ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

今年の経済に対する期待

※追記を追加しました。(01/14/12)

 これはヨーロッパのある都市でも同じように感じたことだが、日本の地方都市は、サービスが悪いと感じることがある(特に、地方の公共交通機関など)。ちょっとした動作を一つとっても、「遅い」と感じることがあり、逆にいえば、東京ないし首都圏ではいかにサービスが洗練されているかを思い知らされる。*1しかし、これはいいかえれば、消費者に対する労働者の立場の「強さ」を表しているようにも感じ、逆にほっとする面もある。同一レベルのサービスを「単位」としてみた価格は、市場において一律に定まるものではなく、市場参加者のちょっとした「交渉力」の違いによっても違ってくるのである。

 ところで、いま現在、労働者の賃金、なかんずく派遣やパートなど非正規雇用者の賃金は「低い」といわれることがあるが、マクロ経済の条件を「所与」とするならば、これを根拠づけることは容易ではない。もし、市場価値でみた賃金が低すぎるのであれば、労働力の供給は減少する。しかし、少なくとも統計上は、非正規雇用者は増加し続けており、「低い」とされる賃金であっても労働力の供給に制約があるような事実はみられない。失業率は落ち着いているとはいえ、いまだ4%台半ばであり、過去の水準と比較すればむしろ高止まりしている状況である。これらを考えると、いまの賃金水準は、必ずしも低すぎるわけではなく、むしろ「高すぎる」可能性がある。

 いまの賃金水準が公正価値以上のものを表すものだとすれば、賃金を上げるためには、生産性を高めること、すなわち労働者の職業能力を高めることが必要になる。しかし、このような意味における賃金とは「相対価格」を表すものに過ぎず、ナショナルセンターである労働組合が求める「賃上げ」とは意味合いが異なる。例えば、非正規雇用者に対する公共職業訓練は、職業訓練の機会に恵まれた長期雇用の正社員の賃金と比較した場合の賃金上昇に寄与するものではあるが、それが「賃上げ」につながるものだとは、理屈の上からはいうことができない。

 賃金と物価の高低は、マクロ的にはほぼ同一の事象を示すものである。理論的にみても、完全競争、伸縮価格を前提とすれば、労働生産性労働分配率に変化がない限り、賃金と物価の高低は同じものである。*2労働生産性の上昇は、少ない労働力による同一量の生産を可能にするが、供給された商品が市場で売れなければ(「セイ法則」が成立しなければ)、必要労働力は減少し、その分、失業が増えることになる。デフレ経済下において、期待物価上昇率がマイナスとなっている場合、生産性向上によって「国民生活の豊かさ」、すなわち、ひとりあたり消費量を高めることは難しい。*3 また、労働分配率の上昇は、債権者や株主など労働者以外のステークホルダーの犠牲を必要とする。いいかえれば、ゼロサム的な交渉なくして賃金が上昇するような局面では、物価の上昇は必須の条件となるのである。

 上述のとおり、いま現在、賃金水準が「高すぎる」可能性があるとしても、2006年の初め頃は、いま現在とは異なる局面があった。当時は、派遣やパート労働者を集めることが困難であることがよく指摘されていたのである(『溜池通信』の下記リンクから、1月31日付け日記を参照)。

http://tameike.net/diary/jan06.htm

 日本銀行は、この年の3月に量的緩和政策を解除し、新たな金融政策運営の枠組みを導入している。このときには、いまではベンジャミン・フルフォードを思わせるような陰謀論を唱える論者たちから「御用学者」等とレッテル貼りされている学者やマスコミ関係者を含め、おおくの論者から、「インフレ加速のリスク」を強調しすぎていることへの批判*4があった。*5早すぎる政策転換と、「インフレ加速のリスク」を強調しすぎる日本銀行のスタンスは、期待物価上昇率を引き下げ、結果的には、物価上昇が生じる前に景気後退期を迎えることに寄与したことになる。

 一方で、不況慣れした労働者は、企業の生産性向上に必要以上に協力することによって、賃金の世間相場が上昇することを遅らせた可能性も大いに考えられる。賃金の世間相場が抑制されれば、企業外の労働市場との強い接点をもつ非正規雇用者の賃金は必要以上に抑制される。

 デフレを脱却する起点においては、景気拡張期には緩やかに金融引き締めを行うという「ビハインドザカーブ戦略」と、期をみて積極策に転じるような労働組合の方針が重要である──特に、今年の経済を考える上では。


(追記)

 Twitterで、本稿にいう賃金は実質賃金で、実質賃金をもとに議論するのは遅れていると批判している人がいるが、ここでは名目賃金を想定している。このような批判は、脳内で他人の議論をレッテル貼りし、「上から目線」で相手をけなすいわゆる「藁人形論法」の典型である。(本稿の第2パラグラフまでの段階で実質賃金と解釈するのはかなり特殊な人々であり、少なくとも第4パラグラフまでいけば、そのような解釈はあり得ない。)
 なおこうした愚かな議論は別として、物価が上がっても実質賃金が変わらなければ「賃上げ」とはいえない、との批判の仕方はあり得る。本稿には「賃金と物価の高低は、マクロ的にはほぼ同一の事象」と書いたが、その上昇の仕方は一律なものではない。通常は、物価上昇に先行して期待物価上昇率はプラスに転じていると考えられる。*6期待物価上昇率がプラスに転じれば、異時点間において現在の消費を選択する誘引が高まるため、労働生産性が上昇し、名目賃金のみならず実質賃金も上昇すると考えられる。
 問題は、期待物価上昇率はどのように上昇させることができるか(させるべきか)、という点になるが、この点についてのコンセンサスは必ずしも形成されておらず、本稿でも検討の対象とはしていない。ひとつには、労働市場や財・サービス市場をタイト化させるために公的需要を作り、そのファイナンスを日銀が行い、それに見合う通貨を発行することを長期的なコミットメントの下で継続して実施することが考えられるが、一方で、国債の信用が問題になる。また、資本の限界効率が高まり、企業が外部資金の借入に積極的になれば、貨幣乗数は上昇し物価も上昇することになるが、人口減少下において資本の限界効率が低下することはケインズも指摘していることであり、資本の限界効率が高まる状況を作り出すのは容易ではないと考えられる。

*1:一方で、従業員が極端に少なかったり、日本語があまり通じなかったりする居酒屋チェーン店が増えたりしているのも事実であるが。

*2:コブ・ダグラス生産関数を仮定すると、lnP=lnw+ln(1-a)+ln(Y/L)。ただし、P:物価、w:ひとりあたり賃金、a:資本分配率、Y:産出量、L:労働者数。なお、07/01/08付けエントリーを参照。

*3:貨幣愛が高まり、自己欺瞞と貨幣錯覚によって、「豊かさ」の真の意味は見失われる。11/23/11付けエントリーを参照。

*4:『本石町日記』の03/16/06付けエントリーを参照。

*5:逆にいえば、この事実は、「御用学者」というレッテル貼りがいかに恣意的に行われているかを示すものであり、それらが『学問的真実を超えたその「政治性」』にかかわる発言であることの証左となっている。

*6:新古典派フィリップスカーブでは、物価上昇質は、期待物価上昇率需給ギャップを説明変数とする関数型になる。