ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

デレック・ボック(土屋直樹他訳)『幸福の研究 ハーバード元学長が教える幸福な社会』

幸福の研究―ハーバード元学長が教える幸福な社会

幸福の研究―ハーバード元学長が教える幸福な社会

 本書は、原題に"The Politics of Happiness"とあるように、「政治」に関心をもつものであり、現代的功利主義の可能性と問題点を論じている。幸福の研究は、ベンサムの時代には成し得なかった人々の幸福度を測ることや、人々の幸福度を高め、あるいは低める要素をみつけ出すことを可能にした。しかし、研究結果は、幸福度を政府の目標とすることに疑問をもたせるものでもある。米国の1人あたり所得は大幅に増加しているが、幸福度の平均水準は過去50年間ほとんど上昇していない(イースタリン・パラドックス)。人々は、日常の出来事や生活の変化から生じる幸福感や不幸感の持続期間を予測できず、幸福ないし不幸な出来事があったときにはその感情でいっぱいになるが、すぐにそれに順応してしまう。例えば、お金を儲けたことの満足感に順応すると、さらにおおくのお金を求めるようになり、お金儲けにとりつかれることは、最終的には不幸を招く。また、つらい経験を避けようとする人間の本能は、生活のバランスを肯定的な方向へと傾かせる。過去35年間、米国の所得格差は拡大しているが、人々はより不満を感じるようにはなっておらず、社会保障政策の効果に関する研究には、そうした政策に向けられる政府支出の国民総所得に占める割合と幸福度、健康、寿命との間には相関関係がないとするものもある。
 また、行動経済学は、人間がもつさまざまなバイアスを実験的な手法によって明らかにしている。一日のさまざまな時点の感情を聞く経験抽出調査では、質問に対する回答がその時々で大きく変わることがあるが、その1つの理由として、質問の順序の違いがあげられる。また、そのときに利用できる一時的な気分や情報によって回答が変わることもある。これらはヒューリスティックとよばれる判断・意思決定の際に生じるバイアスであり、フレーミング、アンカリング、利用可能性などが含まれる。イースタリン・パラドックスが生じる理由として、所得の絶対水準が上昇しても相対所得が上昇していなければ満足感を得られない、ということが指摘されているが、このことも、このヒューリスティックによって説明することができる。現代的功利主義では、人間のもつバイアスの存在を認めた上で、幸福度を高める政策オプションを選択することになるが、一方、経済学においては、人間のバイアスは批判的対象であり、合理的な判断・意思決定に規範がおかれることになる。

 ボックの議論は、自らが信奉する規範にもとづく政治について、どちらかといえば否定的である。

もし立法者が自らの目的は有権者の幸福の増進であると認めるものの、用意された特定の提案がその目的を実現する手段として道理の通らないものと考えるなら、その提案を不合理で愚かなものとして拒否できるのは確かである。しかし、有権者が経験する幸福を最大化することに努めるのではなく、人はいかに人生を生きるべきかについて自分の考えを押しつける手段として道理や価値を用いるなら、状況はまったく違ってくる。(中略)立法者の責任は、有権者が経験する幸福を高めることにあって、有権者が求めるべき幸福(あるいは他の目標)がどのようなものかを決定して自らの価値観を押しつけることではない。たとえば、飲酒を法的に禁止したり同性愛を刑事罰の対象としたりして、立法者この原則を無視した場合には、不幸な結果をまねくことが多かった。

 この「飲酒」を「麻薬」に置き換えたときこの議論にそのまま賛同できるか、等と考えれば、この部分はさまざまな議論をよぶであろう。しかしボックは「立法者がある特定の美徳や宗教的信念、もしくは自分が好む他の価値観を政府の適切な目標として公言するなら、それは重大な誤りである」と断言しており、それは意思の自由や意見表明の自由を説き、多数者による優勢な意見の暴虐からの保護が必要であるとするミルの自由論と同型の自由主義とみることができる。
 一方、現実の政治においては、何らかの基準のもとづく政策決定をする場面がある。この基準を考え、あるいは基準がどの程度の強制力をもつべきであるかを考えることに、幸福研究を適用することができる。この点についてのボックの結論は、幸福研究を利用することの有用性には限界があるが、それは現在の政策立案者に大いに役に立つものであるというものである。本書の第4章以降では、高い幸福水準を実現するために政府が取り得る特定の方策について、それぞれの政策分野ごとに議論される。

 ところで、先日のエントリーではタイラー・コーエン『フレーミング 「自分の経済」で幸福を切りとる』を取り上げた。この本では、世界が構造的な低成長に陥る中で、フレーミングによって自分だけの効用を高める術を見出すことを目指している。これは、ショックに対する幸福度の順応ということとも関係し、構造的な「資本の限界効率」の低下に対し、人間の心がいかに順応するかについてのひとつのプロセスを述べているようにも感じられ、興味深いものである。
 いずれにしても、「自分だけの経済」や幸福度を追求するということの根底には、現下の経済の大停滞は構造的なものであって、この傾向は今後も変わらないであろうという見方がある、と考えて間違いはないであろう。