ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

前川真行「生の統治」(人文学報)

 社会政策とは、人間の「生」(生活)を対象とする統治技法の理論化の試みである。本論文では、日本における社会政策論の黎明期において、その対象である「生」を捉えることが如何に困難であったかを指摘し、社会の紐帯(連帯)を構築する必要の根拠が曲がりなりにも生まれるまでの推移を述べている。また、「この国最初にして唯一の経済学に関する学会」として社会政策学会が誕生したとされる。竹内「大学という病」にもみられるように、社会政策論はこの時代のこの国における経済学の主流であったのだろう。*1以下、生齧りであることを踏まえつつ少しまとめてみる。
 1916年に施行される工場法は、「欧州を席巻する労働問題」は日本の工業化・都市化が進む限り遅からずこの国にも訪れるだろうとの問題意識から、その成立が課題とされたが、(1)利益率・国際競争力低下のおそれ、(2)マクロ経済という概念がない時代において、経済という私的な領域への公権力の介入をどの様に正当化するか、(3)「法律的の権利義務」によって社会の紐帯を構成しようとすることは「伝統の美風」を破壊するとの批判、によって、その法案化は困難を極めた。しかし、その後、生(生命)が社会政策としての「衛生」の介入の対象として浮かび上がり、工場法は、先ず個体の生命の保全として、後に社会体の保全の手段として理解され導入される。
 1918年の月島調査により、「住民の生」が可視化され、計算の対象となる。高野岩三郎によれば、「労働統計」は、近代資本主義がもたらす新たな種類の群衆、都市労働者の生についての調査であるという。この様に、「生」とは、知識によって新たに産出された理念的な存在であり、社会政策に自らを介入の場所として提示する。工業化・都市化が作り出す群衆(労働者)は社会体に巣くう獅子身中の虫であり、社会政策はその統治の技術である。高野にとって「社会政策とは、住民とりわけ都市の労働者を、(集団的な)自律的主体として設立すること」であり、労働者は「労働統計」に自らのイデアルな像を認め、その利益を主張しその利益の進展を図る必要があるのである。
 自律的主体が優先されたことは、日本の社会政策の特殊な性格を規定する。本来、「思想としての社会政策はなによりもまず自由放任に対するアンチ・テーゼであり、ダーヴィニズムにたいするラマルキズムというべきもの」であり、そのイデオロギー的表象は、社会体を結びつける紐帯の表象に親和的である。だが、日本においては、「市場」を社会体の紐帯そのものと考え、その市場参加の条件を整備することになる。「自助優先のイデオロギー」は、保険制度をめぐる高野の議論に顕著に表れている。
 月島調査第二編では、消費と娯楽という文化が対象となる。文化を研究することは、民衆の生を把握し、彼等の欲望に与えられている形式を探求することである。近代社会は労働を基盤とし、様々な活動は先ずは労働を中心とする認識枠組みによって把握されるが、資本主義の進展と生産体制の変容とともに、統治の視線は、労働者としての住民から消費者としての住民へと移っていく。
 福田徳三は、生存権を「社会政策の哲学」として提唱する。社会は階級を包摂し、社会施策の根拠は「王侯より下乞食に至るまで」を包摂する生そのものに置かれる。「欲望の充足」から出発することで、福田は社会を生存への闘争の場と捉える。闘争の過程は「社会化」の過程であり、その一断面として現在の社会は存在している。社会政策とは、この闘争の継続を可能ならしめるための政策に他ならない。「社会政策とは社会が社会の為に社会の力によりて行」う政策となり、もはや主体は個人でも階級でもない。さらに福田は、闘争の概念を極限まで拡大し、経済「生活」の殆ど全てを覆い尽くす。様々な差異を孕んだ人間集団の紐帯をめぐる思考は性急に「生」の同一性の中に回収され、その結果、生はあらゆる差異を飲み込む不定形の運動となり、近代の資本主義を構成する資本の運動へと回収される。
 大河内一男等の世代になると、社会政策は我々同様、歴史的分析の対象となる。「生産力理論」(労働力の再生産の理論)では、生とは端的に利用すべき資源として表象され、もはやそれを育成、開発そして動員することは、問題ではなく前提となる。時代はイデオローグと官僚のものとなり、社会政策論はその役割を終える。

*1:無論、自分の感覚からすれば、この様な議論を「エコノミクス」として捉えることはできない。