備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

田中秀臣「日本型サラリーマンは復活する」

日本型サラリーマンは復活する (NHKブックス)

日本型サラリーマンは復活する (NHKブックス)

本書の内容 本書では、日本の「サラリーマン」を「戦前・戦中は企業に勤務する人でも特に事務・営業職であるホワイトカラー」「戦後は原則的にはホワイトカラーとブルーカラーの双方」と緩やかに定義した上で、歴史的な視点から、また、景気循環との関係という側面からサラリーマンを巡る諸問題を考え、将来のサラリーマン像を展望している。
 第1章では、社会階級としてのサラリーマン像が1920〜30年代において、①知的なインテリ、②階級闘争に関わる重要な新しい「階級」、③大衆消費文化の担い手、等の点から新たに規定されたとされ、その後は、高等教育機関の卒業生の激増という「構造的要因」、第1次大戦後の長期不況という「循環的要因」によって、サラリーマンは受難の時代を迎えたことが指摘される。
 次の第2〜3章は、サラリーマンに係る4つめの視点である、④サラリーマン根性を取り上げ、現代にも繋がるサラリーマンのインセンティブ・システムを検討する中核的な章である。まず、日本の長期雇用システムについて、高度成長期における労働力への持続的な需要の存在から、経営者が独自の教育制度、福利厚生の充実を図ったこと等がその成立に大きく関わっており、雇用に対する経営者のコミットメントによって維持されたものではないことが、1960年における大河内一男の予測の誤りを題材に論じられる。年功制については、遅い昇進・小さい格差が従業員に厳しい競争を強いるメカニズムを持つことを熊沢誠森永卓郎の議論を通して論じ、より重要な点として、人よりも高い役職に就くこと自体が働く意欲をもたらすという「ウェブレン財」(=みせびらかしの消費)的観点から、中高年層が限界生産力を上回る支払いを得ることが長期的観点から正当化されることを指摘する。同様に、「信頼」が取引コストを引き下げるという「社会資本」的観点からも、その妥当性は指摘される。最後に、企業内組合の役割については過大評価すべきでないとし、企業の組織改善に与えるより重要な経路として、A・ハーシュマンの指摘するボイス機構の存在や、働く者の経営者に対する一種の権力(高田保馬が「経済外的勢力」と命名した社会が労働者に与えた権能)の存在を指摘する。さらには、日本の雇用システムを支える負の側面として、縁辺労働力の存在を指摘し、「求職意欲喪失者」の存在が日本の低失業率を支えたとする野村正實の「全部雇用論」が取り上げられる。
 さて、ここまでは、日本の雇用システムは(縁辺労働力の存在という負の側面を持ちつつも、)サラリーマンの勤労意欲に働きかける合理的なものであることが論じられてきたが、そこには、(サラリーマン根性という視点に繋がる)「会社人間」という日本型サラリーマンにとっての病理的な側面*1を持つことが、奥村宏の「法人資本主義論」を通じて指摘される。さらに、これを下敷きとしつつ、第4〜5章では、近年の長期不況が労働強化や職場環境の悪化をもたらし、サラリーマンの危機を生じさせていること、さらには、近年広がりがみられる業績・成果主義について、マクロ的な一国経済の冷え込みがミクロの次元である会社の業績低迷をもたらし、それをさらにミクロの次元である社員個々の責任に帰するための道具として「悪用」されている可能性を指摘する。その中では、「IT革命」が組織のフラット化を進めたという実例は少なく、高山与志子のいう「レイバー・デバイド」は、少なくとも日本においては、縁辺労働力(非正規雇用者等)の増加という形で進行していることが述べられる。しかも、それは不況による雇用の短期化という現象から生じたとされる。
 最後の第7章では、A・ハーシュマンのエグジット−ボイス機能を下敷きにしながら、今後のあるべきサラリーマン像を展望する。旧来の「会社人間」はエグジット、ボイスの機能がともに制限されてきた。これに対し、エグジットの機能を高める方向として、組織に拘束されないと同時に組織の改変にも執着しない、いわば米国の上級ホワイトカラーに代表されるような方向性(S型サラリーマン)もあるが、自らの仕事の場を勤労モラルを持って改変しようとする意志を持ったサラリーマン(J型サラリーマン)こそ、模索すべきものであるとされる。また、その為には、経営者に対する資本市場からの規律付けと、職場の風通しの良さ、サラリーマンのボイスが本人が十分納得できるような形で評価されること、業務の明確化といった点が必要となってくると指摘する。

