備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

松谷明彦、藤正巖「人口減少社会の設計 幸福な未来への経済学」

人口減少社会の設計―幸福な未来への経済学 (中公新書)

人口減少社会の設計―幸福な未来への経済学 (中公新書)

第1章 人口減少社会がくる
第2章 人口増加は何をもたらしたか

  • (本書では、)幸福とは「労働時間あたりの所得が多いこと」とする。これは、人間としての幸福の基本は自由独立にあるとする市民革命以来の考え方に基づく。働いている時間は自由独立とは言えず、余暇時間こそが自由独立を享受できる時間。また、賃金が多ければ、労働時間を減らして余暇時間を増やすことも可能。
  • 国民1人あたりのGDPは、米、仏、独の中で、日本は最大であるが、労働者1人あたりとすると、その差は縮小。さらに、GDPを総労働時間で割った値(労働生産性)は、90年代においても、仏、独をかなり下回る。さらに、労働時間あたりの所得で見ると、その差はさらに大きくなる。
  • 日本の賃金水準が低い原因は、設備投資の大きさと技術水準の相対的な劣位に求められるが、その低賃金を実現するシステムとして機能したのが日本的経営。日本的経営は、戦時統制経済により定着し、戦後の労働力人口の過剰に対処するため、設備投資を大幅に拡大する必要から維持されたもの。ただし、人口増加社会でなければ生まれ得なかった。日本的経営においては、利益率よりも売上高の拡大が重視され、資金調達面においても、利益率以上に企業の信用リスクを重視する銀行貸し出しが中心。
  • 日本の設備投資は、効率性(労働生産性上昇率/労働時間あたり資本ストック増加率)が低い。また、労働時間あたりの賃金の追随率(労働時間あたり実質賃金上昇率/労働生産性上昇率)も低い。加えて、オイルショック時において、なるべく機械を使わないことにして、その分は手作業で対応し、加えて賃金抑制により乗り切った経験が、特に労働力を節約する技術開発を遅らせた。

第3章 経済・社会の将来像

  • 日本の国民総労働時間は、今後10年間で8.1%減少し、2030年には2001年より33.1%減少すると見込まれる。これと、ハロッド・ドーマーのモデルから今後の実質国民所得GDPから減価償却分などを差し引いたもの)を予測すると、2008年まで増加した後、継続的なマイナス成長に転ずる。ただし、国民1人あたりで見ると、2013年がピークとなるが、2030年でも2001年の1.9%減にとどまる。
  • 経済の縮小は、日本型経営の見直しを必要とし、(配分可能な)資源の減少を意味する。ただし、総労働時間の動向から、稼働可能な資本ストックは減少し、投資財産業は縮小し消費関連産業が変わって拡大する。設備投資が縮小すれば、賃金を引き上げるだけのゆとりが生まれる。
  • 冷たいようだが、人口減少に即応した産業構造を速やかに構築することが日本経済を全体として効率的にする道であり、売上高の縮小によって経営困難に陥った産業、企業には、速やかに退出してもらう以外に手だてはない。

第4章 人口減少社会にどう対処するか

  • 日本経済は米国とは異なり、過大な設備投資によって生産資本ストックが大きすぎるため、消費が圧迫。生産資本ストックが大きくなると、将来の更新投資が増加。もともとの生産資本ストックが小さければ更新投資の増加よりもGDPの増加が大きいが、生産資本ストックが大きいとGDPの増加の方が小さくなる。この場合、設備投資を行った結果、かえって国民所得が減少し、消費は縮小する。ソローの理論によれば、実質GDP成長率=資本の限界生産物が「資本蓄積の黄金水準」であるが、日本経済では、70年代以降、実質GDP成長率がそれを上回り、設備投資は過大。*1
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コメント 本書の内容は、人口減少社会においても豊かさを実現するための、ある意味、耳障りの良いシナリオを提示する一方で、多くの違和感を読後に残した。特に、ハロッド・ドーマーの動学的なモデルを使用しながら、時間軸的な経路が全く見受けられない。このシナリオが実現する過程では、例えば、経営困難な企業へのハードランディング的な対応や、農業の生産性向上についての言及などから見て、多くの失業者が発生することも予見される。しかしながら、その点には目をつむり、最終的に雇用の場に生き残った者の賃金水準の向上といった、耳障りの良い部分のみを強調することには疑問を感じる。加えて、著者の援用するハロッド・ドーマーの成長理論では、完全雇用を実現する経済成長(自然成長率=保証成長率)には、政府の持続的な関与が必要(いわゆる「ナイフ・エッジ」論)とされており、長期的な安定を保証するものではない。
なお、著者の求める人口減少社会の最終的な姿は、欧州モデルにあると思われるが、その場合であっても、日本経済のダイナミズムが失われ、商品の陳腐化や社会階層の固定化といった、その悪い面だけが実現してしまう恐れはないのだろうか。さらに、日本的な長期的・安定的雇用システムを失うことは、日本企業の競争力を大きく損なうような気がしてしまうのは、私だけであろうか。欧州的な豊かさの実現は、それはそれで一つの目標・理念となろうが、そこに至る過程があまりにもシバキ主義的であれば、とても賛同し得るものではない。

*1:均斉成長経路((n+g+d)k=sf(k))にある効率労働あたりの資本ストックk*が、最高水準の消費を実現するのが「黄金律」であり、f'(k*)=n+g+dをみたす。ただし、n,g:人口、技術進歩の成長率、d:資本減耗率、s:貯蓄率。つまり、ソロー・モデルでは、これらが外生的に与えられる。