ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

野村正實「雇用不安」

雇用不安 (岩波新書)

雇用不安 (岩波新書)

第1章 日本の失業率の特異性

  • 日本の雇用・失業構造の分析をする上での出発点は、?国際的にみた場合の失業率の低さ、?経済的インパクトに対する失業率の低感応度、?長期的には失業率の緩やかな上昇傾向、?求職意欲喪失者(潜在的失業者)が多くその大半は女性、という点。
  • 「雇用レポート'97」では、国際的にみた日本の構造的特質に言及せず、現在の高失業率の背景を、?需要不足、?労働力需給ミスマッチの拡大、であるとしている。構造的特質の分析なき雇用政策は、小手先に終わってしまうのではないか。

第2章 低失業率をめぐる理論

  • 戦後、日本の低失業率を説明する有力な理論は、?家族従業者の比重の大きさ、?企業規模別の賃金格差の大きさ、?就業人口中に占める農業人口の大きさを強調する「二重構造」論(有沢広巳を嚆矢とし、57年の経済白書で再説)と、農業における「過剰就業」*1論。
  • また、これらの論と一部主張が重なるが、仕事を求める者は全て何らかの仕事を得ているが、各人が最大限の生産性を上げているわけでも賃金に満足しているわけでもない点を強調する「全部雇用」*2論(東畑成一)。
  • 「過剰就業」論及び「全部雇用」論は、高度成長の中でその影響力を失い、「二重構造」論は形を変えて生き残る。「日本の所得と富の分配」所収の石川・出島論文では、これを統計的に検証(第1次労働市場30-35%、第2次労働市場60-65%)。

第3章 「全部雇用」成立の論理

  • 東畑「全部雇用」論では、労働供給のあり方が分析されておらず、その成立論理が明らかではない。これに対し、梅村又次「全部雇用」論では、労働力を恒常労働力と縁辺労働力に分けるところから始める。不況時に縁辺労働力が非労働力化することにより需給バランスが安定。
  • 日本は、先進国の中では自営業・家族従業者の割合が顕著に高い。長期的には減少しているが、これは農林業家族従業者の減少によるもの。「全部雇用」は、?大企業モデル、?自営業モデル、?中小企業モデル*3により構成。
  • 「終身雇用」「年功賃金」「企業別組合」は大企業モデルにあてはまるにすぎない。「年功賃金」を説明する理論は、?生活費保障論(男性の生活費を保障)、?企業特殊的熟練の形成を根拠とする人的資本論小池和男)、?職務怠慢仮説(若い頃に限界生産力を下回る賃金とすることで職務怠慢を防ぐ)があるが、筆者の立場は「生活費保障+能力形成」仮説。家族賃金は、19世紀イギリス中産階級における「近代家族」理念に基づく。大企業モデルでは、不況時には「雇用保蔵」が失業増加を防ぐ。
  • 自営業モデルの特徴は、その柔軟性。離職した場合に非労働力となる女性の就業行動が失業を押さえる。中小企業モデルでは、?雇用調整助成金制度、?「組織化された労働市場」に起因する景気後退期の採用意欲増大、?家事・育児を担当する女性パートタイマーの非労働力化、が「全部雇用」を支える。
  • 欧州は職務給であることから一般労働者とパートタイマーの賃金格差はないが、日本では「100万円の壁」に基づく100万円を主婦がパートタイム労働を受け入れるであろう最長労働時間で割るなど、賃金水準が一般労働者と全く別の原理で決定されるため、その格差は著しい。

第4章 「全部雇用」の衰退とその影響

  • 「全部雇用」は、?大企業モデルに該当する人数の減少、?自営業モデルでは開業率が低下、?離職したパートタイマーの非労働力化の低下、により衰退。一般的な「福祉国家」像と異なるとされる日本型「福祉社会」は、「全部雇用」に支えられるものであり、持続困難に陥る。
  • 雇用に対するセイフティネットは「全部雇用」であって、失業給付はその補完。規制緩和の雇用拡大効果についての推計は不十分で、そのことがもたらす「全部雇用」衰退のコストについては黙して語らない。
  • ルッツの歴史論によれば、ドイツでは、福祉国家(国家による総需要管理、労働・社会保障制度及び団体交渉による賃金決定)が不況のスパイラルを断ち切るとともに伝統的セクター(自営業モデル)を解体。また、それとともに高失業社会に移行。日本では福祉国家政策がなく、傾斜生産方式をはじめとする産業政策が戦後経済成長を主導。

第5章 「全部雇用」を維持して改革を

  • 日本型経済システムは、キャッチアップ型経済システムの場合にのみ有効に機能するとの議論には説得力がない。規制緩和路線を転換し、自営業や中小企業への適切な支援策が講じられるならば「全部雇用」は維持される。その上で、少しずつ公正な社会に向けて改革を進めることが実現可能な選択か。

コメント 日本的な福祉社会(ワークフェア)を考える上で、「全部雇用」概念の重要性を指摘。「全部雇用」を維持することで失業の増加へ対応することを提唱するが、「公正」をスタンダードとする今日の潮流の中では説得力を持ち得なかったと言うことか(この点、構造改革路線の「創造的破壊」的な要素(シバキ主義・モラリズム)を否定する一方、新古典派経済学への歩み寄り(パレート改善の肯定)により、その批判の焦点を反らす議論の例も*4。)。また、「全部雇用」論は労働供給のあり方から説明することに止まっており、今日のデフレ経済はこれまで機能していた「全部雇用」の一定の需要サイクルに対する緩衝剤としての効果を超過するもので、だからこそ「全部雇用」の衰退という事態を招いたという方面から分析することもあり得るか。いずれにしても、98年以降の劇的な雇用環境の変化を踏まえ、これらの議論を再検証すべき時期にきている。
構造的特質の分析なき雇用政策への批判については、逆に、このような(社会学的)労働研究の影響力のなさへの批判として返される可能性もあるのでは。

*1:ある産業の限界生産力が、他の産業のそれよりも恒常的に低位である場合、その産業は「過剰就業」であると定義。

*2:完全雇用ケインズ)は、現行賃金率で働きたいと思っている者全てが就業している状態。

*3:ここでは労働供給側からみた区分であり、家計補助的なパート労働も中小企業従業者の配偶者に多い点から当該モデルに含めている。ダグラス=有沢の定理によれば、?夫の所得が低いほど妻の就業率は高く、?本人に提示される賃金率が高いほど妻の就業率は高い。

*4:

経済学という教養

経済学という教養