ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

Le mort m'affecte(内田樹の研究室)

レヴィナス現象学を祖述するに際して、強く強調したのは「そこにもう/まだないもの」もまた志向的対象でありうるという目のくらむような洞見であった。(中略)「世界で最後の人間」となった私が、それでもなお現事実的には存在しない他我たちとの共同主観性の中でしか生きられないように、「そこにもう/まだないもの」とのかかわりの中においてのみ私は「私」なのである。そのような「現事実的に存在しないにもかかわらず、存在する私にかかわりくるものもの」をレヴィナスは端的に「他者」と呼んだ。「すでに/もう」という副詞が示すように、レヴィナスの「他者」は空間的に隔絶された実在者のことではなく、「時間的に隔絶された」という点をきわだった特徴とする。(中略)フッサールの志向性は「同時に」と「違う場所で」という性質に軸足を置く。レヴィナスの志向性は強いて言えば「違うときに」に「同じ場所で」という性質に軸足を置いている。(中略)そのような時間的な「タイムラグ」によって構築される共同主観性のパートナーをレヴィナスは「他者」と呼んだのである(たぶん)。だから、レヴィナスの「他者」を、空間的表象を用いて記述しようとするすべての試みは原理的に頓挫することになる。他者は私とは違う時間の流れに属するのであり、「存在するとは別の仕方で」私の思念と感覚に絶えず「触れ」続ける。それゆえ「他者とは死者である」と書き換えるときに、レヴィナスの他者論はそのなまなましい相貌をあらわにすると私は『他者と死者』に書いたのである。