備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

デヴィッド・マースデン「雇用システムの理論 社会的多様性の比較制度分析」(1)

雇用システムの理論―社会的多様性の比較制度分析

雇用システムの理論―社会的多様性の比較制度分析

 周知の事実であるが、企業の人事管理制度や給与の仕組みは、国や社会によってさまざまなものがある。こうした多様性を充分に考慮しない提言や論考は、現実の社会において、その効率性や安定性を損なうことになることはいうまでもない。例えば、経済学の理論では、労働者が受け取る報酬は、その労働の限界生産力 によって決まってくる。実際には、賃金や価格には粘着性があり、労働者の受け取る報酬が限界生産力によって即時に調整されるわけではいないことは、その理論を扱っている経済学者を含めて誰もが知っている。しかし、そうしたことだけではなく、そもそも労働者が現実に受け取っている報酬は、その労働者が提供するサービスに応じて決まっているのだろうか。
 この問いは、いまだ「開かれた問い」なのかも知れない。一方、この問いに対する本書の答えは明快である。雇用者(=使用者)は、労働者との間で、お互いが義務の束を交換しあっているのであって、個別のサービスを購買するという契約関係にはない。このため、「労働の価格は数字としてではなく、ルールとして取り扱われるべきである」(228頁)とされるのである。
 この立場は、賃金は単純にサービスに対する対価と考えるべきではなく生計費に応じたものと考えるべきだ、とするような一種のパターナリズムとも異なっている。本書では、雇用と報酬の仕組みについて、いうなれば青木昌彦らのいう「比較制度分析」の立場からつきつめた分析を行っており、国家や社会的道徳のような規範性は、その理論の背後に後退している。
 「雇用システムの理論」という広大な領野に入るための前置きとしては、この程度で十分であろう。以下、本書の個別の論点を章立てに準じつつ整理するとともに、最後に感想をまとめることとしたい。

雇用システムとは何か

 まず、何気なく語られる「雇用システム」という言葉の意味するところからみていく必要がありそうだが、その前に、雇用契約について考える必要がある。コースによれば、雇用契約とは、雇用者に対して、従業員の仕事を「ある範囲内」で特定化する権限を与えるものであり、サイモンによれば、雇用者と従業員とはある一組の仕事について合意し、契約が結ばれた後にその中から雇用者は選択できるとする。いずれにせよ、雇用契約とは、契約を締結する時点ではその内容を明確に定めることのできない不完備契約である。労働サービスの売買としてではなく雇用契約という形態を選択するメリットは、雇用者にとっては、それによって柔軟性を獲得し将来の不確実性に対処することが可能となり、労働者にとっては、活動の継続性を得ることである。スポット的な契約によって労働者を適宜調達できるようにすることで、雇用者は経営の柔軟性を確保することができるとの見方は、もはや人口に膾炙した考え方となっているが、本書の議論のような見方をとった場合は、雇用契約によって労働者を一定期間企業に結びつけることの方が、雇用者にとって、柔軟性の獲得と不確実性への対処が可能になるのである。同時に、雇用契約がその効率性を発揮できるかどうかは、企業の外にある労働市場、そしてその基盤となる制度、およびマクロ経済環境に依存するものだということができる。
 しかしながら、雇用契約は、限定合理性、情報の非対称性という条件の下で、雇用者と労働者の双方に機会主義的な行動をとることへの誘因を与えるものでもある。その結果、雇用契約の利点は容易に浸食されることになる。雇用契約の実行可能な形態を特定化することは、ここでは未解決の問題とされている。雇用契約の下で柔軟な組織を実現しつつ、機会主義的な行動を抑制するためのものとして、多様な形態の「雇用システム」が生じてくることは、後に論じられることになる。
 雇用契約は、工業化の進展によって、それまでの労働請負制に替わり広くみられるようになったものである。雇用契約が広くみられるようになった理由として本書が指摘するのは、労働請負制は、雇用者の必要に応じた労働力の調達を約束するものではなかったこと、雇用者の要求する技能を形成するインセンティブの欠如、ある種の機会主義をコントロールすることの困難性、労働請負契約者の強欲によって生じる社会的混乱、そして最後に、ある種の取引コストの存在である。
 このようにみてくると、雇用契約とは、あらゆる国に共通して歴史的に登場したもののように思われるかも知れない。実際、各国の文化やそれぞれの文化の持つ規範性をよりどころとはせず、共通する枠組みの下でなり立つ理論を構築していることこそが、この「雇用システムの理論」の特徴であり、その大きな魅力でもある。しかし同時に、各国の文化や規範性によって、「雇用システム」は多様な形で進展してきたということも事実である。第2章では、多様な「雇用システム」を分類する枠組みを提供しているが、それによって、「雇用システム」が意味することもおのずと明らかになるだろう。
 雇用契約が雇用者と労働者の双方に魅力のあるものとなるためには、履行可能性と効率性という二つの制約をクリアすることが必要となる。これら二つの契約上の制約を解決する方法には、それぞれ二つのアプローチがある。また、この二つの制約が二つの次元を形成し、それぞれ4つの取引ルールを考えることができる。下図は、それぞれの取引ルールの関係を表している。

