ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

本田由紀「教育の職業的意義──若者、学校、社会をつなぐ」

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)

 本田由紀「教育の職業的意義」では、日本の学校教育制度と雇用システムの歴史から、教育の現場において職業教育が軽視されるようになった過程を俯瞰した上で、1990年代後半以降の経済や雇用の変化を踏まえ、教育現場における職業教育を再構築し、あわせて、日本の雇用システムの変革をうったえている。ここでいう職業教育とは、〈適応〉の側面とともに〈抵抗〉の側面をもつ。つまり、仕事の要請に適応するための手段であるとともに、働き方を適正(ディーセント)なものにするため、法律や交渉などを通じて抵抗するための手段である。
 本稿の立場としては、本田のように、1990年代後半以降の経済や雇用の変化を「所与」とみなすことには同意しない。*1低い経済成長率や高い非正規雇用比率を「所与」とするのではなく、不確実性等によって余儀なくされる経済の振幅に対する備えとして、労働者が有すべき手段を検討するという構えが妥当であろう。また、日本的雇用システムを自生的秩序としてとらえるならば、いわば「上からの規制」によって現在の雇用システムを変革することは、その過程においておおくの軋轢を生むであろうことを懸念する。
 むしろ、順序を変えて考えるべきではないか。例えば、職種別に形成された包括的な労働組合が、その内側に、企業や業界団体が有する教育訓練のノウハウと機能を取り込み、無料職業紹介の許可を受けた上で、ジョブ・マッチングの事業を行うようになれば、「出口」である企業の職務構成とともに、「入口」である教育制度も、何らかの変革に向けた誘因をもつことになるだろう。これをマースデンの雇用システムの理論に適用すると、現在の「職能ルール」の中に、変革のための補助線を引くことで、「資格ルール」の方向へと促し、それによって雇用システムならびにそれと制度的補完性をもつ他のサブ・システムを変えることとなる。また、この方向性は、昨今とみに引用される旧日経連「新時代の「日本的経営」──挑戦すべき方向とその具体策──」(1995年)において提起され、その実体がいまをもってしても希薄でありながらなぜか注目されることのない「高度専門能力活用型グループ」が、実体として存在するようになる可能性を開くものといえる。なお、現在それが実体として希薄であることの理由は、いうまでもなく、「高度専門能力活用型グループ」という区分が、現在の雇用システムに適合しないためである。企業は、商品の価値を高める上で欠かせない高度な専門能力を持つ者を、むしろ長期雇用しようとするのである。

(参考エントリー)

*1:「今必要なのは、高度経済成長期から90年頃までの社会モデルの復活を期待することはもう現実的に不可能であり、また、過去のモデルそのものにさまざまな重大な諸問題が含まれていたからには、そこからの訣別を図るしかない、という考え方が、社会に広く共有されることである。いうなれば、過去への「見切り」と、今後の社会を設計し作っていく「決断」が、喫緊に求められているのだ。」(本書pp.185-186 より)