ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ティボール・シトフスキー(斎藤精一郎訳)「人間の喜びと経済的価値 経済学と心理学の接点を求めて」

人間の喜びと経済的価値―経済学と心理学の接点を求めて (1979年)

人間の喜びと経済的価値―経済学と心理学の接点を求めて (1979年)

 言うまでもなく、人間の幸福や満足は、経済的な要因のみで定まるわけではない。本書は、先ず、これらに関わる心理学的な見方を紹介し、それらと経済学の分析フレームとの接合を図ろうというものである。心理学では、快楽と苦痛・不安の欠如(=安楽)を異なるものとして捉える。これは、「覚醒」(興奮の様々な水準であり、脳波によって測定することができる)をキーワードとして整理される。則ち、安楽は、覚醒の水準に関係し、それが最適水準にあるかどうかに依存するのに対し、快楽は、覚醒の水準の変化が引き起こす「新奇さ」に依存する。人間は、安楽を犠牲にして快楽を得るか、快楽を犠牲にして安楽を得るか、というジレンマに陥ることを余儀なくされる。
 一方、経済学者の単純化された世界では、行動の動機として「充足への欲望」しか認めない。経済学者にとっての人間は、多くの欲望を持ちながら、その全てを完全に充足させるだけの金・時間・行動の強さを持たないものとして描かれる。この「希少性」の中で、自らの欲望を最大限高めるよう、金や時間の使い方を変えることが経済学者の考える合理的な行動である。しかしこれは、心理学者が動機付けの観点から説明する行動とは異なっている。
 こうした観点から、仕事、地位が検討の対象となる。仕事は(経済学者が考えるように)必ずしも不快なものではない。相対的に所得水準が高く創造的な職業(大学教授など)では、豊かさが増すにつれて労働時間は増加した。人間の欲望は社会的地位を追い求め、その地位の印となるようなものへの支出(顕示的消費)を拡大させる。さらに、習慣の形成により、それを破ることへの嫌悪を覚えるようになり、地位の喪失は苦痛を生み出す源泉となる。苦痛・不安を避けようとする欲望には限りがあり、安楽に対する欲望は飽和する、というのは原則として正しいが、仕事や地位、習慣形成は、その重大な例外を表している。(1)国民総生産が長期的に拡大しているにも拘わらず、国民の幸福に大きな変化はない、(2)所得上の序列は幸福に影響する一方で、みんなの所得が増える場合はそうではない、という幸福度研究に基づく事実も、これらによって裏付けられるだろう。

長時間労働は「悪」か?

 議論がここまで進むと、長時間労働の捉え方が課題となる。近年、ワーク・ライフ・バランスという言葉が人口に膾炙しているが、この議論は、長時間労働を抑制し他の生活時間を確保することは国民の「権利」である、というような視点で議論が進んでいるように見受けられる。しかし、仕事は「地位財」であり、職業によっては、長時間働くことは幸福を高めることに繋がる。この場合、他の生活時間(例えば、育児や地域活動に充てる時間)を確保することは、国民の「義務」として捉える必要が出てくる。*1
 そもそも、ワーク・ライフ・バランスというのは、主として、大企業ホワイトカラーに関係している様な気もする。(その重要性を必ずしも否定するものではないが、)人間の欲望を抑制するこうした議論は、果たして妥当性を持ち得るのだろうか。議論を更に進めれば、「生」「生−権力」という概念も関係してくるだろう。

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 なお、なかなか手に入れることが困難なこの本はのびたさんに寄贈していただいたものです。有り難うございました。

*1:この点については、仕事の論理と家庭生活の論理を区分けし、より詳細に検討をする必要がありそうである。なお、長時間労働について、労働者の健康面への配慮から規制を設ける必要があることは言うまでもない。