ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ロバート・フランク「オデッセウスの鎖 適応プログラムとしての感情」(その2)

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

第8章 道徳を身につける

  • 感情の役割は、19,20世紀の物質主義的思想家により虐げられてきたが、これには、心理学での行動主義の優勢も影響。その第一人者B・F・スキナーは、どの種のどの行動も環境により条件付けられたものであると一般化。これに対し、ジェローム・ケーガンは、分離不安(親が離れた時に子供が示す苦痛の反応で、7ヵ月未満の幼児にはほとんど見られない)の理由に生得能力の発現を強調。また、道徳行動における感情の役割について、個々の道徳規範はとてつもなく多様で複雑だが、それらはごく限られた数の単純で同質な感情能力により支えられているとする。
  • コミットメント・モデルとの関連から重要な特徴は、道徳行動の基準が感情的反応を引き出す点。この点は、慣習の場合と異なり、慣習は感情的反応を引き出さない。性格異常者が罰や報酬によって道徳規準を形成できないのは、学習能力の欠如からではなく、感情能力の欠如によるものである可能性。

第9章 公正感

  • リチャード・ポズナーの学説では、物質的なコストと報酬が最高位に君臨しており、「公正感」「正義」などの曖昧な法律上の概念は、「中身のない用語」と侮蔑される。ただし、コミットメント・モデルの視点からは、公正にこだわったことがある方が、自己利益をうまく追求できる可能性。カーネマン等の実験では、取引することが合理的なケースであっても不公正な提案を拒否するケースが高い比率で生じる。
  • 自己利益追求モデルでは、賃金は利益率とは関係しない(実際の働きよりも高い賃金を支払う会社があれば、労働者はその会社に移り、結果的に賃金は同じになる)。会社にとっての(労働の)留保価格は、赤字にならない最高額の賃金であり、労働者が公正さにこだわる場合、その分け前を要求する。

第10章 愛

  • ゲーリー・ベッカーは、結婚について「効率の良い結婚市場には目に見えない価格が存在していて、人々は価格の同じ結婚の中で幸せ度が最大の結婚を購入しようとしている」と論じた。このように個人関係を交換モデルで考える見方とイェーツ等の愛に関する伝統的な考え方は相容れない。結婚に係る不確実性がある限り、長期的な利益を高めるための共同投資は危険。これを解決するコミットメントとして、結婚の制度があり、愛は、関係を維持したいと思わせるにんじんの役割と同時に、関係を捨てることへの鞭の役割を果たす。
  • デビッド・マクレランドの解釈では、脳は多くのモジュールからなっており、これらのモジュールは独立に情報処理や行動の動機付けを行うことができ、様々な非言語モジュールが言語中枢と結びつく程度は同じではない。合理的な説明は、脳の非言語的部分から生じた感情や行動に対して。言語中枢が提供する説明に過ぎず、結婚の理由として意識されていることは本当の動機とほとんど関係がない可能性。

第11章 人間の品位

第12章 まとめ

  • 他人の利益を自分の利益より優先させる道徳行動は、物質主義の力のもとでむしばまれてきた。アダム・スミスの意図に反し、見えざる手の考え方は自己利益さえ追求していれば世の中うまくいくのだとする考え方の種を蒔いた。ダーウィンの考え方は、さらに、自己利益の追求に失敗すると我々の身が危険にさらされるという印象を作り出す。ジェームス・コールマンが強調するように、社会の規範は、重要な社会資本であり、その維持に失敗するとより目に見える経済的基盤を維持できない場合と同様に、社会が後退する。

コメント 経済学は方法論的個人主義を基礎とし、その上で、家計や企業等の経済主体は、常に「合理的」に振る舞うものとされる。しかしながら「囚人のジレンマ」のような状況に出会う時、その「合理的」(機会主義的)な振る舞いが必ずしも自分に利益をもたらすとは限らない。この「ジレンマ」を避ける上で、「コミットメント」が有効であるが、生きた経済・社会の中に「コミットメント」を成り立たせる上で、感情が重要な役割を果たすことが丹念に傍証されている。物質的要因は行動を司る唯一の力ではなく、合理的計算は報酬メカニズムへのいくつもの入力のうちの一つ*1というものの見方は、ありがちな「経済学至上主義」的ものの見方への警鐘であり、特に会社や人間といった生きた存在の価値を考える上では、無視することのできない重要な観点であると思う。
話は変わるが、「人のいやがることはするな」という規範と「人の望むことをせよ」という規範を比較したとき、前者には、慣行としての経済的基盤を維持したいという観点からコミットメントが成立し得るが、後者は、いわば無償の贈与であるため、経済・社会環境の内部からは生じ得ない規範*2のように考えていたが、「互恵的利他主義」の観点からコミットメント・モデル、人間の感情に関する本書の含意や『冬ソナ』的愛の観点からは、必ずしもそう言い切れるものではないのかも知れない。
ところで、本書には元々、コミットメント・モデルのフォーマルな定式化に関する補論がついていたようであるが、翻訳にあたって削除したとの由。「監訳者に直接ご連絡いただきたい」と言われても...

*1:「最後の『冬ソナ』論」にある心のモジュール性に関する議論も参照。

*2:宗教(キリスト教)によって「外部」から導入されることではじめて成立する規範。