ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

「生−権力」と日本の雇用システム

 近代の福祉国家が人間を「生かす(=活かす)」ための権力(生−権力)を持つものであり、その「権力」は、規制する権力と異なり、他者との関係の網目から発生するものだというM・フーコーの見方は興味深い。このような批判は、長期雇用の仕組みを持つ日本の雇用システムに対する批判にも適用できる。ただし、自分がここで敢えて考えたいのは、今の時代、そのような批判が上からの規制権力として働いている事実である。その意味では、日本の雇用システムに対する批判は、新たな罠に嵌っている。その一方で、長期不況下で拡大した不安定就業の問題は、それらの者を「生かす(=活かす)」ために、自由な企業活動に対する新たな社会的規制を求める動きに繋がっている。私見では、政治的には今が正に前者の傾向から後者の傾向への過渡期に当たり、世間知的な「正義」の有り様は変化しようとしている。いずれにせよ、国家に軸足を置くこれらの権力、政治志向的な傾向を廃し、マクロ経済の安定の下で、(恣意性を持つものとしての)国家の役割を最小化していくことが最も重要だと思える。
 需給ギャップが解消された下でマクロ経済の安定が実現されると、労働市場にも適度の逼迫が生じる。この時、日本の雇用システムに内包された抑圧の仕組みも弱体化するであろう。企業間の労働移動も経済成長率の高まりに応じて拡大し、企業内での従業員の発言力も高まる。こうした中で、生−権力に抵抗する原理としての「欲望の充足、幸福の実現を求める権利」は重要な意味を持つようになる。恐らく、社会の進む方向性に則した社会政策とは、企業の求める人材を育成することにあるのではなく、人々の希望に応じた働き方を企業社会が提供していくことにあるのではないだろうか。

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