備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

飯田泰之「ダメな議論−論理思考で見抜く」

ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)

ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)

本書の内容 本書では、「無内容な主張」「明らかに間違えている主張」を「ダメな議論」とし、専門的な知識が無くとも論理思考でそれを見抜く方法を伝授する。
 第1章では、まず、「ダメな議論」であっても常識化されてしまうメカニズムが、自分にとって都合の良い言説だけを記憶しがちであるという人間の性向(セレクティブメモリ)や、コールドリーディングという説得術によって説明される。人が納得を得るのは、論理よりも共感に基づく場合が多いという指摘である。
 第2章では、「ダメな議論」を見抜く実践編であり、①定義の誤解・失敗はないか、②無内容または反証不可能な言説、③難解な理論の不安定な結論、④単純なデータ観察で否定されないか、⑤比喩と例話に支えられた主張、という5のチェックポイントが提示される。また、政策提言を評価する際の留意点として、失敗したら致命的なダメージが社会に及ぶような場合は、よほどその正当性が確実でない限り実行すべきではないと指摘する。
 第3章は、前章のチェックポイントを利用した論理的・科学的論法に対するあり得べき反論の数々があらかじめ検討される。例えば、問題を適切に分割し、個々のタームの定義を明確にし、パートごとにデータによる検証を行う、というプロセスを「分析的思考」と呼び、これに対する「総合的思考」は、説得術のみの勝負になりがちで無意味であること、「…が100%正しいとは限らない」「それで全てが解決されるわけではない」といった論法を「虚無論法」と呼び、こうした主張は正しいにしても「世の中理屈じゃないんだよ」というボヤキとさして変わるところがないこと等が指摘される。
 最後の第4、5章では、経済・社会問題に関する現にある言説が取り上げられ、第2章の①〜⑤のチェックポイントを経由して、論理的・科学的な見方からすると奇妙な議論であることが示される。例えば、ニート、国際競争力などは定義に誤解があること、「大規模バブルの後には大停滞がくる」との議論や創造的破壊論には、現実のデータからは実証されないこと等が論証されている。

コメント まずは、自分自身も知らず知らずのうちに「ダメな議論」をしている可能性が、本書のチェックポイントを通して感じられてしまった。特に、このブログでも「本来的」という言葉をしばしば使っていると思うのだが、「自然な状態」「通常の状態」という発想は「自分が正しいと思う状態」を示すということが指摘されている(p.106)。確かに、「本来的」と書いている時は、何らか論証すべき事項があるのにそれをスルーしてしまっているような気はする。
 自分の考えるところとしては、経済・社会問題について単式簿記的な議論がされている場合に「ダメな議論」が多いような気がする。同じ一つの「取引」を自分の立場だけでなく相手の立場に立ってみると、大概の場合は等価交換である。まあ、これを突き詰めて、ではどの様な場合に付加価値は生まれるのか、とか考えてしまうとそれはそれで「ダメな議論...以下略)