備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

小野善康『成熟社会の経済学 長期不況をどう克服するか』

成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか (岩波新書)

成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか (岩波新書)

 現代の経済学において不況とは、長期的な成長経路から、一時的ショックを契機に生じる循環的なものを意味する。しかし日本では、1990年を境として、デフレと不況がおおむね長期にわたって続いている。日本経済に生じたこの長期不況は、現代の経済学において、どのように解釈されるのか。特に、長期不況を引き起こした経済の環境とはどのようなものであり、また、長期不況を引き起こす〈機動力〉は何だったのか。この問いに対する著者の回答は、1980年代から1990年代を境として日本経済が「成熟社会」に変化したこと、そしてバブル崩壊により人々に蔓延した貨幣保有選好の高まり、ということになるだろう。
 成熟社会とは、大きな生産力をもちながら、それを満たすだけの需要がない社会である。これは、経済が離陸期を迎える前の発展途上社会の場合とは異なり、発展途上社会では、生産力が小さいことから需要を満たすことができず、完全雇用は容易に成立し、景気が過熱すると、インフレが進むことになる。高度経済成長期の日本は、まさにこのような社会であったといえる。*1
 しかし成熟社会では、生産力を満たすだけの需要がないことから、失業は常態化する。一方、貨幣需要は、その他の財に対する需要とは異なり、その希少性が低下してもゼロになることはない。著者はこれを、ショーペンハウアーの一節を引きつつ、「きまった目的のための財貨」とは異なり抽象的な要求一般を満たす貨幣の特性から説明する。特に日本では、バブル崩壊の過程で、金融資産は1000〜2000兆円も失われたといわれている。このため、日銀の金融緩和により貨幣量が増え、その希少価値が低下したとしても、せいぜい10兆円程度の金融緩和では人々の購買力を高めるにはいたらないという。
 このような金融政策の無効性は、一般に、「流動性の罠」として知られているが、著者の解釈は、一般のそれとはやや異なっている。一般には、経済が「流動性の罠」に陥るとき、名目金利の非負制約によって実質金利は高止まりし、投資需要が抑制される。これに対し著者は、貨幣の希少性が十分に低下しないことで貨幣需要が高止まりし、それによって消費が抑制されることに重きを置く。投資は、あくまで将来の消費のための投資に過ぎず、長期不況の背景としてあまり重要視されてはいない。また、政府が国債中央銀行に引き受けさせ、その資金によって財政政策を行い需要を喚起するといういわゆる財政マネタイズについては、(1)日銀の国債引き受け、(2)国債発行による財政政策、という二つの要素に分割すると、(1)による需要喚起が無効である以上、それは(2)の財政政策と同じことだとし、また、国債残高の累増が国債や貨幣の信用力を低下させることを問題視する。実際、「流動性の罠」においては、短期国債金利はゼロ近傍となり、国債と貨幣との違いはほとんどなくなってしまうのである。
 一方、財政政策は、成熟社会では発展途上社会よりも大きな位置付けをもつものとなる。発展途上社会の財政政策では、財政出動の連鎖的波及効果である乗数効果が重視されるが、成熟社会では、国民の効用を高めることのできる財政政策が重視され、経済を拡張する効果がない単なる所得移転に過ぎない場合であっても、雇用創出によって労働市場がタイト化することでデフレが軽減され、消費意欲も高まることから、ひいては財政健全化にもつながるとしている。*2また、貨幣需要が高止まりした国民への増税による消費抑制効果は限定的であり、その分、政府支出が増加すれば、景気はむしろ好転する。よって、少子高齢化によって国民のニーズが高まる福祉、介護分野や、雇用誘発効果の大きい分野における財政支出は、成熟社会ではより重要なものとなる。
 成熟社会下においての財政政策の重視は、「完全雇用に近い状態を確保するには投資を多少なりとも包括的な形で社会化するより他に途はない」とするケインズの「投資の社会化」の考え方とも通じるものがあり、また、公共投資のあり方についての指摘も大変示唆的なものであるが、一方で、消費や、貨幣需要の高止まりにことさらに重きを置くことについては、いくつかの方向から疑問点を指摘することができる。

