が確立され、それを知ることで、自然を人間のために利用することが可能になる。人格主義とは、人格に最高の価値を認めようとする立場。カントによれば、人格はいかなる場合においても他の目的の手段となることのない、自己自身を目的とするまったく自律的な自由の主体。
シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』
ビューティフル・マインド: 天才数学者の絶望と奇跡 (新潮文庫)
- 作者: シルヴィアナサー,Sylvia Nasar,塩川優
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/10/28
- メディア: 文庫
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1994年のノーベル経済学賞を受賞した数学者、ジョン・フォーブス・ナッシュJrの半生を描いた大作。2001年には本作が原作となり映画化され、アカデミー賞を四部門で受賞している。ナッシュについては、2015年のアーベル賞受賞直後に自動車事故に合い、妻のアリシアとともに亡くなったことが記憶に新しい*1。本稿の筆者は映画『ビューティフル・マインド』を見ておらず、ナッシュについては、統合失調症を患った悲劇の数学者であること、ゲーム理論の「ナッシュ均衡」にその名を残していること程度の知識しか持ち得ていなかった。本書を読み、ほぼ初めてこの数学者の全貌を知ったことになる。
本書を通じナッシュの業績を見渡してみると、その世に知られるきっかけとなったゲーム理論以上に微分幾何学における実績が大きく、ウィキペディアにも「専門分野は微分幾何学でありリーマン多様体の研究に関して大きな功績を残している」とある。また、2015年のアーベル賞受賞の理由は「非線形偏微分方程式論とその幾何解析への応用に関する貢献」である。本書では、直感的に課題を見出し多彩な分野に足跡を残す天才型の数学者として描かれている。その一方、ローウェル・パトナム数学競技会というアメリカの大学生を対象とした有名な数学競技会において成績優秀者上位5名から漏れたことに屈辱を感じ、そのことが、その後の彼の人生にも影響したことを窺わせている。結果的にノーベル経済学賞を受賞することとなるが、統合失調症を発症する前は、権威ある賞や職業的威信を極めて貧欲に求めている。プリンストン大学の大学院生時代から、自分の天才を認めてもらいたがる一方、他の数学者を軽蔑、嘲笑するなど、人間的には傍若な性格であったともされている。
フォン・ノイマン(およびモルゲンシュテルン)による『ゲームの理論と経済行動』は、その名声を高め、後の経済学を再構築する試みとなるが、ナッシュは、この本は数学的に革新的だといってもミニマックス定理以外は新しい定理を含んでいないことに忽ち気付き、経済学の理論自体にも顕著な進展をもたらしていないと考えたという。ナッシュは、交渉する二人の人間が合理的であるなら、それぞれが相手にどのように働きかけるかを予測するという斬新なアプローチを試みる。これは公理的アプローチと呼ばれるもので、ナッシュは、このアプローチを初めて社会科学の問題に適用した。
ナッシュはあらゆる解、つまり満足な分配をするのは、どのような合理的条件においてであるかという問いからスタートする。そして四つの条件*2を示し、創意に富んだ数学的論証によってーー自分の示す公理を是認するならーー各プレイヤーの効用最大化を図る解が一意に存在し得ることを明らかにした*3。ある意味でナッシュの功績は、問題を「解く」というより、解が一意に存在することを単純かつ明確に示したことにあると言えるだろう。
ナッシュは、多数のプレイヤーが参加するゲームにも、複数の戦略が許容される限り、少なくとも一つの均衡点が存在することを証明した。均衡という状態について、ナッシュはどのプレイヤーも他の可能な戦略を選択しても自分の立場を改善できない状況と定義している*4。各個人にとっての最善の選択が、社会的に最適な結果をもたらすとは限らない*5。多くの均衡点を持つゲームもあるし、均衡点を一つも持たないゲームもないわけではない。ただし、このようにナッシュの定義を逸脱するのは全く特例的なケースに過ぎない。
ナッシュのゲーム理論における貢献は1950年のランド研究所におけるものが最期であり、その後は幾何学の分野での業績を求め、実代数多様体とコンパクトな可微分多様体の間を関連づける「驚嘆に値する」定理を見出した。
ナッシュの場合、このような発見はたいていかなり早い時期になされ、あとから困難な証明をする、という順序をたどった。彼は、いつも事前に解答を見出し、そこからさかのぼってその正しさを証明するタイプの人間なのだ。一つの問題を思い巡らす。すると、ある時点で直感がひらめき、求めている解のヴィジョンが見えてくる。交渉問題の時もそうだが、この直感はふつうは問題を追究し出すと間もなくひらめく。そのあと一定の論理的手順を踏むという長い苦闘を経て、やがてその直感が正しい、という結論へ到達する。リーマン、ポワンカレ、ウィーナーといったすぐれた数学者たちも、このような方法で考えた。
しかしナッシュはプリンストン大学から講師として招聘されなかった。このことはナッシュに大きな打撃を与える。ノーベル経済学賞受賞の場面もそうだが、本書の素晴らしいところは、こうした選考過程について、関係者からの丹念な聞き取りにもとづき生き生きと描写されているところにある。ナッシュはその後MITから講師として迎えられるが、そこで彼の最も偉大な業績である「コンパクトで滑らかなk次元可微分多様体は、2k+1次元ユークリッド空間に埋め込むことが可能*6である」という定理を証明する。この問題に取り組むにあたり、ナッシュは事前に、その問題が大きな栄光をもたらしてくれるものなのかを十分に確認している。
ここまでがナッシュの栄光についての物語であるとすれば、その後は統合失調症へと至る私的生活と数学上の研究過程についての物語となる。結婚後、ニューヨークのクーラント数学研究所において非線形偏微分方程式の研究を進め、独特の新手法を編み出すことで実績を作り、即座に注目を集める。この時はフィールズ賞受賞の可能性もあったようだが、結果的に、ナッシュの名は最終選考に残ることがなかった。求めるような栄光が得られず、加齢による想像力低下にも恐れを感じる中、いわゆるミレニアム問題の中で最も世に知られた「リーマン予想」に関わるようになる。リーマン予想は、今でも多くの数学者がその人生をかけて取り組み、一生を狂わされかねない巨大な難問であるが、ナッシュもまたこの問題に取り組んだことをきっかけとして、統合失調症への一歩を進めた可能性がある*7。
統合失調症の発症からノーベル経済学賞受賞という栄光を得るまでの「失われた歳月」は30年を超える。40歳の頃、ロアノークで独り過ごすナッシュの姿は極めて哀れなものである。息子のチャールズも数学者としてのキャリアをスタートさせるが、父親と同様、統合失調症を発症することとなる。
上述の通り、ノーベル経済学賞の選考過程については丸まる一章を費やし綿密に描写されるが、それだけの価値ある大きなドラマがあったようである。本書には、ナッシュと関係があった人物の思いや動機などが丁寧に描かれており、登場人物も数学者、 物理学者、経済学者の何れをとっても、どこかでその名を聞いたことがあるような一流の人々である。このことが、本書の価値を際立たせ、類書との差別化を可能にしている。
ふと感じるのは、既に世に忘れられた存在であったナッシュが最終的に自ら望んだ栄光を手にすることができた背景には、関係者それぞれの思いがあり、幾人かの人たちがその手を差し伸べてくれたことがあった、ということである。一方で、そうした助けが功を奏せず、時代に埋もれてしまった天才たちの存在もあるのだろう。時代や社会というものの大きさに比べれば、人間の存在などいかに小さなものだろうか。