ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

フリードリヒ・A・ハイエク「隷従への道 全体主義と自由」

隷従への道―全体主義と自由

隷従への道―全体主義と自由

第1章 見捨てられた道

  • 欧州近代史の全期を通じ、社会発展の一般的方向は、慣習・法規により拘束された個人を開放することにあり、その最大の結果は、驚くべき科学の進歩。しかし自由主義政策の緩やかな進歩への「苛立ち」から、世紀の転換期頃、その基本的教義に関する信念が放棄されることになる。この様な思想的方向の変化は、これまで思想が場所的に移動した方向と明らかに全く逆。

第2章 大きなユートピア

  • 根本的に個人主義的制度である民主主義は社会主義と調和せずに対立することをド・トクヴィルは認める。「民主主義はすべての可能な価値を個人に認めるが、社会主義は個人を単なる社会の一員とみなす」。
  • 「自由」には狡猾な修正が加えられる。政治的自由の偉大な主唱者にとって、その言葉は「強制からの自由」を意味するが、新しい自由は「欠乏からの自由」であり、そのためには「経済体制の抑制」が緩和されねばならない。この様な新しい自由の要求は、富の平等な分配の要求以外の何者でもない。

第3章 個人主義と集産主義

  • 社会主義下での集産主義、経済活動の中央集権化は、「原子的」な競争との中間的な方向へと導かれることはない。競争も中央指導も伴にそれらが不完全である場合には、貧しく無能力な用具となる。

第4章 計画化の「不可避性」

  • 独占は、(競争の下での技術的要因よりもむしろ)共謀的な協定によって成立し、国家政策によって促進される。
  • 全体が複雑化する程個人間に分散している知識によるところがますます多くなり、それらは、情報を伝達する価格機構という個人的関係から遊離した機構によって統合される。短期的には多様性と選択の自由のために払わなくてはならぬ対価が時として高いことがあっても、長期的には物質的発展はこの多様性に依存。

第5章 計画化と民主主義

  • 集産主義は、言葉の真の意味での全体主義。利用可能な資源について争う種々の人々の無限に異なる様々の欲望を理解しそれぞれに一定の重要度を付けるということは、人の能力を超えている。個人をその目的の最終判定者と認め、彼自身の見解が可能な限りその行動を支配すべきものであるという信念は、個人主義者の立場の本質を形作る。
  • アクトン卿曰く、自由は「より高い政治目的のための手段ではなくて、それ自身最高の政治目的であり、また自由はよい政治のために要請されるのではなくて、市民社会並びに私生活の最高目的の追求を保障するために要請される」。

第6章 計画化と法の支配

  • 形式化された法または正義と実質的な規則との区別は極めて重要。それは(謂わば)道路の規則を制定することと、人々が何処へ行くかを命令することの相違。「人間に服従するのではなくて、ただ法に服従することを要するときに、人々は自由である」(カント、ヴォルテール)。

第7章 経済統制と全体主義

  • 経済統制は、あらゆる我々の目的のための手段の統制。計画化の下では、個人は「社会的福祉」または「社会的善」というような抽象的なもののために当局に利用され、これまでより一層単なる手段となる。

第8章 だれがだれを支配するか

  • 国家は「誰が何を、いつ、どうして得るか」ということに関わるが、(1)特定の方策がどの様に特定の個人に影響するかを知り得るか、(2)政府の活動範囲、という根本的な点を区別する必要がある。
  • 新しい中産階級(略)

第9章 保障と自由

  • (1)全ての人に対する一定の最低生活の保障、(2)一個人または一集団が他の個人または他の集団に比して有する相対的地位の保障、の2種の保障を対比させた場合、前者の保障が与えられても、そのために一般的自由が危険に陥るようなことはない。

第10章 なぜ最悪なものが最高の地位を占めるか

  • 民主主義制度の終焉と全体主義制度の創造において最悪の集団が形成されがちな理由は、(1)個人の見解や趣味の相違の中で「最小の共通分母」である必要性、(2)扱いやすく騙しやすい人々の支持を得る必要性があること、(3)消極的なプログラム(敵を憎む、裕福なものを妬む等)に同意を得る方が容易であること。
  • 個人が自分自身を集団と同一化しようとする欲求は、しばしば劣等感の結果。従来、多くの人に独立に用いられてきた権力をある一つの集団に結合すると、権力は限りなく大となる。集産主義体制の下集団の目的体系を共通に認めさせると、そこから一定の道徳体系が発生。

第11章 真理の終焉

  • 全体主義の体制では、あらゆる行為の正当性は意識的な社会目的から引き出されなければならない。

第12章 ナチズムの社会主義的根源

  • ゾンハルト、プレンゲ、シュペングラー等(略)

第13章 われわれの中の全体主義

  • E・H・カー等(略)

第14章 物質的条件と理想目的

第15章 国際秩序の展望

  • 経済計画は、全ての外来の影響を閉め出すときに始めて実行可能となる。規模が大きくなるに従い、目的の順位についての一致の程度は少なくなり、力や強制に頼ることが増える。大国はいかなる指導機関にも屈服しようとはしないが、国際機関を利用し、その覇権を行使する地域内の小国の国民に対しその意思を押しつけることができるとの考えを背後に持っている。
  • 連邦主義は国際法が現実化され得る唯一の道。連邦体制下では、権力が多くの機関に分散。権力の分割は、同時に全体の国家と個々の国家の権力の制限として作用。

第16章 結論

コメント 08/24/07付けエントリーの様に、ハイエクの特徴はルールを重視し恣意性を持つ計画主義に批判的な所にある。個人の目的や欲望が複雑に絡む近代社会では、情報を伝達する価格機構(=市場経済)が重要であり、それによって個人を目的とすることは可能となる。一方、計画化の下では、個人は社会の目的に結合され、全体主義は最悪の集団によって指導されがちである。また、社会の目的(「社会的善」)から道徳は生まれる。
 格差問題の喧伝される中にあっては、ハイエクのこの様な指摘はより重要な意味を持つと言え、この本の出版が第2次世界大戦中の1944年であるということなど微塵も感じさせない。
 なお、(本書にも出てくる)シュペングラーの文化相対主義に関しては、韓リフ先生のエントリーを参照。特に「彼らの文化相対主義というのは諸「存在の歴史」の闘争の果てにただひとつの「存在の歴史」を選別する、そういう過程が暗黙に想定されているのではないか」との点は重要。