ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ニート問題に関する備忘録的整理(その2)

前回は、「ニート」と呼ばれる者について、内田樹「資本主義の黄昏」(05/19日付けエントリー参照)で論じられるような者を真性ニートと考えると、リフレ期において非労働力人口から失業者または就業者へ移るような若年無業者*1は別のカテゴリーとなる点を中心にまとめた。今回は、このうちの真性ニートについて、内田樹「労働と豊饒性」(05/19日付けエントリー参照)における「無時間モデル」という概念を使用して整理することでさらに見通しが良くなるので、とりあえずまとめてみる。
内田樹氏の「無時間モデル」をめぐる議論を再度整理すると、このモデルでは、「今」の「私」という現時点の状況だけが問題になり、時間的/空間的な配慮がない。そもそも、経済や企業とは、そのような配慮に関わる仕組みであり、「無時間(/無空間)モデル」では、経済も企業も必要がない。しかしながら、我々が経済や企業を所与のものと考える以上、(通常の)人間にとっては、時間的/空間的な配慮を持ち、「交換」を欲することは、「本性」とでもいうべきものである。(たぶん)*2
ところが、内田樹氏の論じるニート(真性ニート)は、「無時間(/無空間)モデル」において「合理的」に考える人であり、未来や他者を考慮することがない。また、働くことの必要性を経済合理性に基づいて説得しようとしても、説得力を持ち得ない。「無時間(/無空間)モデル」では、経済も企業も必要としないからである。その意味で、真性ニートは、現在の経済(資本主義経済)の(通常の)価値基準からずれた存在であるとも言える。
それでは、この問題にどのような処方箋があるのか、ということであるが、この文章で内田氏が示しているのは、「いいから、とりあえず人間は働いてみるもんだよ。給料はたいしたことないけどね。」ということを教え込むこと*3だという風に読みとれる。なお、内田氏の議論については、「多様性を認めない」との批判(例えばここ)があるようであるが、次回はそのような点を含めて、また考えてみる*4(かも知れないししないかも知れない...あるいは、そもそもずれた議論をしているのかも知れない...)

*1:もちろん、これらの層についても、マクロ経済政策だけで解決できるとは限らず、教育から就業への移行や需給調整に係る(ミクロ経済的な)対策も必要と思われる。

*2:これらの点は、もう少し詰めた議論が必要。例えば、「交換」の次の段階には、貨幣の成立や「商人」の登場があり、そこからはじめて経済や資本主義を考えることができるようになること等。

*3:大人がお節介をやくというのは、玄田有史氏の語る処方箋でもあったと思う。

*4:この点についてはいろいろ読んだけど、結局理解できない、というかその根拠を把握できず(功利的な語法「とは違う言葉で学びと労働の人間的意味を語ること」が喫緊の教育的課題だ−もしかしたら、この問題意識は希望学07/08付けエントリー参照)にも繋がる話かも知れない。ある意味失敗することが運命づけられていて、しかしながら、失敗してみせることに意味があるかも知れない、といったような感じ−という言葉からだけでは、その根拠を抽出するのは困難か)、内田氏の膨大な文章をさらに精読してみる気にもなれないので、この問題についてこれ以上考えてみるのは、当分やめることにした。という以前に、より問題が大きいのは、経済原理が働く方の、真性ニート以外の無業者の方のように思えるので。(08/08補足)