ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

篠原三代平『長期不況の謎をさぐる』

長期不況の謎をさぐる

長期不況の謎をさぐる

 本書が出版されたのは、アジア通貨危機、そして一連の金融危機が起きてからちょうど1年を経過した1999年の秋。翌年に始まる世界的なIT景気を前にして、経済が極めて厳しかったときであり、当時の堺屋太一経済企画庁長官による「景気の胎動」というなつかしい言葉もみられた。吉川洋『いまこそ、ケインズシュンペーターに学べ 有効需要イノベーションの経済学』の中で参考文献に掲げられていた関係で読んでみたもの。

 なお本書は、各種雑誌等に掲載された論文を集約したものであり、内容に繰り返しが多く、冗長的なところが欠点である。

 筆者の篠原は、世界経済の歴史を長期的に俯瞰した上で、景気循環、特に、長期的な周期をもつ景気循環をみることの重要性を強調する。現代の経済学におけるオーソドキシーにしたがえば、重要なのは経済成長であり、ケインズ的マクロ経済成長によって、均斉成長経路からはずれるような不規則的な動きを打ち消し、不況を避けながら実物経済の成長を続けることは可能である。しかし篠原は、景気の長期波動が短・中期的な景気循環の波と重なることによって生じる大不況は不可避的であり、これまでおおむね50年ごとにそのような大不況があったことを指摘する。
 景気の長期的波動(コンドラチェフ波)は、つぎのような三つの局面をもっているという。まず、景気拡張期の初期にはプラス・サムの局面が表れる(ケインズシュンペーター的局面)。ここでは、財政支出が増えても民間投資は抑制されず、有効需要が拡大しても、技術革新と供給力が増大することで過度のインフレは生じない。このような局面は、高度経済成長期の日本や、低インフレ下で情報通信技術が進展した1990年代の米国などになぞらえてみることができよう。
 第二の局面は、ゼロ・サム近似の局面である。資源エネルギーの制約によってインフレが生じ、財政赤字が増え過ぎると、金利の上昇によって民間投資は抑制される。バブル景気時の日本のように、この局面で金融緩和を継続すれば、貨幣供給の増加は資産インフレに吸収され、それによって生じる大型バブルは、その後の下方調整局面を長期化させることになる。これと同じ理由によって、2000年代以降の米国の金融政策も批判の対象となり得るだろう。なお篠原は、戦後日本銀行がおかした二つの政策的な失敗のひとつとして、プラザ合意以後、日本銀行が適正以上のテンポで貨幣量を増加させたことをあげている。*1
 第三の局面は、グローバル・アジャストメントの局面である。大戦争や大国の巨額の財政赤字によって、地球上は「資本不足地域」と「資本過剰地域」に分裂する。前者では金利は相対的に高くなり、後者では低くなる。このため、大量の「国際資本移動」が発生する。現時点においてこれを考えるとき、グローバルな貯蓄の過剰と貿易のインバランス、そして2008年秋以降に生じた大調整、The Great Trade Collapseのことを想起せずにはいられないが、本書の執筆時点で念頭にあったのは、バブル崩壊為替相場が不安定化する傾向をみせたこと、そして何といっても1997年の秋以降に顕在化する東アジア通貨危機であろう。

 篠原は、17世紀以降の長期的な視野に立ってこのような局面の連鎖を指摘しており、その上で、大型バブルの形成と崩壊も長期現象の一環とみなしている。すなわち、これは経済の構造問題ではないが、同時にそれを歴史の中で避けがたく生じ得るものと考えているようにもみえる。よって、景気後退学説の中では、「過少消費説」よりも「過剰投資説」の方に力点を置くことになる。
 また篠原は、「貨幣が経済の不安定化、崩壊に対して決定的な影響を持つ」と断言する。貨幣は実体経済に対して極めて非中立的であり、「魔性的」な破壊的役割さえ演じてきた。そうした視点から、貨幣数量説やマネタリズムの理論構造が貨幣ヴェール説をもとにしていることには理論的矛盾があると指摘する。

投資比率と景気循環

 篠原は、戦後の大型景気として「神武・岩戸景気」、「いざなぎ景気」、「平成景気」を取り上げ、これらは二つの小循環のドッキングという構造をもつとする。これらの大型景気は、投資循環に連動したものでもある。下図は、これらの大型景気に2002年以降の長期の景気拡張過程を加え(赤色の影の部分)、民間投資比率との関係をみたものである。

 こうしてみると、2002年以降の景気拡張過程もまた、投資循環の特徴を有していることがわかる。ただし、民間投資比率には、1970年を境に傾向的に低下する様相がみられる。このような長期の動きには、内需デフレーターでみたインフレ率との一定の連動性もみられ、それ以前は5%前後であった平均的なインフレ率は、1980年代半ば以降、ゼロ近傍で推移するようになっている。

 もし、日本経済には今後も十分に拡張する余地があり、民間投資比率が傾向的に低下することは、必ずしも運命的なものではないのだとすると、ここまで抑制された民間投資比率は、期待インフレ率の低下によって実質金利が過度に高まったためであるとみなされる。これほどまでに長期的に民間投資比率が抑制されれば、潜在的な成長力にも悪影響を与えるであろう。一方で、民間投資比率の抑制はあらゆる経済が成熟化するにつれ必然的に生じ得るものであり、平均的なインフレ率の低下も避けられないとするならば、経済がつねにデフレと隣り合わせになることは不可避である。*2
 また、バブル景気というものの評価にも同じように二方面からの見方ができる。実体経済完全雇用をもたらすものであったバブル景気は、不可避的に資産インフレを生じさせ、大型バブルの崩壊による長期停滞は避けることのできないものであったのか、あるいは、実体経済の拡張を越えて大きな資産インフレをもたらした原因を金融政策に求めることは正しいのか──

 こうした議論に早急な回答を与えることはできないが、現下の情勢をみても、実体経済の拡張によって雇用を増やしていくことは絶対的に必要である。もし、そこに巨大な資産インフレが生じ得る環境が生じるのであれば、金融規制など、別のところに管理の手段を見出すことが必要となるだろう。

*1:もう一つの失敗は、その後の狂乱物価を引き起こす直接的な原因となった田中内閣当時の拡張的金融政策である。

*2:http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20100417/1271468823