ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

内田樹「労働と豊穣性」(TFK2)

(中略)「剰余労働」を動機づける内発的な動因はひとつしか考えられません。「交換への欲望」です。とりすぎた「から」交換するのではありません。交換したい「から」とりすぎたのです。(中略)「いずれ要るかもしれないけれど、とりあえず今は要らないもの」、それが交換されるものの条件です。この条件にはとてもたいせつな言葉が含まれています。それは「とりあえず」という副詞です。この副詞と同時に人類社会は未聞の概念を手に入れました。それは「時間」です。「とりあえず」というのは英語だとfor the time being ですね。語義通りに読むと、「時間が存在するために」。
(中略)無時間モデルだと「いずれ」とか「とりあえず今は」というような時間にかかわる副詞は存在しません。「要るもの」は需要がいつ発生するかにかかわらず「要るもの」です。(中略)「とりすぎ」という行為は無時間モデルで考えた場合には起こりえないものです。
(中略)無時間モデルの等価交換形式で労働や学びについて語る人は人間の本性について致命的な誤解をしている(中略)。

コメント 「無時間モデル」というのは、たぶん、「私」が「今」生きている状況だけが問題なので、空間的な他者との関係や時間的な将来生きることに係るリスクは問題にならない。空間的/時間的なリスクがあるからこそ、蓄えが必要。経済や企業という仕組みは、そのような蓄えを最小限にし、効率的に扱うために機能しているということか。例えば、金融は時間的に蓄えを効率的にするための仕組み*1であり、保険は空間的に蓄えを効率的にするための仕組み*2とみることができる。「蓄えを最小限にし、効率的に扱う」ことの目的は、より高いレベルの価値の創造(経済や企業の成長)か。「一旦、経済成長について考え始めると、それ以外のことなどどうでもよくなってしまう」(ロバート・ルーカス)
なお、内田氏の議論は、空間よりも時間の方を強調する(05/07付けエントリーも参照)が、永井均「私・今・そして神」を読んだ後では、それらの違いを強調することにあまり意味がないようにも思えてくる。
(追記)「交換の欲望」は人間の本性であるとの議論は理解したが、次の議論としては、「人間の本性」とは何か、という点があるのではないか。

*1:事故が生じた場合に資金を借り入れ、数年間で分割して返済する。

*2:多数の者が一定額を持ち寄り、そのうち事故の生じた者にのみ全額を支払う。