備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

働く人の給与はこれからどう推移するか?

※グラフを差し替えました(08/12/13)

 安倍政権の経済政策「アベノミクス」は、その出だしから株価の上昇と為替の円高是正をもたらし、好調な滑り出しをみせた(最近、やや足踏み状態となっているが)。こうした動きは、4月に発表されたこれまでとは次元の異なる日銀の量的・質的金融緩和に先んじて始まっており、今後の経済政策に対する市場参加者の期待に動かされる形でもたらされたと解釈されるが、これから先は、この期待の効果が消費や設備投資、雇用の拡大など経済の実物的側面にも及ぶことで、物価、賃金が上昇していくことが期待されている。
 これまでのところは、先日のエントリーでも指摘したとおり、物価、賃金ともに横ばいないし低下の傾向を続けている。ただし物価については、コスト・プッシュ型の物価上昇が今後数カ月以内に現実化すると考えられる。為替レートの自国通貨安は、短期的には輸入物価を引き上げるため、消費者物価には一定のラグをもってプラスの作用を及ぼすためである。
 ところが、このようなコスト・プッシュ型の物価上昇は、企業にとっては税率の引き上げと同様の効果を持つもので、必ずしも付加価値の増加につながるわけではない。賃金支払い能力にもむしろマイナスに作用する可能性がある*1。物価上昇が企業経営に良い効果を与えるのは、国内で生産された商品の価格が、市場の価格調整メカニズムを通じ上昇した時である。すなわち、消費などの需要が増加する結果、個々の商品の需給がタイト化し、価格が上昇するというのが望ましい物価上昇の姿であり、そのためには、消費などの需要がより旺盛なものとなることが必要である。総務省『家計調査』による二人以上世帯の消費支出は、昨年10月以降前年比の伸び幅を拡大し続けており、実収入に占める割合も拡大している。一方、内閣府『機械受注統計』による船舶・電力を除く民需は一進一退で、今後の見通しもマイナスである。このように、個人消費が堅調に推移している一方で、企業の投資需要は軟調であり、このあたりが今後の推移を占う上でのポイントになりそうである。

 つぎに給与である。労働市場の状況をみると、有効求人倍率は上昇を続けており、新規学卒者の就職内定状況も堅調である。このように、労働市場はしだいにタイト化しているようにもみられるが、労働市場の需給メカニズムによって、すぐさま働く人の給与が上昇するわけではない。日本雇用システムは、その入り口が新卒者の定期採用に限られ、それが下位の職務を形成し、上位の職務は昇進・配置転換により内部から補充される「内部労働市場」を特徴とする。従業員の給与は、昇進・配置転換を通じて定期的に昇給する(定昇)が、企業の勤続年数別の労働者構成に変化がなければ、1人あたりの平均給与が上昇するわけではない。1人あたりの平均給与が上昇するためには、その企業の給与体系そのもののベースが上昇すること(ベア)が必要となる。
 翌年度の給与体系をどのように取り扱うかは、毎年、2月頃から行われる春闘において話し合われ、その妥結状況は日本経団連日本経済新聞厚生労働省などでとりまとめられている。昨年までの春闘賃上げ妥結状況による賃上げ率と1人あたりの現金給与総額(前年比)の推移をみると、つぎのようになる。

1人あたり現金給与総額は、常用労働者全体とそのうちのフルタイム労働者(一般労働者)に限ったものを掲載しているが、全体の方がフルタイム労働者に限った場合よりも減少幅が大きくなる。これは、労働者の構成に占めるパートの割合が増加し、この要因で平均賃金が押し下げられているためである。比較対象としては、この場合はフルタイム労働者でみた方が適切である。
 実際に比較してみると、妥結状況による賃上げ率は、1人あたり現金給与総額(前年比)とほぼ並行して推移している。伸び率の幅をみると、前者の方が2%弱程度高くなっている。これは、両調査におけるカヴァレッジの違いもあるが、主な理由としては、前者には前述の「定昇」が含まれるためであると考えられる。
 このほか、後者には2002年や2009年など減少率が大きくなる年がみられるが、これらの年は、企業業績が悪化し、賞与支給額を通じて業績悪化の一部を従業員に転嫁していると考えられる。売上高経常利益率と1人あたり 現金給与総額(前年比)の推移をみると、 前者が上昇傾向を示す一方後者が下落傾向にあり、総じてその傾向は異なっているが、単年的な増減の動きは連動しているようにもみられる*2

実際、1人あたり現金給与総額(前年比)を従属変数とし売上高経常利益率および春闘賃上げ率を説明変数とした回帰分析を行うと、両変数の当てはまりは非常に良くなる。

 以上の結果から、1人あたり現金給与総額の今後の推移は春闘賃上げ率の結果によってある程度予測でき、それに含まれない賞与等の不規則な変動は、企業業績に連動してきまるものと考えられる。今年度の春闘賃上げ率は、つぎのような結果がすでに報道されている。

  • 4月5日(日本経団連) 大手35社平均1.91%(昨年1.94%)
  • 5月10日(日本経団連) 中小172社平均1.64%(昨年1.52%)
  • 5月13日(日本経済新聞) 主要395社平均1.65%(昨年1.69%)

結果には一部ばらつきはあるものの、賃上げ率はいずれも2%に達しておらず、大手は昨年の伸びよりも低いなど、総じて力強さに乏しいものとなっている。このため、月例給与の傾向は、今後もしばらくは横ばいないし低下傾向であることが見込まれる。ただし、昨年度の決算は輸出企業を中心に高い業績となっていることから、賞与については昨年度の水準をある程度超えてくることが予測できる。

 このように、従業員の給与を考える限りでは、今年度の推移も弱弱しいものとなることを窺わせるが、一方で労働市場の状況は改善している。このため、労働市場の需給関係により直結しているパートタイム労働者の賃金の動きをみることにする。


(注)パート賃金の前年比は、月ごとのブレが大きいため、季節調整によるトレンド・サイクル成分の前年比によって代用。

パート賃金は、労働市場が逼迫してくると、それに数カ月遅れて上昇率が高くなることが示されている。ラグをとった有効求人倍率とパート賃金の相関性を調べると、13期ラグのところで最も相関性が高くなっており、有効求人倍率は約1年のラグをもってパート賃金の上昇につながっていることがわかる。労働市場の需給環境は、そこにより直結するパート賃金でみても、かなりの遅れをもって反映していることになる。

 以上の分析から考察できることをまとめると、(1) 物価については、為替レートの自国通貨安を反映し上昇してくることが見込まれるが、国内物価の上昇のためには、個人消費の堅調さに加え企業からの需要の増加が望まれる、(2) 働く人の給与は、しばらくは横ばいないし低下傾向が継続するが、企業業績を反映し、賞与等は増加する、(3) 労働市場の改善が続けば、パート賃金の上昇度合いは引き続き強まる、ということになる。

*1:2008年には、コスト・プッシュ型の物価上昇が生じたが、賃金は上昇しなかった。

*2:売上高経常利益率が労働者の給与とは異なって上昇傾向にある理由としては、株主構成の変化、内部資金を活用した設備投資への志向などが考えられるが、ここでは具体的には論じない。