備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

信頼、幸福と批判的精神

幸福の研究―ハーバード元学長が教える幸福な社会

幸福の研究―ハーバード元学長が教える幸福な社会

 前回のエントリーでは、デレック・ボック『幸福の研究』の中の「立法者がある特定の美徳や宗教的信念、もしくは自分が好む他の価値観を政府の適切な目標として公言するなら、それは重大な誤りである」という一節をもって、ジョン・スチュアート・ミルにおけるそれと同型の自由主義をみることができると書いたが、本書の最後まで読み進めると、ミルの『自由論』とは相容れない主張をみることができる。

自由論 (岩波文庫)

自由論 (岩波文庫)

 ミルは、『自由論』の最終章で、政府の行う干渉の限界に関する諸問題を論じる。ここでいう干渉とは、政府が個人の行動を制限するという意味におけるそれではなく、政府が個人の利益のために助成すること、すなわちパターナリズムのことであり、「強制的干渉」に対する「非強制的干渉」のことを意味している。このことについて、ミルは、(1) 利害関係のある個人によって為される方がより良く為される、(2) 個人の精神教育の一手段として個人によって為されることが望ましい、(3) 不必要に政府の権力を増大させる、という3種類の反対論を取り上げる。
 この第3の反対論に関し少し説明を加えると、政府の機能を増加させることは、個人の野心を政府の地位に向かうことならしめ、自己の立身出世をそこに向かわせることになる。そしてしだいに一般国民が政府を批判したり、その職務執行を阻止することを困難にし、政府の利益に反するような改革は実現することが難しくなる。進歩した文明と反抗的精神をもつ諸国では、国民は、万事政府がやってくれると期待する習慣をもち、政府の許可ばかりか指導をも求めた上でなければ何事も行わない習慣をもつようになる。そして、災害が忍耐の限度を超えると、革命が起こり、ある人物が国民から正当な権限があたえられて、あるいはあたえられないままに一躍主権者の地位に上り、官僚群に命令を下すが、彼らなしに統治を行うことは困難であり、依然として変化することなく万事進行するようになるという。
 こうした傾向に対する唯一の刺激となるのは、政府に属する人々が、その外にいる同等の能力をもつ人々によって、絶えず注意深い批評をあたえられることである。このことは、特に新しいものを創造するとともに、もろもろの改良を喜んで採用しようとする官僚群をもつために必須であることから、ゆえに統治に必要な諸能力を形成し開発するような一切の職業を官僚群に独占させてはならない、とミルは指摘している。

 ミルは、「国家の価値は、長い目でみれば結局はそれを構成している個人の価値によってきまる」という。

もしも国家が、些末な事務に関する行政的手腕や、実務をやっていれば得られるそれに似たものを、少々多く手に入れるに急であって、構成員である個人の精神的発展と向上にとっての利益を後にするようなことがあるならば、また、もしも国家が、たとえ有益な目的のためであっても、自分の手の中の一層御し易い道具にするために、その構成員を萎縮させるようなことがあるならば、──そのような国家は、矮小な人物をもってしては、偉大な事業は実際けっして成就されないということを、やがて悟るようになるだろう。

 一方、ボック『幸福の研究』では、国民の政府に対する評価は幸福度に関係するものとして重視するが、政府の業績を評価する信頼性の高い方法がないとし、政府に対する評価は、イデオロギーや何らかの先入観や偏見によって影響を受けることを問題視する。そして、政府に対する正確な見方を困難にする要因のひとつとして、メディアの問題を指摘する。

新聞やテレビは、政府に対する公正でバランスのとれた見方を提供するよりむしろ、政府のスキャンダルや無能ぶりの暴露話への興味を煽っている。政府の実績に関する肯定的な説明は、詳細に報じられるさまざまな失敗や不正、失望のニュースに比べると、ずっと少なく目立たない。メディアの報道内容に関する研究によると、肯定的なニュースに対して否定的なニュースの数が過去数十年の間に大幅に増加してきた。そのことは、とりわけ連邦議会に関する報道で顕著となっている。(中略)
 しかし、その間に、アメリカが一般に広く受け入れられている目標のほとんどで進歩してきたことを考えると、否定的な報道の増加を議会や議員候補者たちの現実の実績を反映した結果であるとするのは説得力がない。そうではなく、メディアの側で人々の関心を引きつけ、読者や視聴者が減少し先細りになることに歯止めをかけようとして、失敗や悪化したことを強調する傾向が拡大したものと見受けられる。

 不公正なメディアの姿勢は、国民の政府に対する信頼を低下させ、結果的に、幸福度を引き下げることにつながる。米国では、国民の現実離れした期待と不正確な認識に、政治家と官僚のおなじみの欠陥があいまって、政府の実際の業績に不釣合いなほどの幻滅が生じ、結果として、デンマーク、オランダ、スイスといった幸福度の高い国々と比べて、米国では政治に対する信頼が低いものとなっており、世界で最も繁栄している国の幸福度が低い理由となっていることをボックは問題視している。

 ミルのいう個人に主体をおく自由主義の下で賢明な政府を可能にするには、賢明な個人による批判的精神が必要となるが、正確な情報にもとづいたそれでなければ、いたずらに政府に対する不信を招くことになる。このことは、社会の流動化を促進し、個人が特定の方向へと動員される懸念を生むことにもなる。メディアの問題に関していえば、利益を得ることが困難になればなるほど、読者や視聴者の興味を引くような安易な方向性を追求するようになるだろう。このように考えると、政府に対する一定の信頼とメディアの経営の安定を可能にするような経済の環境は、幸福度の改善にもつながると指摘することが可能だろう。