 ここで改めて、「雇用システム」が意味するものは何かを考えてみたい。第1章の冒頭では、次のように述べられている。

 このように「雇用システムの理論」は、労働市場と人的資源管理にかかわる制度理論を与えるものであり、これによってそれぞれに異なる企業の意志決定の間の相互依存の関係に分析の力点が置かれる。「制度」はNorth(1990:6)の意味において、すなわち「人々の相互行為にある安定的な構造を確立することによって不確実性を縮減する」メカニズムとして理解される。それは「ゲームのルール」というものであり、すべてのルールと同様、それが実行可能であるためには、拘束力を備える必要がある。この種の制約の要因は2つの点で明らかとなる。1つは、企業と労働者が雇用契約を結ぶとき、両者は互いに履行可能であることを求めた義務を交換するということ、そしてもう1つは、個々の企業と労働者の選択は他のものに影響を及ぼすということである。第3章で論じるように、ある特定の雇用関係の採用が広範囲のものであればあるほど、その拘束力と実行可能性はより有効なものとなり、その他の経済主体によって選択される可能性はそれだけ高まることになる。

 「雇用システム」が意味するのは、個々の企業の中で従業員を管理する仕組みであるとともに、社会的な制度でもある。個々の企業における労使の選択が、社会にも影響を及ぼすものであることが強調されている。例えば、日本における雇用慣行として、これまで、長期雇用、年功賃金、企業別労働組合といういわゆる「三種の神器」が、その特徴を表すものとされてきた。これらは、日本の雇用システムと密接に結びつき、それと不可分な要素として形作られたものと考えることができる。
 一方、上図のような、演繹的に導かれた取引ルールの分類によれば、日本は、まず、仕事のプロセスを重視し、教育訓練は、職場でのオン・ザ・ジョブ・トレーニング(OJT)を通じて実施されるウェイトが高いため、「訓練アプローチ」よりも「生産アプローチ」に近いものであることがわかる。「訓練アプローチ」では、職業別労働市場を通じて労働力を調達し、労働者の技能に応じて職務用件を構成することが要求される。教育訓練はオフ・ザ・ジョブ・トレーニング(OFF・JT)が中心となり、そのコストを節約するため、職務の標準化が求められる。このような雇用慣行は、日本ではむしろサイドラインに置かれるものだといえよう。
 日本では、個々の労働者に割りあてる業務の内容は必ずしも明確化されておらず、職能に応じて労働者をカテゴライズし、それぞれのカテゴリーに応じた職務を人に応じて配分することが一般的である。このことは、上図の分類をもとに考えると、日本の雇用システムは、「職務」ルールよりも「職能」ルールに近いものであることを示している。「職務」ルールでは、責任の範囲が不明確とならないよう、業務の遂行のため労働者が互いに協力し合うことに使用者は反対することになるが、「職能」ルールでは、労働者の職務の境界に重なり合う部分が生じ、協調性が促される。また、「職務」ルールでは、普段と異なる業務に対処するための特別の職務・ポストが必要となるが、「職能」ルールでは、普段と異なる業務は、職場集団に学習の機会を与えるものとなる。このように、「職能」ルールは、一定の制約下において労働者に裁量を認めるような雇用のルールであると考えることができるのである。
 こうした4種類の取引ルールは、「進化論的安定戦略」(ESS)のような過程を経て、中央の権力によって強制されることなく、各国ごとに多様な形で制度化されることになる。「雇用システム」は、いわば自生的な秩序であり、その秩序は、経済主体の予測可能性を高め不確実性を縮減することに寄与し、それによって経済の効率性を高めるものであるという視点が強く示されている。

