ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

山田鋭夫「レギュラシオン理論 経済学の再生」

1 資本主義はどうとらえられてきたか

  • 富国とは金銀を豊富に持つ国であるとする重商主義に対し、A・スミスは、富とはふつうの人のふつうの生活にとっての必需品や便益品であり、それが豊かに行き渡っている国こそ豊かな国であるとして、富の考え方を転回。また、そのように生活用品を増大させる原因こそが「分業」であり、それによる生産力の発展であるとする。
  • ケインズは、政府の経済的役割を重視する視点を開いたが、そこにあるいくつかの新しい着想には、一つは経済における有効需要問題の重要性という観点があり、もう一つは労働市場は他のふつうの商品の市場とは異なる特別のものだという認識がある。また、それらの背後にあるのは、市場という制度は極めて不安定なものだという直感。

2 レギュラシオン理論の誕生と理論家たち

  • 「調整」という見方は、何よりも新古典派流の「均衡」に対置して提示されたもの。その考え方の基礎には、資本主義は矛盾と葛藤を動力とする運動体だというマルクス的な認識があるが、矛盾しているから直ちに崩壊だとはみない。根本的な問いは、これほどに矛盾している資本主義がそれでもある程度安定し、再生産が進行していくのは何故か、というもの。その時に、矛盾が何らかの形で上手く誘導され回路付けられる仕組みとして「調整」があり、それは各国各時代の各種制度のうちに具体化されている。諸個人は歴史や制度から独立した「合理的」存在などではあり得ず、そうした制度やルールの中で、それに順応し誘導されたり拘束され反発したりしながら、戦略的対応を図る。

3 レギュラシオンとは何か

  • レギュラシオン理論の概念は、大きく分けて「制度諸形態」(賃労働関係、貨幣形態、競争形態、国家形態等)、「蓄積体制」(特定期間、資本主義の再生産が安定的・規則的になされていく、その規則性のマクロ的ないし表式的な構図)、「調整様式」(「調整」のある特定の在り方)、「発展様式」(特定の「調整様式」に媒介された特定の「蓄積体制」という、資本主義のある特定の在り方)、「危機」の5つに分けられる。
  • レギュラシオン理論では、コンドラチェフ波動を発展様式の興隆と衰退とみる。1873年をピーク、1896年をボトムとするヴィクトリア朝的繁栄においては、生産財部門に傾斜し工場規模や労働人口の外的拡大により経済が成長する「外延的蓄積体制」。賃労働関係においては、労働者は熟練を持ち自分のペースで仕事をする一方賃金は労働の需給状態如何により激しく上下する「競争的調整様式」。

4 フォーディズムの時代

  • レギュラシオン学派の用いる「フォーディズム」概念は、国民経済全体を指すマクロの概念。この時代のマクロ経済の構図の中に示される需要→生産性の回路(「規模の経済」「収穫逓増」)は、テーラー主義の受容による工場の大規模化とそれを可能にする多くの製品需要により実現される。生産性→賃金の回路もこの時代の特徴であるが、これは「フォーディズム的労使妥協」という調整様式により「生産性インデックス賃金」が導入されたことに伴うもの。
  • フォーディズムの下での規格化された製品が市場を一巡すると、市場は多品種少量消費型の需要動向を示すようになる。また、テーラー主義原理の徹底は、労働意欲の減退を招く(アブセンティイズム、サボタージュ等)。加えて、ケインズ主義の成功による完全雇用の実現により、労働者はさらなる高賃金を要求する。このようにして、フォーディズム的発展様式は瓦解した。

5 ボルボイズムとトヨティズム

  • フォーディズムの危機の中で進行しているのは、各国の進路の分岐。ネオ・フォーディズム(米、英)では、従来の労使妥協を破棄し賃金の抑制(フレクシビリティ)を図る。しかし、米国で創出された雇用は主にサービス業の単純労働であって生産性の回復には繋がらず、利潤も生産的投資には向かわないため生産性に連動しない。
  • ボルボイズム(スウェーデン、独)は、脱テーラー主義により、労働者の判断力の重視、多能的な熟練労働、労働者による機械の支配、労働者の参加意識と責任ある自律を原理として労働を再編する方向に向かう。
  • トヨティズム(日)は、労働編成の面ではボルボイズムと同じであるが、労使妥協の面、つまり、生産性の分配においてはボルボイズムに劣り、さらに(非正規を含めた)労働者間分配、(非労働者を含めた)全成員間分配はあまり公正とは言えない。日本の企業社会では、株主を「外部化」した代わりに労働者を「内部化」し、自発的な労働への参加、責任の分担を求める。その結果、企業人には仕事や義務が無限定に降りかかり、サービス残業等も生まれる。

6 21世紀の資本主義

  • テーラー主義が高い生産性を上げるには原材料の規則的・連続的供給が不可欠であるが、ソビエト・モデルは「不足による調整」を特徴とする(「リズムなきテーラー主義」)。また、生産財と軍需財の生産が優先され消費財は後回しとなる。労働者は仮に賃金が上昇しても、購入すべき消費財を見いだせず、価格の高騰・品質の劣化が生じる。月末、年度末のフル操業に対応するため、企業内で失業している労働者にも僅かな賃金を支払う(偽装失業)。
  • フォーディズムによる消費拡大はエコロジー危機を招き、そのシステムは南北格差を前提とする。これを打開するため、各国は自国の制度的文脈に立脚しつつ、そういった方向での発展様式を定義すべく、自国経済と国際経済の現実を明らかにする必要がある。その道具としてレギュラシオン理論はあるが、これを鵜呑みにしたり体系化を図ったりするのでなく、これを駆使して現実を見、よりましな未来を選択していくこと(民主主義の経済学)が必要。

コメント レギュラシオン理論は、マクロ経済の構図を諸制度との関係の中で考察し、各国各時代の様式・システムを描き出す試みであり、理論それ自体は非常に興味深い。しかし、それを紹介する著者の経済学観にはかなり独特のものがあり、この点を十分留意して読み進める必要があるだろう。例えば、著者は次のように述べている。

 マネタリズムサプライサイド経済学は、レーガン共和党政権によって実際に採用されたこともあって、新しい古典派は1980年代、いわば我が世の春を謳歌した。しかしその結末は悲惨なものであった。アメリカの財政赤字貿易赤字が膨張しただけではない。市場万能主義への傾斜は貧富の差を拡大してしまい、こうして「ロス暴動」(1992年)にみられるように、アメリカ社会は不安定なものになってしまった。

 1993年という本書の出版時期を考慮する必要はあるだろうが、その後の米国経済の動きを鑑みれば、必ずしも的を射たコメントではない。また、英国経済においていわゆる「新自由主義」的な経済政策の果たした役割の重要性については、先のエントリーでの岩田規久男氏の著書にもあるとおり。
 さらに、その後の議論においても、著者の述べる「民主主義の経済学」が何を目指しているのか、そこでは何が主体となって新たな「発展様式」が構築されていくのか、今ひとつ見えてこない。*1
 レギュラシオン理論におけるフォーディズム理解に関しては、日本に絞って考えると、産業構造の変化、特に農村部から都市部への人口移動という要素は無視し得ない意味を持っているように思う。また、傾斜生産方式が採られたことにも表れているように、「生産性インデックス賃金」はかなり遅れてもたらされたのではないかと推察される。そのように考えを巡らせると、レギュラシオン理論の特殊な理論フレームに従って考えることにどれだけの意義があるのか、要検討である。*2

*1:ゲーム理論の領域に関わる話か。

*2:加えてミクロ的な基礎がない、との批判も有り得るように思う。