ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

Antinomy

 次のような二律背反的な主張を考えてみた。

  • (A)フィリップス・カーブに含意されるように、インフレ率と完全失業率にはトレード・オフの関係があり、財政・金融政策によって需要が増加すれば、完全失業率は、完全雇用水準に対応する自然失業率の水準にまで低下し、その後、財・サービス市場がタイト化することによってインフレ率は上昇する。
  • (B)経済主体が利用可能なあらゆる情報を利用して合理的な予想を行うことにより、完全失業率は自然失業率に一致するため、財政・金融政策による需要の拡大は生産の増加にはつながらず、財・サービス市場をタイト化によってインフレ率を上昇させる。
  • (A)SNAなどの統計をみると、名目所得が増加すれば消費は増加する。*1
  • (B)ライフサイクル理論にもとづく消費の異時点間選択を表すオイラー方程式によれば、名目所得の増加は、消費の増加につながるとは限らない。

 ある時点において、(A)の主張が正しいのか(B)の主張が正しいのかを議論するのは、まったく無意味である。その議論は、議論を行う当事者が持つ主観(あるべき論)の相違に終始するだけにおわるだろう。(A)の主張は、歴史的経験を重視してそれを現時点から将来に向けての状況に当てはめる議論であり、一方、(B)の主張は、合理性に基づいて演繹的に現時点から将来の状況を考えたものである。その意味では、どちらの議論も(論理的には)正しい。
 とはいえ、経済学は社会科学であるものの、科学であることに拘泥して合理性を追求することになれば、ときにはあやまれる主観(倫理観)に基づいて現実を虐げることになりかねない。むしろ、現実を説明できないモデルに現実を踏まえた修正を行う方向に経済学の「進歩」があるように思う。例えば、下の論文では、ミクロ的基礎付けを持ちルーカス批判に耐え得るニューケインジアン・フィリップス・カーブについて、その実証パフォーマンスは優れず*2、そのため、ラグ項を加えたハイブリッド型のモデルが多くの分析で使われるようになったことが触れられている。しかし、そのようなモデルは、ルーカス批判を回避できているわけではない。*3

 合理性を根拠としない(A)のような主張が現実の政策決定に耐え得るものではない、との意見は、理屈としては正しいが、その一方で、合理的であることを突き詰めた(B)のような主張を正しいとする根拠もまた、あるわけではない。「遅れている」との見方は、現時点ではそうかも知れないが、その「遅れ」は、その先のある時点以降は「進歩」とみなされる可能性もあるだろう。
 経済学は社会科学であり、科学であり続けることは重要である。特に、金融危機があって以降、まったく論理性をともなわない形でこれまでの「進歩」を歪める向きもあるだろう。*4しかしながら、無益な議論を繰り返すようであれば、科学であることは、むしろ、現実における有用性を放棄することにつながるようにも見えかねない。重要なのは、科学であることだけではなく、それぞれの主張の背後にある主観(倫理観)に敏感であることである。これらの二つの次元を切り離すことができない限り、冷静な議論を期待することは不可能であろう。

*1:ちなみに、消費が増えれば雇用も増える。(http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20090506/1241570847

*2:例えば、ニューケインジアン・フィリップス・カーブを含むNew IS-LMモデルでは、GDP ギャップとインフレ率が変化するとそれに合わせて現在の値がジャンプするが、実際のマクロデータで実証分析を行うとGDP ギャップもインフレ率も過去に依存する部分が大きくなる。(http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis210/e_dis203a.pdf

*3:フィリップス・カーブといえば、現在中断している、ある「翻訳プロジェクト」を少し前に進めてみることに意味があるかも知れない。

*4:このような「向き」を、自分は心の中で「伊東光晴的なもの」と密かに呼んでいる。また、このような「向き」に共通する人間の習性をあるエントリーで整理したことがある。(http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20070327/1175011479