雇用システムと格差問題への再訪

 ここでいったん本書を離れ、以前取り上げた「2つの労働市場モデル」を再度検討してみたい。

 ここでは、2つの雇用システムのモデルを取り上げた。ひとつは、能力によってセグメント化された労働市場の間に乗り越えがたい「壁」が存在するようなモデルであり、2つ目は、その「壁」が景気の動向によって柔軟に変動するようなモデルである。
 前者のモデルでは、技能偏向的な労働需要の高まりが生じたとき、高技能労働者の労働市場においてのみ労働需要が高まることになるため、賃金格差は拡大する。一方、後者のモデルでは、高技能労働者の労働需要が高くなりすぎると、それまで低技能労働者とされていた者の一部が高技能労働者として扱われることになり、低技能労働者の供給が縮小することから、賃金格差は縮小する。
 では、日本の雇用システムは、どちらのモデルによりフィットするものなのか。フルタイム労働者とパートタイム労働者の賃金格差をみると、2002年以降、その格差は縮小している。これは、後者のモデルの方が、日本においては説明力が高い可能性を示している。

 マースデンの議論に戻り、4つの取引ルールと、この雇用システムに関する2つのモデルを重ね合わせた場合、どのようなことがいえるだろう。まず、能力によってセグメント化された労働市場の間に乗り越えがたい「壁」が存在するモデルは、職業別労働市場によく当てはまるように思われる。職業別労働市場がなく、内部労働市場*1と職場におけるOJTによる職業訓練が中心となる雇用システムでは、仕事に就いた後にスキルを身につけることにも一定の可能性がある。一方、標準化された職業スキルを持つ者を職業別労働市場から採用するようなケースでは、特定の職業スキルに対する需要が高まると、その職業スキルを持つ者だけの労働条件が高まることになる。
 「職務」ルールと「職能」ルールの違いについては、どちらがどちらのモデルによりフィットするかということは、一概にいうことはできない。ただし、「職務」ルールでは、機会主義を防止し労働者の責任の範囲を明確にするため、詳細な職務記述書が用いられる場合がある。その一方、「職能」ルールでは、職場集団の内部に仕事の配分を調整する機能が存在する。
 このように考えると、「職能」ルールという特性を持つ日本の雇用システムは、労働市場を隔てる「壁」が柔軟に変動するモデルに、より適合するように思われるのである。日本の統計データにみられる景気循環と格差の関係は、マースデンの「雇用システムの理論」から裏付けることが可能となるのである。
 いいかえれば、日本における格差問題を考える視座として、グローバル化やIT化を重視する山田昌弘らの立場は、日本の雇用システムを「職能」ルールという特徴の下に捉えるマースデンの立場とは異なるものであると指摘することもできるだろう。グローバル化とIT化は、日本の雇用システムに大きな変化を与え、それによって格差はより一層大きなものとなる、との見方をそこから抽出することは、比較的容易である。これらの二つの考え方の間には、雇用システムの持つ歴史依存性というものの強度のとらえ方に対する違いをみることができる。

 以上の話は、本書の第2〜3章あたりまでに軽く触れたに過ぎない、本書の神髄を理解するためには、まだまだ先の長い作業を続ける必要がありそうである。

(続く)

*1:本書の268頁に詳しい説明がある。この点については、連載の第2回目以降で詳しく論じたい。