ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

竹森俊平「1997年−世界を変えた金融危機」

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

1997年――世界を変えた金融危機 (朝日新書 74)

ナイトの不確実性

 1997年のアジア通貨危機と日本の金融危機によって、世界はどう変わったのか。本書では、「ナイトの不確実性」をキーワードに、これを読み解く。
 ナイトの不確実性とは、グリーンスパンの言葉によれば、確率分布が既知であることによって限定された不確実性(リスク)とは異なり、結果についての確率分布が未知であるような不確実性のことをいう。リスクは、保険の仕組みによりヘッジすることが可能である。不確実性がリスクだけに限られるのであれば、完全競争によって、利潤の獲得機会は消滅する。利潤は、ナイトの不確実性が存在し、それに挑戦する企業家がいるからこそ存在するのである。*1
 しかし、世界がナイトの不確実性に過度に覆われると、「最悪のシナリオ」における損失を最小化しようというマクシ・ミン原理が働くため、各経済主体は防衛的な行動をとることとなり、通常の危機に対する市場の機能は、むしろ弱まることになる(リカード・J・カバレロの「質への逃避」)。1997年のアジア通貨危機では、IMFが「世界の中央銀行」としての機能を担うことなく、(1)支出抑制のプログラムと、(2)経済の「構造・制度改革」を対象国に要求した。その結果、アジア諸国では、過去の轍を踏まないよう対外的な貯蓄を積み上げ、今日の「世界的な貯蓄過剰」という状況を生み出している。

「新ブレトンウッズ体制」の行方

 過剰な貯蓄は、現在のところ、資本市場の透明性の高い米国へと向かうことで均衡されている。世界経済は、米国の内需によって支えられているのである。しかし、過剰な貯蓄は、米国の「住宅バブル」の要因ともなっており、昨今のサブプライム・ローンの問題にもつながっている。さらに、米国の対外債務の拡大は持続可能なのか、というより大きな不確実性が世界経済に蔓延すれば、金利の先高感によって、これまでの均衡は維持されなくなるかも知れない。
 あるいは、仮に政府の積極的な景気対策によって、米国の景気が立ち直ったとしても、主要国の中で唯一楽観的であった米国経済がナイトの不確実性に晒されたという事実はトラウマとして残り、世界経済の成長にとっての重しとなるかも知れない*2−−このような不気味な予言で、本書は締めくくられている。
 楽観的な予測を付け加えれば、ナイトの不確実性のような事象が存在するとしても、歴史の経過によって、人類はその不確実性への耐性を身に付けることができるだろう。問題は、不確実性を前にした経済主体が過度に消極的となり、「合成の誤謬」によって、マクロ経済の循環に変調を来すことである。その意味(範囲)において、米国の内需によって支えられた「新ブレトンウッズ体制」(為替レートの安定化による事実上の巨大ドル経済圏の誕生)が何処に向かうのか、世界経済は岐路に立たされているという見方もできる。こうした中で、日本経済を内需主導で持続可能性のある景気拡張過程に導いていくことは、世界経済の中で一定の役割を担うという意味でも、重要なことである。米国経済の維持可能性を心配する前に、自らの経済の将来を心配するべきなのだ。

その他の論点

 なお、本エントリーでは触れていないが、ナイトの不確実性に対するフリードマンの批判、およびエルスバーグによる単純なモデルを用いた反論、IMF改革の方向性(「ベイル・イン」と「ベイル・アウト」)など、興味深い論点は他にもある。

関連エントリー

*1:ナイトの不確実性については、テロや世界規模で発生する疫病のように、その可能性を認識しているとしても、その規模や何時、何処で発生するのかを予測することが困難であるため、通常の保険の仕組みではヘッジすることのできないような不確実性と考えると、上記のグリーンスパンの言葉と整合的に理解することができる。一方、不確実性には、例えば、巨大隕石の落下のように、その可能性を殆どの人が認識していないようなものも存在する。このように、「ナイトの不確実性」とは、どの範囲の不確実性までを含むものなのか、必ずしも明確であるとはいえない。

*2:いずれの懸念も、ドルの下落につながる。また、これらとは別に、中国経済の今後の行方についても、将来的な不確実性のひとつである。