備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

デヴィッド・マースデン「雇用システムの理論 社会的多様性の比較制度分析」(3)

雇用システムの理論―社会的多様性の比較制度分析

雇用システムの理論―社会的多様性の比較制度分析

(過去のエントリー)

内部労働市場についての一般的な理解

 前節では、労働市場という概念について考えてみた。労働市場は、生産に用いられる要素である労働を効率的に配分する機能を持ち、そこでは、その時点における労働の価値が「公正」に評価される。しかし、労働市場で評価されるのは、あくまでその時点における労働の価値である。労働力を再生産する過程で要する費用(生計費)は、労働市場のメカニズムの中では、評価の対象とはならない。
 さらにいえば、労働市場という概念には、特定の職務ポストをめぐるスポット的な契約関係を調整するメカニズムのようなイメージがある。ところが、マースデンが指摘するように、雇用契約は、そのようなスポット的契約とはことなっており、雇用者(=使用者)に対して、ある範囲内での職務の割り当てを認め、契約時点ではその内容をすべて定めることができない不完備的な契約である。このとき、労働市場において「取引」されるのは、労働というサービスというよりは、雇用者と従業員に関係するルールの束である、ということになる。労働市場がそのようなものであれば、企業内において労働を効率的に配置する別の原理が存在しなければならなくなる。そこから、「内部労働市場」という概念が生じる理由がみえてくる。

 「内部労働市場」とは、なにを意味するのだろうか。一般に理解されているのは、「企業の特定の職に欠員がでた場合、外から採用するのではなく、内部の従業員から補充するようなシステム」(マースデン p.268)というものであろう。これによれば、内部労働市場には2つの意味があり、一つは、企業別内部労働市場(Kalleberget al.(1996))であり、同じ企業内で異なる職務間を移動するもの、もう一つは、職人型労働市場で、異なる企業間で同じ職務をするものである。しかしながら、Doeringer and Piore(1971)(邦訳、「内部労働市場マンパワー分析」)が、その議論のほとんどにおいて企業内の労働市場に関するものをあつかったことから、その後は、企業内の内部労働市場を内部労働市場とみなすようになったとされている。*1
 内部労働市場では、欠員の補充や賃金の設定は、企業外の労働市場を参照することなく、企業内の管理的なメカニズム(官僚制)によって行われることになる。このようなメカニズムは、必ずしも温情主義的な観点だけから生まれたものではない。例えば、サンフォード・ジャコービィ「雇用官僚制」には、米国における内部労働市場の生成過程が歴史的な視点から解説されている。同書では、20世紀以降の米国における、経営の柔軟性と雇用の安定をめぐる経営者、職長(フォアマン)、職業的人事管理者、労働組合の間の相克が詳細かつ生き生きと描かれているが、テイラーの「科学的管理」に代表されるような体系的な生産管理システムや福利厚生事業の導入は、当時の流動的な労働市場と非協力的な労使関係という環境の中で、より多くの収益を雇主に保証するシステムとして導入されたことが記述されている。