 第一に、日本における成熟社会の成立にあたって、小野の理論にしたがえば、少子高齢化の進展はあまり関係がない。例えば、人口構造の変化が消費を抑制し、デフレを引き起こすとの説も世間にはみられるが、本書は、このような説には一切触れられていない。小野理論においては、あくまで貨幣需要の高止まりが重視され、特に、バブル崩壊によってそれが高まったことが重要となる。
 しかし、ここで軽視されている投資に着目して考えたとき、また別の解釈が可能になる。投資は、少子高齢化の進展にともなう資本の限界効率の低下によって抑制される。*3本書では、投資の縮小は、経済の成熟化が進めば「天下り」的に生じるものとされており、結果、「天下り」的に投資よりも消費が重視されることになるが、投資の縮小は、少子高齢化を見越した経済主体の期待によって引き起こされている可能性もある。
 そもそも、家計の貯蓄率には、所得の減少にともなう「歯止め効果」によって、このところ低下する傾向がみられている。

また、マクロでみた貯蓄と投資の差額(ISバランス)は高まっているものの、家計部門についてはむしろ低下しており、貯蓄を積み上げているのは企業部門であることがわかる。

こうした事実は、需要拡張とデフレ脱却のためには、むしろ家計所得を高め、同時に、企業の投資意欲*4を喚起することが重要であることを示唆している。投資が増加すれば、企業が金融機関からの借り入れを増やすことで信用創造のメカニズムが働き、市中の貨幣量も増加することになる。

 第二に、この第一の指摘ともつながるが、現在、資本の限界効率の低下にともない企業の投資が抑制されているのであれば、物価上昇期待が高まれば、投資の実質借り入れコストが低下し、再び投資が増える可能性も指摘できる。本書の見方からすると、財政政策の規模は、成熟社会ではこれまで以上に大きなものとなり、民間需要は、長期にわたって低い水準となるが、もし企業の投資が再び増え得るとすれば、乗数効果によって波及的な効果が見込める分野に公共投資を重点化することは、引き続き重要なものとなる。この場合、福祉、介護分野を公的部門として非効率のまま維持し続けることは困難であり、より効率的な運営が見込める地域に集約するなど、効率的な事業を行う取り組みが必要になると考えられる。

 第三に、為替レートに関する指摘である。本書では、変動相場制においては、日本企業が効率化を進め生産性が向上したとしても、最初は価格競争力によって輸出が増えるが、外国に対して財務状況のよい国の通貨は信用が拡大し円高になる。また、円高になり、生産性の向上による日本製品の価格低下幅が相殺され輸出がもとの水準に戻っても、生産性の向上にともなって失業が増加していれば購買力は低下し、輸入はもとの水準から低下したままとなる。このため、生産性の向上は、円高と失業の増加をもたらすだけにおわるとしている。
 この指摘は、各国の金融政策に大きな変化はないときにはその通りであり、貿易・サービス収支と実効為替レートの推移をみても、収支の黒字が積み上がれば、事後的に為替の調整が進み、円高となって収支の黒字は縮小し始めることが確かめられる。

しかし、リーマン・ショック後(グラフの網掛け部分)のように、各国の金融政策が大きく変化すると、このメカニズムにはくるいが生じ、以後、円高は収支の黒字に関わりなく進んでいる。*5
 この間、米国では、度重なる量的緩和措置もあってデフレ懸念を概ね払拭しており、また、欧州では信用危機が生じている。確かに、どのような金融政策によって、どのようなメカニズムを働かせることで経済主体の期待に働きかけ、投資を増加させることができるのかは、簡単に答えの出る問題ではない。しかしこのような状況において、少なくとも時間軸政策によって数年間のゼロ金利についてのコミットメントを行い、同時に、資金需要のあるところには資金が回るよう、信用緩和の取り組みを継続することが必要であるように思われる。

 以上、疑問点をいくつか取り上げてみたが、総じていえば、本書の現状認識は、独自の理論に基づくコンシステントなもので、現状認識の上で極めて説得力をもつものであることにおいては、巷の経済評論家によって乱造される経済書とは一線を画している。また、おおくの人に読まれるべきものであるとも考える。ただし、現実そのものが、その理論モデルから乖離する方向へと変化する可能性についても注視しておく必要はあるだろう。

*1:なお、このような社会では、景気が過熱すると輸入が増え、外貨準備の不足が懸念されるようになることから、中央銀行は金融を引き締め、輸入を抑制しようとする。実際、高度経済成長期の日本では、不況は、多くの場合、日銀の金融引き締めを契機として生じたことが指摘されている(中村隆英『昭和経済史』)。

*2:本書の72頁、図2-1を参照。

*3:以前に整理した『人口減少と資本の減退』を参照。

*4:なお、この場合の投資は、本書にいう「プロダクト・イノベーション」を志向するものである。「プロセス・イノベーション」は、むしろデフレ下において喚起され、それによって生じた余剰労働力が新たな事業を生み出すこともなく、さらにデフレ圧力を高める結果となる。

*5:経常収支でみても、概ね、同様に指摘することができる。