備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

日本版ニュー・エコノミー論と格差問題(2)

(過去のエントリー)

承前。

クズネッツの逆U字仮説と近年の変化

 ここで少し話を戻し、ニュー・エコノミーと格差の関係が論じられるようになった背景についてみていきたい。*1経済成長と格差については、クズネッツの逆U字説が知られている。経済発展の過程で、主要産業が農業から工業へと進むにつれ、所得格差が相対的に大きい工業部門のウェイトが高まることから、所得格差は拡大する。しかし、その後、低所得層の政治力が拡大し法律や制度の整備が進むことで、所得格差は縮小する。こうした事象は、米国や英国のデータから確認することができる。
 ところが、米国では、それまで、経済成長につれて縮小しつつあった所得格差が、1980年代より、逆に経済成長につれて拡大するようになった。特に、トップ0.1%の所得シェアが大きく高まっており、その主たる要因としては、税制改革により、所得再分配機能が相当程度弱まったことが指摘されている。
 他の先進諸国をみると、アングロサクソン諸国や北欧諸国では、経済成長が進むにしたがい、所得格差が拡大する傾向がみられる。一方、欧州大陸諸国では、経済成長が進むにしたがい、所得格差は縮小している。このように、経済成長と格差の関係には、国ごとに違った特徴がみられる。ただし、総じてみると、これまでの実証研究では、クズネッツの逆U字説の存在を示すものが一般的であったものの、近年はそれに変化がみられるようになった。
 所得格差が拡大した要因として重要視されているのが、少子高齢化による人口構成の変化とともに、グローバリゼーションやIT技術の高度化といった産業構造の変化、つまり、ニュー・エコノミーへの移行である。先に紹介したIMF"World Economic Outlook"でも、そのことが分析されている。

日本における景気循環と格差の関係

 では、日本ではどうなっているのだろうか。近年、格差の拡大が指摘されているが、それは、山田がいうように、日本経済が1990年代後半にニュー・エコノミーに転じたことによって生じたといえるのだろうか。
 残念ながら、そのような証左を得ることはできない。下図は、完全失業率と所得格差の水準を示すジニ係数の推移をみたものである。

 ジニ係数は、全世帯の場合と比較して勤労者世帯の方が安定的に推移する。また、その動きをみると、特に、勤労者世帯においては、バブル期の前後にあたる1985〜1993年の間及び直近の2006年を除けば、完全失業率と概ね連動した動きをしている。ただし、ジニ係数には、景気と連動した循環的な動きとともにトレンド的な拡大傾向もみられ、この点については、世帯主年齢の高齢化等の要因が働いていたと考えられる。
 さらに、ジニ係数完全失業率の相関関係に着目してみよう。

 特に、勤労者世帯のジニ係数については、完全失業率との間に、一方が変われば他方も変わるという強い相関関係がみられる。このような関係は、完全失業率景気循環の代理変数としてジニ係数と関係するとともに、失業者の変化も、直接ジニ係数の動きに作用したことによって生じているとみなせるだろう。
 しかし、ジニ係数とともに完全失業率にもトレンド的な拡大効果が含まれているようにもみえる。失業率が高止まる傾向は、失業率の履歴効果としてその存在が知られており、その原因は、(1)失業期間中に技能が低下することによる失業の継続、(2)既存雇用者が労使交渉をする結果、既存雇用者の雇用と賃金が優先され、失業者の採用が過小になること 、という2つの理由から説明される。また、勤労者世帯では、ジニ係数完全失業率の関係について統計上の説明力をもつが、全世帯では、必ずしもそうとはいえない。
 この議論を補強するため、さらに地域別のジニ係数完全失業率との関係をみてみた。

 ジニ係数完全失業率それぞれの5年間の変化差を地域別にみると、完全失業率の改善が大きい地域ほど、ジニ係数の改善も大きくなる傾向がみられる。2000年から2005年の間では、四国が他の地域のトレンド線から大きく離れるが、四国を除いた地域では、ジニ係数完全失業率との間に強い相関関係が表れる。2001年から2006年の間では、四国を含めてこれらの間に一定の相関関係がみられる。

長期不況下において高まった日本の格差

 これらの事実からうかがえることが示しているのは、日本の所得格差の拡大は、完全失業率の悪化が大きな影響を与えているとの関連性が深く、これらの指標の間には強い相関関係が表れるということである。また、このこの間の完全失業率の悪化は、労働者の技能と企業が求める技能に違いがあることなどによって生じる構造的失業が急激に拡大したことに伴って生じたものではなく、あくまで、労働需要の縮小に伴うものであることが、過去の研究によって示されている。*2この労働需要の縮小は、所得格差の拡大にも影響を与えている可能性が高いのである。
 先に、2つにセグメント化されているものの、それらの間は「越えられない壁」によって分断されているわけではない、一定の柔軟性をもった第2の労働市場モデルを紹介したが、このような労働市場を前提とすると、景気の後退によって労働需要が低下すれば、高技能労働市場は、より技能水準の高い労働者に絞り込まれ、低技能労働市場の労働供給圧力が高まることで低技能労働者の賃金は低下する。日本におけるジニ係数完全失業率の関係から浮かび上がる事実は、このモデルの含意と整合性を持つように思われるのだ。
 高技能労働者と低技能労働者の賃金の格差が景気循環とどのような関係にあるのか、より直感的にわかるデータをみていきたい。下図は、女性フルタイム労働者の賃金を100としたときの、女性パートタイム労働者の賃金の水準をとったものである。

 指摘するまでもなく、景気回復過程においては、フルタイム・パートタイム間の賃金格差は縮小しており、第1の労働市場モデルの妥当性は低いことがうかがえる。特に、今回の景気回復局面では、賃金格差は急速に縮小した。
 つまり、これらの事実は、日本における近年の格差拡大は、ニュー・エコノミーとの関係性が低く、景気後退にともなうものである可能性が高いことを示している。
 格差問題を改善していく上では、景気回復の持続性を保ち、完全失業率を「完全雇用」水準にまで高められるよう、より長期的な視点に立って金融政策を適切に運営していくことが重要である。経済主体の期待に働きかけることで、現在のところ低い水準に止まっているインフレ率を長期的に高めていくことができるよう金融政策を運営していくことが、インフレ率とトレード・オフの関係にある完全失業率の低下に繋がり、格差も縮小する――つまり、金融政策は、格差問題の視点から考えても重要性を持っているのである。

(11/26付け追記)ブックマークのコメントを受け修正。