ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

平木典子『カウンセリングとは何か』

カウンセリングとは何か (朝日選書)

カウンセリングとは何か (朝日選書)

 本書は、「特定のカウンセラーと来談者(クライエント)がつくり上げる、二度と同じことがない、独特のかかわり合い」であるカウンセリングについて、その「プロセスの共通点を、敢えて一般化してみよう」という試みであり(第1部)、さらに、カウンセリング理論のこれまでの流れと近年の統合の動きについて整理している(第2部)。
 カウンセリングは、その導入にあたるインテーク面接における契約によって開始され、初期段階、中期段階、後期段階という過程を経て、確認された問題(主訴)の解決を一応の目標として終結する(順調な場合)。ただし、クライエントは、カウンセリングを受けるまでのかなりの年月、その問題に関わって過ごしており、その意味では、電話や訪問による受付の場面(カウンセリングの「序奏」)から、「一般化の試み」を始める必要があり、本書でも、この最初の段階の記述におおくを割いている。インテーク面接を担当する者は初回のみを行い、カウンセリングを継続することとなった場合は別の担当者に引き継ぐこともあり、機関によっては、所内の検討会で関係者全員で面接の担当者やその後の方針を決めることもあるという。インテーク面接では、「はい」「いいえ」だけでは終わらない「開かれた質問」によってクライエントの自己開示を促し、自己理解のためのきっかけをつくる。一方、カウンセラーは、これらの質問を通じてクライエントの評価(アセスメント)を行い、同時に、クライアントとの信頼関係を確立する。信頼関係の確立にあたって重要なことは、相手に対する積極的な関心と共感である。この「共感」について著者は、「クライエントの世界をあたかもカウンセラーの世界として体験」することであるが、この〈あたかも〉の質が重要だとし、「共感」と「同感」の違いについて以下のように述べている。

 相手と全く同じ状態になってしまうと、例えば相手と一緒に悲しんだり、混乱したり、憤慨したりすることになるだろう。これは同感・同情であり、共感ではない。その点からすれば共感は、同情してもらいたいクライエントにとっては物足りないかもしれない。逆に、日常生活では自分の身になって、自分と同じように理解してくれるような場面や人は少ないので、初めての経験に戸惑う人もいるかもしれない。ただ、共感が通じれば、自分が初めて理解されたという貴重な体験になることもある。
 共感するとは、相手と全く同じになってしまうことでもなければ、自分の感じや考えを相手に混入させることでもなく、違った立場の人間が相手の立場に立って感じ、考えてみようとすることである。それは非常に難しいことである。カウンセラーになりたいという人の中には、自分は相手のことがよくわかるとか、相手の身になって共感することができると自負している人がいるが、実は共感ではなく、同感・同情にもとづく場合であることがほとんどである。また、他者の問題を客観的に見て、善し悪し判断してあげることができるので、カウンセラーに適していると思う人もいるが、その人は同情や同感はしないであろうが、共感もできず、自分の考えや感じをいつも混ぜ合わせて相手のことを受け取っている可能性も高い。

 共感は、クライエントと「全く同じ」立場に立つことでもなければ、客観的に「善し悪しを判断」することでもない。積極的な他者理解とともに中立的な場所に立って評価することが求められる。現実には、人間にはこれまでにつくり上げてきた固有の見方が備わっており、カウンセラーであるといえども客観的・中立的な立場に立つことはできない。それでも、カウンセラーはカウンセリングの場で「中立性」を指向しようとする。
 カウンセリングの中期段階になると、クライエントの自己探索が始まり、カウンセラーも「より深い共感」を示すことができるようになり、解釈(クライエントの問題や訴えに新たな見方を付与すること)やリフレーミング(言われた内容や出来事の「意味づけ」を変えて反応すること)といった技術によって、クライエント自身が気付いていない自己理解(気づき)を援助することができるようになる。一方、新たな気づきへの躊躇によってクライエントに「抵抗」が生じたり、的はずれな感情の動きによって「転移」が生じたりすることがある。後期段階になると、クライエントの変化の目標が明確になり、行動計画を立てて変容を促すことになる。

 カウンセリングは、その源を職業指導にたどることができるという。すなわち、「指導」の原理であったものが心理的「援助活動」に変容してきたものだとみることができる。カウンセラーの援助がクライエントの自己理解を促し、行動の変化を通じて主訴である問題を解決する。一方、本書にやや隔靴掻痒の感覚をもつとすれば、行動の変化のためには、自己理解とともに「自己の属する環境」についての理解もまた必要なのではないかという点であろう。実際、カウンセリングの資格者は、ともすればクライエントの自己理解にのみに注力し、そのための技法に通じる一方、クライエントがこれから直面していかなければならない社会環境についての知識を得ることを軽視する傾向がある、ということを耳にすることがある。しかし、「中立的」な立場でクライエントに助言するためには、クラエントの内面の理解と同時に、その「適宜性」を判断し得る位置に身をおくことが必要である。このように考えると、カウンセラーとは、クライエントという特定の個人と社会との間に立つ「仲介者」、市場における「せり人」のようなものとみることもできよう。

 本書の最後では、カウンセリング理論の統合の原理としてのシステム理論が取りあげられている。システム理論では、個人、家族などを取り巻く環境を、連鎖的、循環的相互影響関係をもつ「開放システム」であるとみる。開放システムでは、常に相互作用が起こるため、「直線的因果律」で物事を捉えることができない。また、開放システムには、システムのバランスを維持するための変化である「第一次変化」と、システムの機構を根本的に変化させる「第二次変化」があり、これらの二つの変化を通じて、システムは安定を獲得し生き延びていく。カウンセリングは、個人の行動の変化が第三者の理解を変化させ、開放システムに別の安定状態を導くものとみることができる。クライエントがより快適に生きられるよう、システムに第二次変化をもたらすことがその目的なのであり、そのための効果的な「媒介」となることが求められるのである。