備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ロナルド・ドーア(石塚雅彦訳)「働くということ グローバル化と労働の新しい意味」

第1章 労働の苦しみと喜び

  • 21世紀のはじまりにおける労働に関する問いは、①なぜ人間はそんなに働くのか(その動機、満足)、②労働市場の柔軟性とそれがもたらす結果(不平等)、③公正の問題、二極分化の評価とそれを工業化という歴史的趨勢の中に位置づける試み、④社会連帯を推進する政策は世界経済のグローバル的統合の中でも成立しうるか。
  • 第一の問いは、生産性の急激な上昇は、何故、(ケインズの予言にあるような)余暇の顕著な増加につながらなかったのかと言い換えられる。もっとも明白な理由は、人間の欲望の限りない拡大(「効用」概念の絶え間ない再解釈)。イギリスの統計を分析した結果では、その恩恵の約1/3は労働時間の減少、約2/3は消費の増加で吸収される。また、裁量労働は仕事と余暇の境界線をぼかす。
  • 労働需要サイドに目を転じると、競争の激化、それに伴う経営上の優先順位と雇用慣行の変化。新古典派経済学が政策形成者の支配的ドクトリンとなることで、効率は支配的価値となり、株主価値の理論が重視される。日本企業もこの10年に大きく変わり、従業員の待遇よりも株価の維持が重視される。
  • 各国政府では、国際競争力について関心が深まる。また、完全雇用の達成は困難となり、コストとしてのインフレが進んだ結果、低インフレと経済成長が新しい優先事項となる。

第2章 職場における競争の激化

  • 1970年代には、イギリスでは官庁を中心に年功制度は安定しており、より普遍化してくるように思われたが、サッチャー革命は、民間の金銭的インセンティヴを重んじる雇用制度を公共部門に導入しようとすることで、それまでの傾向を逆転。
  • 社会的有用性に係る問いが生じるのは、金融サービスに従事する従業員の比率がそれほど変わらない中で、その取り分が急速に増大していることを考える時。報酬システムは、もっとも楽しい仕事をしている少数の人々の給与がますます増大し、かつそれが公正であると主張されるようになった。社会的有用性を決める唯一の確実な基準は市場における評価であるとの主張。

第3章 柔軟性

  • 「柔軟性」には、①経済全体で労働の配分を最適化する、②労働者が自身の技能を可能な限り発揮し、経営者は技能的資源を適切に配置する能力(企業組織のコア・コンピテンス)という2つの意味。これには、外部的柔軟性を犠牲にすれば、内部的柔軟性がもたらす協調的雰囲気や技能の蓄積が高まるという関係。
  • 日本では、①人員整理の必要性、②解雇回避努力、③人選の客観的合理性、④労働組合・従業員代表への説明という整理解雇の4要件が判例上存在。現在は、法令上、客観的合理性を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は解雇を無効とするとの定め。ただし、社会通念は、例えば、ROEの向上のための整理解雇も可能といったように、将来新たな判例を生むこともあり得るか。
  • 賃金所得の分散の高まりは、先進工業世界に共通する持続的傾向。その背景は、①労働組合の力の低下、②技術の変化、③低賃金開発途上国の世界貿易への統合。加えてトップの貧欲。

第4章 社会的変化の方向性

  • 正義が「分割不可能」とのILOモットーには異論。ダイシーは保護貿易と労働者保護の間にイデオロギー的親近性があることを鋭く意識。労働者保護と社会保障の混合は60〜70年代始めに、先進工業世界で指示されたが、30年間に及ぶ議論の後、新たなOECDコンセンサスが成立(市場個人主義)。
  • この変化の根のいくつかは、思想的・政治的領域にあり、より深いところで社会構造の地殻変動がある。改心の可能性は、世界経済不均衡の是正の過程*1か、「あなたの不安は、私の平和を脅かす」の効果にある。

第5章 市場のグローバル化と資本主義の多様性

  • コスモポリタン化するエリート層の増加は国の帰属感への一般的な弱まりをもたらす。
  • 資本と労働の敵対的関係の程度は様々。やや乱暴にカテゴライズすると、①アングロ・サクソン型、②労使という「社会的パートナー」の交渉・妥協により制度的ルールが導入される欧州型、③敵対的関係であることを忘れたかのような日本型に区分できる。

コメント 「働くということ」について、多面的かつ大局的な視点で捉えようとする試みであり、その「広さ」に関しては寡聞にして類を見ない。アレント的に「労働」と「仕事」を区分することは無理な話であると断じ、また、経済学における「効用」概念は絶え間ない再解釈が必要となっている点を取りあげる。これは、「働くということ」を捉える上で、このような基礎付けの試みには意味がないことを示唆している。「公正」或いは「有用性」という概念も、普遍的な意味を持つものではなく、グローバル経済化が深化する中で大きく変化する*2。先進工業諸国における30年間に及ぶ議論の後、「市場個人主義」と著者の呼ぶコンセンサスが支配的なものとなった。これに従えば、過度な仕事と報酬の二極化についても、正当化され得る。
最後に、「市場個人主義」からの改心の可能性が模索される。資本主義の多様性が論じられ、将来に対する予測困難な展望への躊躇が述べられる。全体を通じ、著者のILO的価値観への共感と社会に対する暖かい眼差しを感じる書である。

*1:カール・ポランニー「大転換」を引用。

*2:なお、「公正」と言えば企業会計にいう「公正価値」概念を想像する。これは、原則としては、市場における交換価値であろうが、充分なセカンダリー・マーケットがない場合もあり、そのような場合には、社会的なコンセンサスとしての収益配分のあり方に帰結するであろう。