ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

「マクロ的に考える」ということ

 04/30/08付けエントリーの続き。

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080503/p1

 面白いですね。(3)の論点(ボランティア・チャリティは、福祉社会の自己否定につながる)などはもっと考えてみたい気もする。それ以上に、こうしたエントリーに対する周囲の反応が端的に面白いです。
 それはここでは置くとして、ここに引用されている文章について、ちょっと触れておく。

 今の貧困の問題は派遣法改正を契機に製造業の派遣がOKとなったために労働需要が増え、結果として失業率が下がるほど「貧しい労働者が増えた」ことです。貧しい労働者を増やして失業率を下げたのが今の日本。

 こうした議論が未だに通用している時点で、鼻白む思いがするわけで、同時に、世論の恐ろしさというものを感じずにはいられないわけです。派遣労働者は、企業がそれを増やそうとしてそれを増やせるわけではない。企業の需要に応じて派遣会社が募集をする、その募集に対し自由意志で労働力を提供する労働者がいて、始めてそれが増えることになるわけです。こう言うと、ここの周囲で面白いエントリーをしている(「左翼」の?)人達は、「ディーセントな仕事の募集がないのだから、生きていくためには、派遣労働者にならざるを得ないのだ」という反応をするのだろうけど、そうだとすれば、何故ディーセントな仕事がない状態がここまで続いているのかを考える必要がある。
 別に、今の日本では、企業が結託して労働条件を引き下げるべく画策しているわけではない。企業は、財市場においてのみならず労働市場においても、できるだけよい労働力を確保すべく競争をしている。労働市場が逼迫することになれば、これまで、派遣労働者として低い労働条件を甘受せざるを得なかった労働者も、よりよい労働条件を求めて求職活動を始め、企業は、労働条件の切り上げ競争をせざるを得なくなる。今、やむを得ず低い労働条件で派遣労働をしている労働者が多い、という理解が正しいとすれば、労働市場がまだ完全雇用には程遠いからそうなのだ、というのが正しい解釈です。*1
 さて、ここからが本論です。
 上に引用したような誤った解釈が生じるのは、労働市場を需要側から一面的に解釈しているからそうなるのであって、供給側にある自由意志を持つ労働者というものを視野に入れば、そのような解釈は出てくるはずはない。誤解を恐れずにいえば、こうした解釈をする人にとって、労働者とはあくまで「動員」の対象であって、自由意志を持たれてしまっては、むしろ困ってしまうのだろう。一般的には、市場経済が労働者を自由にするというのは幻想である。しかし、完全雇用が実現された場合は異なり、個別の労使関係をある程度対等に近づけることができる。ただし、今の日本の集団的労使関係を前提とすれば、その中で飯を食っていた人達はその役目が大きく縮小することになるので、完全雇用を怖れ、そしてそれを説得力を持って論じることのできる経済学をも怖れているのではないか。
 さて、話が行き過ぎたので少々戻します。労働市場の一面的な解釈という問題は、先日議論になった「マクロ的に考えること」ということともつながる論点です。「マクロ的に考える」というのは、物事を広く考えるなんて話ではなく、行為には必ず「裏面」があるということに対する感度のようなものだと思う。端的にいえば、「複式簿記で考える」ということ。たしか、「一般理論」にも、こんな風な記述がどこかにあったような気がする。

*1:もちろん、いわゆる世代効果の問題は残るわけですが、先のエントリーでも触れた通り、いわゆる「就職氷河期」世代に対する政策は、これから始まるものも含め、概ね出尽くしているように思われます。景気後退懸念が強まる中では、それ以上に、マクロ経済運営がこの問題の結果を左右する重要性を持っている。