ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

文春新書編集部編「論争 格差社会」

論争 格差社会 (文春新書)

論争 格差社会 (文春新書)

コメント 格差問題をめぐる論文集。
 第1部『「格差」は本当にあるのか』では、近年の世帯所得ジニ係数の上昇が、世帯主の高齢化を主因とするものであるとする大竹文雄氏の論文、職業階層別に特に専門・管理層の経済的優位度をみると、①階層間では専門・管理層の経済的優位度は次第に低下しており、②階層内の格差は低下傾向にあったが、85年の調査からは拡大傾向になる、とする白波瀬佐和子氏の論文等が取り上げられ、格差が拡大「傾向」にあるとの議論は根拠が乏しいことがデータによって立証される。なお、この中には格差の世代間移転についての議論は含まれていないが、この点についても、格差の世代間移転の「傾向」が強まっているとの議論には根拠が乏しいとする盛山和夫氏の論文*1がある。
 第2部は『ニート=新たな「下流社会」か』と題し、若年層における格差の問題が、主に「質」の面から論じられる。山田昌弘氏は「ステイタスの格差」との言葉を用い、努力が報われる環境にある者と、努力が報われない環境にある者に二分化する「希望格差社会」について論じ、斎藤環氏は、小泉首相堀江被告の破壊者のイメージに負け組達が引きつけれらる一方、破壊後に新たな価値やシステムが自生するとの根拠の無い確信があることを論じる。これらを踏まえつつ、稲葉振一郎本田由紀、若田部昌澄各氏の議論に進むと、特に若年雇用問題と雇用慣行をめぐる議論が興味深い。非正規から正規への移行ができるよう雇用の流動化を進めるべきとの本田氏の意見に対し、景気回復の重要性、自生的にできた雇用慣行へ人為的に介入することの副作用、という観点から稲葉・若田部氏が反論する展開。この点については、自分の08/10付けエントリーと関連しているので詳しくは論じない。また、ここで取り上げられる若年層の問題全てに共通して、マクロの経済環境が違ってくればかなり違った論じ方がされるであろうことも踏まえておく必要がある。
 第3部『「格差社会」を生き抜くために』では、最初に竹中平蔵氏の対談が取り上げられる。IT革命の進化等世界的に格差拡大の圧力があること、労働市場の下方硬直性の問題等が論じられ「景気回復よりも構造改革の方が重要」と述べる最初の展開には違和感を感じる。景気の回復は、格差拡大の圧力や労働市場の下方硬直性の問題を緩和するであろうし、構造改革(潜在成長率の向上)を進める上でも重要である。問題の順序を取り違えるべきではない。
 次の森永卓郎氏と二上能基氏の対談は、森永氏の悪い部分が強く出ている対談であると思う。森永氏は、現在の経済・社会環境を所与としてサバイバルを論じる論者であるが、マクロ経済的に考えればジリ貧の思想である。NPO的大家族のパラサイト・ネットワークを創ろうとの二神氏の言葉に対し、「このままの方向性でよいとは思ってはいないが、弱肉強食・市場原理主義の資本主義経済に移行していくのであれば、一般大衆はそうやって手を携え助け合う構造を創るしかない」と言葉を返す所などは、単なる広告塔のように思える。
 最後に、佐藤俊樹氏の論文と日垣隆氏の論文には、基本的な要素に対照的な違いがあり、比較して読むと面白い。佐藤氏は、格差問題が議論される時、本来測ることができないものを測ろうとし、公平でないゲームを公平だと言い募る。こうした議論は、本来自己責任でないものを自己責任に帰し、「人間の尊厳」を侵すものだとする。一方の日垣氏は、自分が貧しいことを社会の仕組みが間違っているためと考えるような思考を「愚鈍」と断じ、家族以外の社会はおよそ自分の都合では決まらず、他者の都合の総和で成り立っているという事実と向き合う必要を説く。*2自分は、先に、人生のスタート時点の格差(概ね「機会の格差」か)についてとやかく言う必要はないと書いたことを含め、どちらかと言えば日垣氏の議論の方に近いのかな(?)という気がするが、これら二者の議論をベースに様々な議論が出てきたら面白いとも思う。

*1:「階層再生産の神話」(樋口美雄等編「日本の所得格差と社会階層」所収)。

*2:日垣氏の論文には、若年層の結婚の問題や非正規雇用の増加について格差拡大の証明にならないとする点等、若干極端に過ぎる議論はあるが、全体の流れに影響しないため留保しておく。