ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ジョージ・アカロフ、レイチェル・クラントン(山形浩生、守岡桜訳)『アイデンティティ経済学』

アイデンティティ経済学

アイデンティティ経済学

 経済学では、人間の行動の動機を効用関数の最大化として記述し、効用とは、主に消費や収入、余暇時間等によってきまるものとされている。また、効用関数は、個々の人間の嗜好や選好によって異なるものとされる。ここで、嗜好や選好はあくまで個々の人間に属する特性であり、まわりの環境には依存しない。だが、現実には、人間の行動は、自分が所属する社会の規範にも左右される。このことは、経済学のオーソドックスな記述の仕方を、より現実に近い記述の仕方に見直すことができる可能性を示唆するものである。
 本書が取り扱うのは、そのひとつのアプローチである。人間には、個人の特性によって記述される効用関数のほかに、社会的文脈に関係する効用関数が備わっており、人間の行動は、これら効用の合計値を最大化するよう決定されるものと考える。個々の人間は、それぞれ異なる社会的カテゴリーに所属し、また、それぞれの社会的カテゴリーには固有の規範があるものとされる。
 本書のアプローチでは、第一段階として、効用の標準的な構成要素により個人の嗜好や選好を特定する。第二段階では、社会的カテゴリーに個人を割り当てることで当該個人のアイデンティティを特定し、当該個人の行動がその社会的カテゴリーがもつ規範と理想に合致したときの利得(あるいは、合致しなかったときの損失)である「アイテンティティ効用」が特定される。アイデンティティ効用は、自分の選択だけでなく他人の選択の影響も受けるため、外部性をもっている。
 このように、本書が取り扱う「アイデンティティ経済学」のアプローチが説明された後、具体的なケースとして、組織や教育段階、性別、人種に関係する社会的カテゴリーが取り上げられる。アイデンティティ経済学のアプローチとこれまでの経済学におけるアプローチと比べると、アイデンティティ経済学では、カテゴリー内の規範によって人間の嗜好が変わるところに特徴がある。例えば、企業の作業集団内で帰属意識をもつ労働者(インサイダー)は、大きな金銭的インセンティブがあたえられなくても、頑張ることがその効用を高めることになる。

 アイデンティティ経済学は、従来のアプローチでは説明できなかったことを説明可能にするという利点を有しており、またそこから、政策効果への異なった含意を引き出すことが可能にする。本書の第8章では、まったく同じ内容をもつ職業プログラムが、全寮制の場合とそうでない場合において異なる帰結をもたらし、前者では成功したにもかかわらず、後者ではまったく成功しなかった事実が取り上げられている。これは、前者の場合、同じ学習する動機を備えた人々と一緒に隔離されることで、個人の学習に対する姿勢が変わるためである。すなわち、一種の「規律訓練」によって集団の規範を植えつけることにより人間の嗜好や選好(つまり効用関数そのもの)を変化させ、実利的なインセンティブに変化をつけることなく、個人の努力を引き出したことになる。従来のアプローチでは、同じ内容の職業プログラムであれば就職率等の結果も同じになると考えられるため、予算節約的な選択肢として後者のオプションが選択されるが、アイデンティティ要素を加えた新しいアプローチでは、後者のオプションが選択されることになり、より有効な政策的帰結を導くことができるようになる。なお、同様の事例は、軍隊や企業においても見出すことが可能であろう。
 企業の場合は、この事例とは逆に、アイデンティティ効用によって仕事に対するやりがいが「搾取」され、実利に結びつかない労働が「強制」されるという問題を、アイデンティティ経済学によって分析の遡上に載ることができ、そこから新たな政策的含意(例えば、基礎的な労働教育の重要性など)を導くことが可能になると考えられる。また、この問題は労働市場が買い手市場であるときにより顕在化するものである。逆に、売り手市場において労働者の技能がボトルネックになっている場合には、一国経済の成長のための「規律訓練」の意義を主張することができる。このように、マクロ経済学アイデンティティ経済学の間を架橋することで、別の政策的含意を導くことにもつながる。このように考えを進めていくと、アイデンティティ経済学のアプローチはより興味深いものとなるだろう。

 もちろん、人間の選択が実利をともなわないものとなることを説明する理屈はアイデンティティ要素以外にもある。顕示的消費などもそうしたもののひとつである。だが、顕示的であることを、ある特定の社会的文脈に依存する理想であると考えるならば、顕示的消費もまたアイデンティティ経済学の枠組みで考えることができるのかもしれない。このように、アイデンティティ経済学は、さまざまな物事に新しい解釈をあたえてくれる汎用性のある理論であるが、それと同時に、現実に沿った適宜的な理論をあたえるという意味で、まだ確たる正統性を備えた理論にはなり得ていないともいえるのである。