備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

労働分配率をめぐるいくつかの考察

1.労働分配率の適正水準とは?

 労働分配率に関する議論が近年喧しいが、結論的には、労働分配率に適正水準などというものはない。労働分配率は、賃金の粘着性の存在から、景気循環に応じて変動する(企業の生み出す付加価値が高まる好況期に低下し、不況期には逆に高まる)というのが定型的な事実である。
 また、経済分析において、通常一般に使用されるコブ・ダグラス型生産関数を基に考えれば、労働分配率は、経済成長への労働の寄与が大きくなれば高まり、小さくなれば低くなる。これは、労働への配分が労働の限界生産力となる(逆に資本への配分は資本の限界生産力となる)仮定からの当然の帰結である。つまり、労働節約的な設備投資を行えば、当然、労働分配率は低下する。このように、労働分配率は、長期均衡の観点からみても変動して当然なのである。
 一方、人口減少社会では、従業員の賃金が高まるからウマ〜というかの理論は、ハロッド・ドーマーの成長理論に基づき分析されているが、この理論における生産関数は、資本と労働の代替関係を認めないレオンチェフ型生産関数である。*1ここには、労働節約型の設備投資という考え方が入り込む余地はない。このような理論的限界が、この理論に対する違和感を生む原因となっている。(たぶん)
 確かに、ここ数年で株主配当・役員報酬の割合が急激に高まっていることは事実である。しかしその一方で、支払利息等については近年大きく低下した。このことは、メインバンク制の弱まりとそれに変わりコーポレート・ガバナンスの中での株主の力が高まったこと(反面、株主のモニタリング・コストの高まり、つまり、より多くのリスク・テイクも必要となっている)を反映しているとも考え得る。
(追記)削除線部分に関しては、コメント欄の飯田先生のご指摘を参照。

2.労働分配率を高めることは格差を拡大する?

 このように、労働分配率の適正水準を云々することには何の意味もない。*2しかし一方で、これを企業規模別に考えてみると、別の問題がみえてくる。労働分配率を資本金規模別に長期的にとったものが下のグラフである。

 90年代以降の動きに着目すると、資本金10億円以上の大企業では、既に90年代前半頃から労働分配率の長期的な低下傾向がみられ、2001年以降は、特にその低下が著しい。一方、その他の規模では、90年代には、労働分配率はむしろ高まっており、今般の景気回復期に入り、漸くその低下傾向がみられるようになっている。この事実を正確に解釈するにはより詳しく分析する必要があるが、1つの解釈として、90年代の費用節約的な企業行動が(大企業の下請企業に対するコストカット要求などを通じて)企業規模間の体力格差を広げ、労働分配率の規模間格差の拡大に繋がっているのではないかと思われる。実際、従業員1人あたりの付加価値額は、資本金1億円以下の企業で90年代後半以降の下落が著しい一方で、10億円以上の大企業では大きく高まっている。*3

 この解釈に従えば、次のような含意が生じる。これらの含意の妥当性については、識者の御意見を希望したいところ。

  • 労働分配率を高めるには、大企業の労働分配率を高めることが必要である。このことは、規模別の労働者の賃金格差を広げるため、格差問題の解決には繋がらず、むしろ格差を拡大する。
  • 現在の景気拡大は大企業(特に輸出産業)を中心としたものであり、中小企業の状況は必ずしも明るいものではない。現下における利上げは、特に中小企業の経営環境を悪化させるため、国内経済政策の観点からは好ましいものではない。
  • また、最低賃金の過度な引き上げについても中小企業の経営には悪影響を及ぼす。このことが、雇用情勢・賃金水準の悪化を引き起こせば、格差はさらに大きなものとなる。

*1:ハロッド・ドーマーの成長理論によれば、均斉成長経路は、自然成長率(労働をを完全に利用する場合の成長率)=保証成長率(設備を完全に利用する場合の成長率)という状況を継続させることにおいてのみ成立する。このため、政府の経済政策は不可欠となる。

*2:現代の日本社会が「総資本」と「総労働」の闘争によって社会の配分を決めるような時代ではないことは、北城洛太郎経済同友会代表幹事も認めている(02/02付け朝日新聞朝刊)。とすれば、個別の経済主体の最適化行動をその基礎に持つ経済学的含意こそが、より重要な見方であると言えるだろう。

*3:そうではなく、大企業の方がこの間より高いレベルの技術革新若しくは資本蓄積を実現したとの解釈も可能である。経済学的には、むしろこちらの解釈の方が妥当か。