コメント 日本の雇用システムを「循環的要因」からみることも重要である、というのが本書の第一の論点であり、本書の大きな特徴を作り上げている。長期雇用という仕組みも経済成長を抜きにしてはあり得なかったとされる。この点に関しては、これまで、時に経済のグローバル化や「IT革命」に伴う働き方の変化など「構造的要因」から論じられることが多い中にあって、重要な指摘であるといえる。例えば、近年非正規雇用が増加していることについて、働き方の変化以上に長期不況というマクロ的な要因が大きかったことは、漸く社会的にも認識されつつある。
 一方、長期雇用に関しては、経営者の雇用保障というコミットメントが労働者の技能蓄積に向けたインセンティブを高め、生産性の向上に寄与したという「人的資本」側からの論点も重要である。また、このような日本の雇用システムの持つ強みが経済成長に寄与したと論じることにも一定の妥当性があると考えられる。なお、「人的資本」の側から経済成長を捉える後者の見方は、本書の対象となるサラリーマンよりも、むしろブルーカラー労働者を経由して考えた場合の論じ方であるといえよう。
 業績・成果主義については、その問題が指摘されつつも、依然として広がる傾向がみられる。ただし、最近の制度変更は、必ずしも短期の企業業績や個人の成果だけを重視するのではなく、むしろ個人の能力や仕事のプロセスを評価する仕組みに変化しつつあるとも言われている。業績・成果主義の出自に遡れば、確かに長期不況の中で、マクロの問題をミクロの、個人の責任にまで帰そうとする「向き」にその源があったのかも知れないが、一方で、雇用関係が個別化する方向性は(経済の単位が「家計」から「個人」へと移行し、多様な労働者の「公正」な処遇の在り方というものが志向される中にあって、)避けられないものであるようにも思われる。また、働き方も(特に、ホワイトカラー職業では)明らかに変化しており、仕事と余暇・自由時間との「境界」も次第に曖昧になりつつある。
 個人的には、本書に言う「J型サラリーマン」というものが今後表れてくるに際し、業績・成果主義による評価システムの高度化は重要な要素となるように思う。加えて、外部に競争的な労働市場が存在する、ということももう一つの重要な要素であるが、この点については、長期雇用に対する企業の志向性とどう折り合いをつけるのか、企業ではなく市場に支えられる日本の雇用システムといったものが、生産性を維持しつつも、本当に機能するものと成り得るのか*2フィージビリティの観点を含めて検討すべきことは残されている。*3

余談 経済財政諮問会議(平成18年第22回)資料には、「「創造と成長」に向けて」と題された有識者議員提出資料があり、その中には、日本経済の潜在成長率を高めるための7つの課題の一つとして次のような記述がある。なお、この記述の内容は、有識者議員の一人である八代尚宏氏の往年の主張と一致している。

労働市場の効率化(労働ビッグバン

  • 経済全体の生産性向上のためには、貴重な労働者が低生産性分野から高生産性分野へ円滑に移動できる仕組みや人材育成、年功ではなく職種によって処遇が決まる労働市場に向けての具体的施策が求められているのではないか。

 本書の第6章では、AD−AS分析(ただし、AS曲線は、完全雇用産出量水準で屈折)をベースとして、構造改革により産業構造が高い生産性を持つものに転換できたとしても、需要が不足したままでは(AD曲線一定)、AS曲線が右シフトする。この場合、デフレ・ギャップは拡大し失業は一層増加することが論じられている。近年、GDPギャップがゼロとなったとの話も聞かれるが、これには推計方法を改めたことによる影響があり、現在の推計方法では「ゼロ」水準に厳密な意味はない。このような雇用流動化論は、現時点における非自発的失業者の存在を無視している。こうしたことを論じていくためには、併せて、金融政策のバックアップによる需要拡大策が前提とされる必要があるだろう。
 上記の八代氏の議論の裏面には、恐らく、経済は常に一般均衡の状態にある(AS曲線は垂直)という前提があるのではないかと想像する。いやそれ以前に、このような旧式の雇用流動化論は、単に製造業振興を志向し、ペティ・クラークの法則を「反転」させようという非現実的な試みのようにも思える。

*1:「会社のためならどんなことでもします」という論理、その為には、社会正義に反することであっても行ってしまうという近年みられる日常的な光景。あるいは、そのことを「致し方ない」と感じる社会の視点。

*2:仮にこのような方向性が成立するとすれば、本書の第6章で論じられている「教育バウチャー制」は、今後の日本の雇用システムの中で重要な機能を担うこととなる。

*3:個人的には、長期雇用が維持され、企業における職業能力開発を重視するこれまでの長期雇用システムは今後も維持されていくのではないかと考えているが、ホワイトカラーとブルーカラーの雇用システムが分化する可能性も否めないと思っている。