ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

稲葉振一郎、立石真也、塩川伸明「所有と国家のゆくえ」(ジュンク堂トークセッション)

 行って参りました。内容については、いずれ活字になると思うので、ここでは概要報告に留めます。
 セッションは、塩川氏の報告と稲葉・立岩氏への質問から始まり、これに対し両氏が答える、という形で進行。塩川氏は、「現存する(した)社会主義」について、もう一度考える必要性を指摘。「現存する社会主義」を中央集権・指令経済と考えるのは短絡的で、現実には、「隠れた市場」「互酬」等、末端の人間関係の中で経済は補われていた。80年代以降、市場経済の要素を併せ持つ社会主義体制への移行が志向されたが、90年代初頭の市場経済への全面的な体制移行は、いわば「逆方向のボルシェヴィズム」であり、目的が正しければ手段は正当化される、といったものであったことが指摘される。
 次に、平等の概念について、「結果の平等」と「機会の平等」の二者択一の議論がされがちである現状について、両氏の考えが問われた。また分配について、大方の人はそのようなものだと納得するだろうが、一方で「取られる側」には不満が生じる。これをどのような理屈、或いはその他の手段で説得出来るのか、またそれはどういう手順で実現されるのか、との点について、立岩氏が問われる。稲葉氏に対しては、「人的資本」を最後のよりどころとする議論について、それで済む話なのか、と問いかける。これらに対する両氏の答えは、概ね、書籍等の内容と重なると思われるので省略する。
 最後に、塩川氏は、近年のラディカル・デモクラシーについて、かつての共産主義運動と同じ罠に嵌っているのではないかと指摘する。稲葉氏は、立岩理論について、生存権というのは権利であり、そうである以上、万人に保証されたものでなければならない。分配的正義論に納得のロジックを持たせるには、「少数の」不幸な者、疎外された者、抑圧された者を対象とするものでなければならない。「私的所有論」では、「他者」を肯定するという人間の性質にその理屈を求めているが、それは倫理の話であり、制度の話には成り得ない。かつての左翼運動は多数者のための革命であったが、近年の先進国では多数者は程々に裕福である。「強者のルサンチマン」の状況をどうすり抜けていくのかが問題であることを指摘する。
 これらに対し立岩氏は、現実にどう実現させるかとの課題については、まだ詰めて行かなければならないことを認め、その上で、(分配的正義論に納得のロジックを持たせることについて)自分は「直感的に」出来ると思う。出来ない気がするというのであれば、個々の成分ごとに問いの形にした上で、それに答えて行きたいと答える。
 その後、会場からの質問があり(意味不明)、塩川氏が回答した後終了。

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