雇用官僚制―アメリカの内部労働市場と“良い仕事”の生成史

雇用官僚制―アメリカの内部労働市場と“良い仕事”の生成史

内部労働市場と二次的労働市場

 企業内の管理的なメカニズムによる労働の配置は、「給料がよく雇用が安定して昇進機会もあり、恣意的な懲戒や解雇から保護されている」(ジャコービィ p.28)という意味での「よい仕事」を、企業がつくり上げることにつながる。また、企業にとっても、熟練度の高い労働者を柔軟に配置することができることで、雇用契約のメリットを享受する。
 ただし、内部労働市場は、別の問題を生み出すことにもなる。不安定な需要という経済環境のもとでは、内部労働市場は、その外側に緩衝材としての「二次的労働市場」を必要とする。これは、内部労働市場と「二次的労働市場」の間に、「よい仕事」をめぐる格差を生み出すことになるのである。
 企業内の管理的なメカニズムによって、多くの企業が、そのコアな従業員を管理することになれば、企業の外側の労働市場は「二次的労働市場」となり、そこにかかわる労働者は、十分な教育訓練を受けることができないゆえに未熟練な労働者となる。ときには認知の問題によって、その熟練の水準にかかわらず、「二次的労働市場」の中で、低い賃金に甘んじなければならないような者も生じることもある。
 この問題は、解雇規制の強さなどによって、より問題が広がる場合もある。企業内部の労働者は、彼らの仕事が、安い賃金であっても働きたいと考える失業者など企業外部の労働者によって置き換えられることをおそれる。このため、彼らは、企業外部から採用される労働者に対して、教育訓練などの協力をしなくなるだろう。こうして、雇用者は、安い賃金であっても、企業外部の労働者を採用しなくなる。解雇規制の存在や労働組合の交渉力によって、企業内の労働者の賃金が高いにもかかわらず、企業外部の労働者の雇用機会が奪われてしまうという考え方は、経済学の中で、「インサイダー・アウトサイダー理論」とよばれているものである。

日本的「内部労働市場」論に対する批判

 日本の雇用慣行が、企業内の管理的なメカニズムによる労働の配置という内部労働市場の特徴を色濃く受け継いだものであるとの指摘は、マースデン、ジャコービィに限らず、多くの論者に共通したものである。こうした見方に対して、日本の雇用慣行を、それに付随する二次的労働市場(現在であれば、パートや派遣などいわゆる非正規雇用が念頭に浮かぶが、かつては、大企業の下請を行う中小企業の従業員や、家計補助的な働き方をする女性のパート労働者などが主として該当)を含め、全体的に捉え直す必要があることを指摘したのが、前節に引用した野村正實である。

日本的雇用慣行―全体像構築の試み (MINERVA人文・社会科学叢書)

日本的雇用慣行―全体像構築の試み (MINERVA人文・社会科学叢書)

 野村によれば、日本の労働研究は、主として製造業の男性肉体労働者(3M)にしぼられている。女性工員などを含む二次的労働市場や、男性職員(ホワイトカラー)の世界を含めない限り、日本的雇用慣行の全体像を描くことはできないと指摘されている。こうした視点に立つことで、日本の内部労働市場と、他の先進主要国に比較してこれまで低い水準で推移してきた完全失業率という日本の労働市場の特徴を理解することができる。また、この視点からみると、日本的雇用慣行は「会社身分制」であり、それは程度の差こそあれ、戦前から継続している。野村の視点は、明らかに左翼的なものであり、日本的雇用慣行がもつ人材育成能力を評価するというよりもむしろ、それを支えるバッファーとしての二次的労働市場の方に、研究の焦点があてられている。その意味で、小池和男「仕事の経済学」とは、二律背反的な研究姿勢となっており、同じ意味で、マースデンが捉えている日本の雇用慣行・制度とも相反する認識を持つ研究姿勢であるといえよう。

仕事の経済学

仕事の経済学

 野村は、OJTを通じて企業特殊的熟練を少しずつ身に付け、職務の階梯を進んでいくという日本的「内部労働市場」論について、その実証が欠如していることを批判している。さらに、野村によれば、日本的「内部労働市場」論が確立したのは、隅谷三喜男の論文「日本的労使関係の再検討──年功制の論理をめぐって」が、Doeringer and Piore(1971)の内容を日本に紹介したときにさかのぼり、この論文の発表によって、「内部労働市場」という言葉はまたたく間に定着したとしている。
 ところが、もともとDoeringer and Piore(1971)では、「内部労働市場」とは、「製造業の事業所のように、労働の価格づけと配分が一群の管理のルールと手続きによって支配されている管理上の単位」とされているものを、隅谷は、「持続的関係の内部における雇主と労働者の関係」というように、企業内部における単位であるように定義したのである。
 このように、日本的雇用慣行の全体像を内部労働市場論と切り離す野村の姿勢の背後には、二次的労働市場なしに、日本的雇用慣行の全体像を描くことができないという強い認識が働いているのである。

(続く、たぶん)

*1:この部分は、後に述べる野村正實による隅谷三喜男の論文「日本的労使関係の再検討──年功制の論理をめぐって」に対する批判にもつながる論点である。