ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

永井均「私・今・そして神」(その3)

私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)

私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書)

06/26付けエントリー中、第3章に追記。その上で、

この言語(中略)の、この有意味性それ自体が開闢なのだが、それはその言語の内部にはあらわれることがない。神の存在論的証明が成り立たないのと同じように、その開闢性をその内部で語ることはできない。私はこの言語の有意味性の中に閉じこめられている。それが開かれる時は永遠に来ない。来たとわかれば来ていないのだから。
言語は開闢を隠蔽する。逆にいえば、世界を開く。人称、時制、様相は、客観的世界の成立に不可欠な要件だが、それは開闢それ自体を隠蔽することによって可能になるのだ。「私の今の言語」−この言い方が、言語の内部ではその人称概念と時制概念に吸収されて理解されることになる。