ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

フリードリヒ・A・ハイエク「法と立法と自由[1] ルールと秩序」(1)

法と立法と自由I ハイエク全集 1-8 新版

法と立法と自由I ハイエク全集 1-8 新版

序言

  • 自由人からなる社会の存続は、これまで十分に解明されてこなかった3つの基本的洞察に依拠するものと認識−(1)自生的秩序と組織は別物であり、その差異は、これらを支配する異なった種類のルール・法に関係づけられる、(2)今日の社会的正義・分配的正義は、組織の範囲内でしか意味を持たず、自生的秩序とは両立しない、(3)同一の代表機関が正しい行動ルールを制定すると同時に政府にも指示をする自由主義的民主制度の典型的モデルは、全体主義的システムへと次第に変容していく。
  • 今日の「設計主義的合理主義」は、(1)既存の諸制度は必ずしも全てが設計の産物ではなく、(2)既にある知識の利用を大幅に制限することなしに全面的設計に依存した社会秩序を創ることはできない、点からみて誤りである。現代における科学的差異の一部と最重要な政治的差異とは、進化論的合理主義と、設計主義的合理主義の差異に依存。

第1章 理性と進化

  • 我々の目的を完遂するための必須条件である社会の諸制度は、(特定の目的から独立した)慣習、習慣、実践の結果であるものが多い。社会の構成員の行為に関係する特定事実について、人間は手がつけられないほど無知。我々が関心を抱く知識の限界は、また、科学が克服しうる限界ではない。科学的知識とは、特定事実の知識ではなく、体系的反証に耐えてきた仮説の知識。
  • 設計主義的合理主義の誤りは、自然というコスモスの外部に立ち、あらかじめ精神を与えられた人間がその生活を営む社会制度や文化の設計をすることができるというデカルト主義の二元論に密接に関係。その真相は、精神は、自然・社会環境への適応であって、社会構造を決定する諸制度との絶え間ない相互作用の中で発展してきたというもの。
  • 自然的/人工的という二分法に対し、18世紀になって始めて、二つの定義のどちらの定義によるかによって二つの範疇のいずれにでも分類することができ、それ故に識別された第三の部類の現象があることが明確にされた。進化論は、数が多すぎて全体像のつかめない無数の特定の事実に結果が依存する過程を説明しているに過ぎず、それ故将来の予測には至らない。
  • (抽象に対する)理性の思い上がり。個人のイメージに準えて社会を再構築しようとする願望は、単に合理的であろうとするのみならず、全てを合理的にしようとする努力につながる。

第2章 コスモスとタクシス

  • 本書では「秩序」を、様々な種類の多様な諸要素が相互に密接に関係しあっているので、我々が全体の空間的なある一部分を知ることから残りの部分に関する正確な予想、または少なくとも正しさを証明できる可能性の大きい予想を持ち得る事象の状態、とする。秩序が位階的構造に依拠すべきであるという含意は、秩序が「外生的」にのみ創られるものだという思いこみによるもので、市場の一般理論が説明する「内生的」な均衡には当てはまらない。
  • 自生的秩序は、何の目的も持つことはできない。自生的秩序の形成は、その諸要素が環境に反応するに際して一定のルールに従うことの結果。このルールは、明文化された形で存在することを意味するのではなく、各個体が、従っているルールを発見し得ることだけを意味する。社会政策と同様に、社会理論にとって重要な問題は、個人のバラバラな行為が全体秩序を生むようにするためには、ルールはどのような性質を持たねばならないのかというもの。
  • 自生的秩序の複数性。大きな社会(自生的秩序)内に存在する組織のうち、常に特殊な位置を占めるものが政府。政府は、秩序の基礎となるルールの施行(強制機能)という役割だけでなく、自生的秩序がうまく作り出せない別のサービスの提供(サービス機能)も期待される。
  • 自生的秩序を組織で置き換え、構成員の間に分散している知識をできるだけ多く利用するのではなく、直接の命令によってそれに介入しこの秩序を改良・修正することは不可能(市場秩序への干渉・介入に対する反対の骨子)。一般的ルールと、特定目的に依存する命令は、二つの異なる法概念のモデルとなる。

第3章 諸原理と便宜主義

  • 自由の定義として「各人が自らの知識を、自ら目的のために利用できる状態」の方を好むのは、目的を追求する自由は、最大の利己主義者にとってと同様、完全な利他主義者にとっても同じ重要性を持つことなどからである。
  • 個々のメリットだけに基づいてそれぞれの問題を決定すると、中央の指令の利点を常に過大評価することになる。我々の選択はいつも、確実で目に見える利得と、将来の人々による未知の有益な行為を阻害するかも知れない見込みとの間でのもの。自由と強制との選択が便宜主義の問題として取り扱われるならば、殆ど全ての場合において、自由は犠牲にされる運命にある。各事例における決定を予見可能な特定の結果のみに依存させることは、自由を漸次的に崩壊させるに至る。経済学者は、「均衡」がどのように起こるかを正確に予測できないのが通例だから、その言い訳は説得力を欠くことになる。
  • 「初期資本主義」または「自由主義」は、労働者階級の物質的水準の低下をもたらしたという主張の誤りは、「計画化」への情熱の高まりを生んだ。社会進化を規定する決定的要因は、高度に抽象的であるのが通例であり、適切であるものについての無意識に抱かれる観念であることが多く、特定の目的や具体的な願望ではない。