西村清彦「日本経済 見えざる構造転換」
- 作者: 西村清彦
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 2004/09
- メディア: 単行本
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第2章 日本企業の「凋落」−「成功」が呼び起こした「失敗」
- 米国経済が得意とするのは、組み合わせの最適化+モジュラー型+水平展開型という企業行動パターン。一方、日本経済が得意とするのはプロセスの最適化+インテグラル型+垂直囲い込み型という企業行動パターン。
- 全要素(価値)生産性を高めるため、日本は、同じ価値を持つ製品の供給をより少ない投入で成し遂げるよう、プロセスを最適化を目指した。一方米国は、豊富な資金と資源をバックに、新しい付加価値を創ることを目指した。プロセスの最適が劇的な効果を生むのはストックの合理化であり、非製造業(または製造業の「非製造業化」の下)では、その効果は望めない。
第3章 日本企業「再生」の源泉−「アナログ」復活と「痩せ我慢」調整
- 「デジタル」的組み合わせは、当初の飛躍的な付加価値上昇から次第に収穫逓減の領域に入り、「アナログ」的要素が復権。生産における「スピード」と「伸縮性」には大きな関係があり、特に、ある製品の生産から他の製品の生産への「伸縮性」*1が「スピード」にとって重要*2。
- 情報通信技術が企業組織に入ってくることにより、トップマネジメントの限界生産性(=賃金)が高まり、中間管理職は消滅する。また、一般労働者+旧中間管理職の限界生産力も高まる。限界生産力は、イントラネットやインターネットを通じて相互に繋がることで、更に飛躍する*3。
- 日本の企業の参入・退出が極端に少ないとの説は、調査の対象を重要な経済活動をしていない企業にまで広げていたことから出たものであり、これを調整すると米国より少ないがカナダよりは高くなる。
第4章 変貌する消費者−「需要不足」ではなく「適切な供給」不足
- 米国の消費者は「いつでも実験−自己責任型」が多く、日本では「高品質追求−他人任せ型」が多い。企業がターゲットを絞って特定の種類の製品を生産する場合、米国のように消費者が異質でばらける場合は、ターゲットが「ぶれる」影響は小さいが、日本のように消費者が同質で一部に集中している場合は、その影響が大きく異なる。
第5章 「固定費経済」となった日本経済−「回復の十二年」の意味
- 日本経済沈滞の真の原因は投資収益率の低下。日本企業の労働費用の主要な部分は米国のような変動費用ではなく、固定的な費用。「痩せ我慢の長期調整」により損益分岐点が低下、つまり固定費用は十分小さくなると、損益分岐点を超える小さな需要の拡大が、実は大きな影響をもたらす。
第6章 第三の道−新しい経済システムを目指して
コメント 平成不況の要因をマクロの集計値のみでなく、その背後にまで遡って説明しようとする姿勢は新鮮。特に、「組み合わせ」と「摺り合わせ」といった用語で説明される供給面に加えて、需要面もブラック・ボックスとして扱うのでなく、マーケティング的な考え方を援用して説明しようとするところは意欲的。また、これらを「固定費経済」の話と繋げて、平成不況からの回復の要因を導く手さばきは鮮やか。しかしながら、そのような読みについては、もう少し謙虚さがあってもよいのではないか。特に、平成不況からの回復を語る上で、為替に対する非不胎化介入、信用機構に対する資本注入といった「リフレ」的な施策の効果を無視するのは片手落ちの感がある。また、①「兎」の米国、「亀」の日本、「モルヒネ経済」といった造語は、キャッチーな効果をもたらす一方、その指示対象を曖昧にしてはいないか、②消費に関して、「量的な需要不足」よりも「質的に適正な供給不足」が要因となり、消費を通じる乗数効果を低下させたとの解釈の根拠は充分か*4、③この本の最大の主張たる「社会資本ファンド」の設立の効果は、ミクロの施策としては一定の意義を認めるものの、果たしてマクロ経済に大きな効果を及ぼすものといえるのか(現在の信用機構がそれを必要とする程機能不全に陥っているわけではないのではないか)、といった点については一抹の違和感を覚える。