ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

タイラー・コーエン『大停滞』

The Great Stagnation: How America Ate All the Low-Hanging Fruit of Modern History, Got Sick, and Will( Eventually) Feel Better

The Great Stagnation: How America Ate All the Low-Hanging Fruit of Modern History, Got Sick, and Will( Eventually) Feel Better

 原題は"The Great Stagnation - How America Ate All The Low-Hanging Fruit of Modern History, Got Sick, and Will (Eventually) Feel Better"。数ヶ月前に話題になったエッセイだが、今更ながらその要点を整理してみたい。
 本書がとりあげるのは、low-hanging fruit──特に、それに投資することで大きな付加価値が生み出され、雇用と所得の増加によって人々の生活水準を引き上げることができるような技術*1であり、それが米国においてはおおむね1970年代以降失われてしまっているという事実である。全体で6章立ての短い書籍だが、要点を掻い摘んで整理するとつぎのようなものである。

  • 我々は少なくとも過去300年、low-hanging fruitの存在を前提として生きてきたが、それはもはや存在していない。我々は、技術の高原状態にあり、1953年の技術と現在のそれとに大きな違いはない。アメリカの高卒者の割合は、1960年代にピークを打ち、その後低下している。ひとりあたり世帯所得中位数の伸びは、low-hanging fruitが失われたと考えられる1973年ごろから停滞する。大きなイノベーションには大きな投資が必要となり、技術の収益は小さくなっている。
  • 近年の大きな技術の革新は、公共財というよりも私的財であり、それは、経済・政治的な「特権」に関わっている。よって、近年の所得格差の拡大は、この間の技術の革新と関係している。所得格差の拡大、所得中位数の停滞、金融危機という近年の出来事の間にはつながりがある。生産性や実質GDPの拡大は、金融セクターの拡大による見せかけのものであり、生産性は、単位生産あたりの労働者の削減によって上昇する。
  • 市場では、商品の価値(価格)によって産出量が計測されるが、政府支出は、費用によってそれが計測される。よって、経済に対する政府部門の割合が高まると、生活水準を過大に評価することになる。一方、輸出は「特権」に関わりなく、常に価値によって評価される。
  • 医療は、米国における最も高成長の部門であるが、平均余命はキプロス等よりも短い。医療の生産性を図ることは困難であり、所得、教育、ダイエット、喫煙等をコントロールしても、医療支出は国別の平均余命を説明することはできない。すなわち、医療の便益は、そのコストの増加に見合うものとはなっていない。
  • 政府部門、医療、教育の3つの部門は、評価が難しく、過大評価されており、実際の産出量はその見かけよりも小さなものである。
  • 現代のテクノロジーにおいて「高付加価値産業」といえるのはインターネット産業であり、それは少ない投入によっておおくの喜びを生んでいるが、インターネットではおおくのものが無料で提供され、「生産」は工場で行われるそれよりも心の内部で行われるそれとなる。新たなlow-hanging fruitは、利益を生み出す部門よりも我々の心の中にある。
  • インターネットは公共財であるが、水洗トイレや舗装された道路のように自動的に便益を生むものではなく、それをどのように扱うかを学ぶことは、より特殊な技能に属する。かつての高付加価値産業(自動車産業など)とは異なり、インターネットはおおくの雇用を生むような性格の技術を有しない。
  • 我々は物質主義から離れつつあり、低所得でも面白い仕事を選ぶようになっている。
  • 高い累進税率や組合組織率、平等な所得再分配や福祉は、low-hanging fruitがあることで可能になる。歳出削減なき減税がそうであるように、所得再分配も継続的な所得の増加をもたらさない。利益団体は経済に対する脅威であり、たとえ個人が低成長に適合できたとしても、現代政治の構造──利益団体という「飢えた怪物」の存在を前提としたそれ──に適合するものではない。
  • 大きな政府・組織は、交通と通信の発展によってリーチと力を持つことができるようになる。福祉国家は、中央政府が国民を管理する手段を持たなければ実現しない。福祉国家の歴史は浅く、大きな政府を可能にするlow-hanging fruitなくして存在し得ない。
  • 我々は、自分を実際よりも豊かであるとみなしがちであり、すくなからず自信過剰である。我々は、信頼するに足るとする人物の判断に頼りがちであるが、その結果は、過度な楽観主義と技術の停滞であった。
  • 所得中指数が停滞するときに消費を高めるのは、負債の増加と資本効率の上昇である。政治家の計画対象期間は短く、短期の収益を追いがちとなる。
  • 将来における好ましい傾向は、(1)中国やインドの科学・技術への関心の高さが、米国のそれに係わる時間を節約してくれること、(2)インターネット技術の収益性が高まること、(3)義務教育の質の向上についての政治家の係わり。将来においてlow-hanging fruitを得る可能性には楽観的であり、そのため、科学者の社会的ステイタスを高めるべきである。

 low-hanging fruitの不在とは、いいかえれば、資本の限界効率が低下することであり、市場金利が常に低い水準に落ち着いていることとも関係する。また、資本の限界効率が低下すること、すなわち生産に係わる予想収益が減少する一方で、効用で図られる便益は、それほど低下するわけではない。コーエンはインターネットを例示として、心の満足を高める現代の技術の特性について言及している。 このような技術の特性は、幸福の経済学のように、実質GDPとは別の形で測られる経済のパフォーマンスに関する研究動向を後押しするものとも捉えられる。
 low-hanging fruitという機会を喪失した現代の市場経済が抱える宿命に関連して、本書では、日本のことが例示的に取り上げられている。日本経済は相対的にみて停滞しているが、日本人の生活はよい状態が続いているようにみえる。ミクロレベルでは、数おおくの小さな質の向上がある。日本の実践は、低成長経済という「新しい標準」において、どのように生きるかの教訓であるとみている。

*1:low-hanging fruitと分類されるものには、こうした技術のほかに、無料の土地、教育されていない利口な子供たち、というものがある。