ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

菅野覚明「神道の逆襲」

神道の逆襲 (講談社現代新書)

神道の逆襲 (講談社現代新書)

第1章 神様がやってきた

  • 神は、外部から来る客であり、祭祀はその接待。朔太郎の『猫町』は、神との直接の出会いの体験として読み解くことができる。その「異形の世界」は、人々の見慣れた日常世界と、「骨牌」(カルタ)の表裏のように一体のもの。

第2章 神道教説の発生

第3章 神国日本

  • 神を神聖なものと捉えることは、日本の神の持つ奇しく異しい、底知れぬ豊かな奥行きを、やせ枯れた抽象へとすり替える。

第4章 正直の頭に神やどる

  • 「神に愛されるもの」の特徴は「馬鹿正直」(柳田)で無分別。その事が必ず成功するとは限らないが、例えば、『西鶴諸国ばなし』に出てくる勘内らの無分別は、「こちら側」からみれば騙されたのかも知れないが、呼んでる向こう側からすれば、単に命令に従ったということになる。

第5章 我祭る、ゆえに我あり

  • 吉田神道は、これまで、特定の神社に伝えられた祭神・鎮座起源・祭祀等の秘伝・伝統を基にした教説(本ジャク縁起神等)か、密教の理論・行法により神を祭るもの(両部習合神道)としてあったのに対し、現象しているこの世界の根底にある実在に直接関わる神道(元本宗源神道)。

第6章 神儒一致の神道

第7章 神道の宗源は土金にあり

第8章 危ない私と日本

  • スサノオの荒びに対する天照大神の対応に現れる「神の道」とは、平時には和歌の精神によって個々の私の情を極限まで許容し、私情が暴力として発動した有事においては、それを武力で受け止めるというもの。危うく激しい私情を秘めた人間に、十全に思いを遂げさせつつ、安定した秩序を保つというもの。

第9章 人はなぜ泣くのか

  • 埴谷雄高は「自同律の不快」の根源を、今にも泣き出そうとしている赤ん坊の不快な気分の中にみる。私が私である(自同律)とは、裏返していえば、私が私でないところのものを受け止めている感覚でもあり、全てが私と同一であったときのまどろみから、一切が私でない世界へ放り出されてしまった景色の断絶・反転の経験。
  • 「物のあはれ」とは、簡単にいえば、事物に出会ったときに心が動くこと。宣長によれば、心の本質は「動く」こと、揺れ動く情であり、限りある人間は、限りあるという制約の中でしか事物の真相に触れ得ない。この国土のあらゆる存在者が、根源的に有限性・不完全性を負っている。

第10章 魂の行方

  • 篤胤の見るところでは、心の本質たる情の動きは、宣長のような受動的な「あわれ」ではなく、一種の能動的なエネルギーの発動。人は死後、景色の裏側にある幽冥界で神となり、大いなる産霊の働きそのものと化す。生まれてきたもの(子供)から、生むもの(親・大人)への反転が、篤胤にとっての生の目的。

結び 神様の現在