備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

「揺り戻し」としての備忘録

 以下は、完全に自分向けの備忘録。

  • ある知り合いの働き方は、ほとんど寝ていないのではないかという位の「異常さ」(私からみれば)で、それでも休日も出払っていたりする。こうした働き方は、ワーク・ライフ・バランス的な見方からは、一律に壮年期の働き過ぎという言葉で括られ、「ポリティカルにインコレクト」なものとされてしまう。でも実際問題、そんな働き方ができるのは、仕事がおもしろいからであり、でなければそれは不可能。自分も10数年間の職業生活の中で、やけに仕事がおもしろかった時期は(Sさんと一緒に仕事をした時期を含め)3度程あり、そのときは寝ている時も仕事のことを考えているということを経験済み。無論、睡眠不足などほとんど気にならない。それは、ある意味、恵まれていると言うことかも知れない。
  • 格差が話題になることについては、政策的には「下の方」を考えることに意味があるのだろう。「上の方」については、自分の経験からみると、給与の高い人は優秀な人が多い。上述のような働き方をしている人も多分優秀な人が多く、給与が高くなるのは当然かも。ホリエモンや村上さんなども多分優秀な人で、彼等にあった人(その人も自分より優秀な人)が実際そういっていたし、(ホリエモンについては)森拓先生もそう認めていたはず。とすれば、「上の方」の給与が高くなることによる格差の拡大は必ずしも問題ではなく、消費や投資を通じてトリックル・ダウン的に経済が拡張するとも言えるのでは。問題視すること自体、ルサンチマンに見えてしまう。
  • サンフォード・ジャコービィの本に共感し、漸進的に変化する日本的経営を評価する立場に立ちつつも、こうしたコメントを置くのは、どこかに変化が必要と考えているということか。適正な企業開示を基礎とした、市場参加者のプレッシャーによる経営への規律付け、という考え方は、思えばここ数年で自分の中では確立していた考え方。資源ベース・アプローチとかちまちま書いたところで、擬似経営者となった我々にケン・フルートが「投資家は、リスクを冒して投下した資本に対して、どれだけのリターンを生み出してくれるのか説明を求めている」と迫るときの、その理論と「人間力」を前にしては、まさに風前の灯火。もっと若い頃に、こうした厳しい授業を受けれる様な経験ができてたらどんなにかよかったか。