備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

田中秀臣「雇用大崩壊 失業率10%時代の到来」

雇用大崩壊―失業率10%時代の到来 (生活人新書)

雇用大崩壊―失業率10%時代の到来 (生活人新書)

 まずもって、書名と本書の内容はミスマッチです。ということの意図は、ちまたに見られる同様の「煽る」ような書名の書籍とは異なり、本書では、現下の雇用問題と日本経済の課題に関する論点が、きわめてまっとうな経済学の論理に従い、適切に配置されている、ということです。
 自分の関心に合わせて本書の内容を区分けすると、前半は、著者の「日本型サラリーマン」論いらいの研究対象となっている日本の雇用システム論、後半は、より広い視点からの日本経済論であり、それぞれ、深刻かつ急速に進む不況下にあって、新たに整理されたものとなっています。

 前半の日本の雇用システム論では、まず、日本の雇用者について、正規雇用の従業員を表す最上層の「S層」、それを補完する非正規雇用者を表す「A層」、求職意欲喪失者の層である「B層」という三つの層に分けられます。S層と「二次的労働市場」に相当するA層については、雇用システム論一般にみられるオーソドックスなものですが、日本の雇用システムの特徴であるといえるのが、A層からB層、あるいはB層からA層への柔軟な移動です。そしてその結果、S層の雇用の安定が確保されると同時に、日本の失業率はこれまで低い水準に維持されてきたということになります。これは、野村正實の「全部雇用論」にもある意味では共通するもので、日本の雇用システムについての見方としては、比較的多くの人に共有されたものではないかと思います。
 これまでA層の多くを占めてきたのは、女性や生産現場期間労働者などでした。これらの層は、必然的に生じる景気循環の過程において、不況期には就業意欲を喪失し非労働力化したり(B層への移動)、解雇をともなわない就業調整、あるいは帰農や公共工事の現場での職を得ることなどによって、需要の大きな変動に対する調整弁となってきました。また、こうしたことが、不況期にも失業者の急速な増加を防いできたことになります。ところが、長期にわたるデフレ不況下では、フリーターの増加にみられるように、特に若年層にしわ寄せが生じ、B層への柔軟な移動が困難なA層を肥大化させる結果となりました。これがロス・ジェネ問題というわけです。
 いちどフリーターになってしまうと、正社員になることは難しくなります。これは、S層とA層の間の移動が困難であることを示すものであり、見方を変えれば、むしろそのことによってS層の雇用の安定が確保されてきた、ということができます。しかしながら、著者は、そもそも三層構造によるS層の雇用の安定ということ自体が「高度経済成長による人手不足がもたらした、ある種の幻想だった」(78頁)と指摘します。「終身雇用」というのは、高度経済成長が終焉した1970年代半ばから1980年代においても事実として存在するものではなかったということであり、不況期にはしばしば人員整理が行われてきたわけです。
 フリーターが正社員になることが難しい理由として本書に指摘されているのは、日本経済に景気回復の余地がまだ十分にあるということ、フリーターの選好に「双曲割引」という特徴があり目先の利益を選択する傾向が強いこと、夢追い型フリーターの特徴である「貧困中毒」性、などです。そして、これらのうち特に重視されているのは、第一にあげた景気の回復です。また、経済的な困窮状態にある人ほど「双曲割引」の原理で職業を決めてしまう、ということも、景気の回復がこの問題の処方箋としてより重要であることを示すものでしょう。この点に関連した話としては、下のエントリーについてもコメント欄を含めご覧いただけたらと思います。

 なお、フリーターが正社員になることが難しいことについての前述のような整理は、わたしにとって特に興味を引くものでした。その一方、景気の回復がこの問題の処方箋としてより重要であることは議論の余地のない当然の事実であるにしても、「職業訓練など人的資本の質を高める政策は、あくまでも副次的な効果しか持ち得ない」(50-51頁)のかどうかについては、わたしとしてはもう少し考えてみたいところです。

 後半の日本経済論については、現下の深刻な不況の主たる要因が、財政と金融政策が非整合的に運営されていることにあるということが論理的に整理されており、そのほかにも、日本の「上げ潮派」の本質と特徴など、興味を引く論点が多数含まれ、「緊急出版」ということにもかかわらず充実した内容となっています。「大きな政府」というのは、高齢者ではなく、むしろ現役世代の利益を重要視することが大事なのだとする最後のまとめなどは、大変共感するものでした。本書の後半にかけて勢いがかかる論点の提示(そしてそれらの論点は、これからの日本が抱える宿痾ともいえるような重要なものである)は、今後のよりまとまった著書の中で、より骨太に論じられることになるのでしょうか。

 なお、本書の冒頭にでてくる「真の失業率」については、別のエントリーで推計結果とともに整理したいと思います。(続く)