ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

小池和男「日本産業社会の「神話」 経済自虐史観をただす」

日本産業社会の「神話」―経済自虐史観をただす

日本産業社会の「神話」―経済自虐史観をただす

 日本の文化は「集団主義」である、日本の賃金制度は年功序列的だ、日本経済の発展における政府の役割は大きかった、等々広く指摘される日本経済の「神話」が果たして本当だったのか、本書では、懐疑的な視点からこれらを吟味する。
 例えば、年功賃金制度は日本的雇用慣行の一要素とされているが、ホワイトカラーの賃金制度に注目すると、実は日本と欧米との違いはそれほど大きなものではない。その特徴を列記すると、「仕事給ではなく社内資格給、やや広い範囲給、となりの範囲給との重複は大きく、昇進がなくとも範囲給のなかでその上限まで査定つき定期昇給で上がっていく」(266頁)というものである。しかも、訴訟社会の米国よりもむしろ日本のほうが「表の」査定はより厳しい。こうした事実を十分に踏まえず、日本の賃金制度は年功序列的で競争促進的なものではないとし、安易に業績給を取り入れるような向きに、著者は警鐘を鳴らす。
 同じことは、労働時間についても言える。生産労働者のみを対象とする欧米の統計と、管理的・事務的な労働者をも対象とする日本の統計を比較し、後者の労働時間が長くなることをもって、「日本は長く働くことで競争力を保ってきた」と指摘するのはナンセンスだとする。著者は、自身が海外において見聞した事実などから、実際には、両者の労働時間には大きな違いはないことを指摘している。それにしても、このような指摘をする著者の語り口は、かなり「嫌味」な部類のものだ。しかも、相手の立証に対してその証拠の不十分さを指摘することには成功していても、自身の立論を証明することには、必ずしも成功していないようにみえるところもある。*1
 日本の賃金制度が年功的であるとか、日本の労働時間が長いといった指摘が事実として流通してしまうのは、統計的に把握されたことが、十分に吟味されないままに世間に広まってしまったことによるものであろう。研究の間違いにつながらないために、著者が重視するのは、「自他を直接比較した研究」である。特に、「2ヵ国をほぼ同じような深さと方法で調べた研究」が重要であるとしている(270頁)。
 このような著者の指摘は、自分のように、統計的な実証にものごとの判断を頼ろうとする傾向が強い者にとっては、大いに検討するに値するものだろう。これはまた、政策の企画立案の場面などでは、単純な理論モデルから得られる事実だけでなく、歴史的事実なども十分に参考にすべきだ、という指摘ともパラレルなものと考えることができる。その意味では、本書から得られる教訓は大きいが、それがより説得的なものであるためには、著者自身が本書の各章で行う立論が、十分に証拠の揃ったものである必要があるようにも思える。

*1:労働時間に関していえば、どの時期をとるかにもよるが、完全週休二日制の普及状況などを考えると、日本の労働時間が欧米よりも長かったことはおおむね正しいであろうし、フルタイム労働者の労働時間が平均的に短くなる中でも、長時間労働者が増えていることは事実である(http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/databook/2009/06/p199_t6-3.pdf)。とはいえ、労働時間の一律的な短縮が経済成長率を低下させたであろうことは否定できない。