備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

三浦展「下流社会 新たな階層集団の出現」

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

第1章 「中流化」から「下流化」へ
第2章 階層化による消費者の分裂
第3章 団塊ジュニアの「下流化」は進む!
第4章 年収300万円では結婚できない!?
第5章 自分らしさを求めるのは「下流」である?
第6章 「下流」の男性はひきこもり、女性は歌って踊る
第7章 「下流」の性格、食生活、教育観
第8章 階層による居住地の固定化が起きている?

コメント 近年生じている格差問題をめぐる議論について、消費(マーケティング)の分野から分析することを意図した書であり、経済学、社会学における文献等もフォローしつつ、自前の調査による分析結果も踏まえて論じられている。問題は、調査結果を年代ごとに分けてクロス集計を行っているため、サンプル数が小さく、結果が非常に限界的なものになっている点。この点は、説明変数に対する年代の効果が有意なものかといった別の視点から分析することも可能か。また、階層意識の「上」「中」「下」ごとに、とのような違いがあるかというところに分析の焦点は当てられているが、そもそも、この階層意識はどこから生じているのか(親の資産を含めた資産格差か、所得格差か、消費格差か、教育格差か)といった点の吟味が足りないような気がする。加えて、「年代」の効果と「年齢」の効果の違いを十分捉え切れているのかも疑問を感じる。
最後の「おわりに」の部分は、自身の仕事の手際よさに関する自慢とフィージビリティのない政策提言の羅列であり、詰めが甘く、表層的な議論に終始した本書とまとめとしてはさもありなんというつまらない内容ではあるが、一点、究極の機会格差は、個人の身体と能力の格差に繋がり、最終的に優性思想にも関わってくるという視点の提示はおもしろかった。また、第2章で格差が2極化している社会において、企業の利益最大化の視点から、どのような商品戦略が必要かといった分析も、分析の妥当性については不明であるものの、視点としてはおもしろかった。さらに、コラム欄で引用されている「ドラゴン桜」に関する以下のようなまとめは、(若干純粋に過ぎる点はあるものの*1、)大いに納得させられる。

上流の子供は、あらかじめ下流の人間とは異なるように育てられる。生活態度、言葉遣い、勉強の仕方、すべてが相互に関連して、上流らしさが作られる。
しかし、中流下流の若者は、学校や家庭を通じて、誰もが平等だといって育てられる。ところが、中学、高校、大学、就職と進むにつれて、社会には上も下もあることに気づかされ、ショックを受ける。そして社会から離脱していくのである。
ドラゴン桜』の面白さは、社会にある不平等を、自由、個性、オンリーワンなどという言葉で隠している大人の欺瞞を暴き、子供たちに社会の真実を知らしめ、だからこそあきらめずに努力しろと主張するところにある。
そして、東大に入れるかどうかは先天的な能力の差ではなく、挨拶をするとか、脱いだ靴を揃えるといった当たり前の生活態度が基礎にあり、その上で問題をテキパキと解いていくことが重要だと主張する。まさに、社会の下流化にパンチを浴びせる傑作である。

*1:本当の意味での「上流」は、必ずしも、ここでいわれるような階層とは次元が異なっているということ。そこはやはり、努力だけでは近づきがたい。とはいえ、自分としても、子供には文字通り「ストリートスマート」に生きて欲しいと考えている。