ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

田中秀臣「最後の『冬ソナ』論」

最後の『冬ソナ』論

最後の『冬ソナ』論

第1部 なぜ『冬のソナタ』に魅かれるのか?
第2部 なぜ経済学には純愛がないのか?
コメント 一気に読んでしまった。最初に著者が感じたと同様に「冬ソナ」や韓流には全く興味がないのだが、利己的な価値と利他的な価値をめぐる議論の中での「冬ソナ」的恋愛(初恋)の位置づけやキシェロフスキーとの類似性の指摘などを読んでいると、妙に興味は湧いてくる。ところが、「あらすじで読む・・・」を読んでいると、むしろ、平日昼のソープ・ドラマとの類似性の方が強く感じられてしまい、再び興味を失ってしまう。まあ、自分自身は、ここ数年で自分に対しての一定の見切りをつけ、ますます「合理的」なものの考え方に親和的になりつつあるわけで、その意味で、興味が持てないのはさもありなんか(つまり、自分にはもう利他的な恋愛(初恋)はあり得ない)。
ところで、本書では、日本的雇用システムについて、利他的な愛の観点から捉えられているが、その一部を占める年功的な賃金制度については、それを「合理的」なものと考える人的資本仮説(小池理論)や、大竹文雄氏の本や金融研究所の論文にあるように、行動経済学的な観点からの説明があったりする。また、株主資本主義にしても、企業価値とは、清算価値を示すものではなく、将来キャッシュフローの現在価値を示すものであり、株主もそれをベースに企業に関与すると考えれば、原則としては、長期的な視点を要する競争力の強化に不利益であるとは言えず、企業に最適な配分や負債・資本バランスを求める上で、むしろ有益であったりする。このように、一見利他的に見えるものであっても、(長期的に、)利己的な「合理性」にかなう、といった視点の取り方で、いろいろ考えてみようと思ったりしている。