ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

濱口桂一郎『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』

 本書は、前著『日本の雇用と労働法』に描かれた日本の雇用システムに関する構図を引き継いでおり、例えば、日本の雇用システムの中にある現実の慣行と労働法の建前との間には大きな齟齬があり、その間を判例による法理が埋めてきたことなどは、本書でもまた詳しく論じられている。
 ただし、本書は随所に略図を置くなど前著よりもわかりやすく記述されている。また、法改正等の背景にある政策担当者の問題意識がよく理解できるところも、その特徴と言える。そうした改正等にまつわる話の中で興味を引いたのは、制度改正における通常のプロセスである三者構成による審議会での検討に先だって、政治主導による政策誘導がなされたつぎの二つの事例であり、一つは1998年の教育訓練給付(183頁)、もう一つは2007年の募集・採用における年齢差別禁止の義務化(214頁)である。前者については、検討の前提にあった労働者像の誤りが、制度の趣旨とは異なる講座の受講などにつながってしまったこと、後者については、中高年労働者の再就職を容易にするという当初の制度の目的が、若者に向けたものへと変わっていった経緯が述べられている。このように、制度ができあがる背景にさかのぼっての記述は、この二つの事例に限られず、また、当然のことながら類書にはみられないものである。

 また、本書はタイトルにあるとおり、若者の労働に関して、前著でも明確にはされていなかった新しい視点から光をあてている。その視点からみると、そもそも前世紀までは、日本には若者の労働問題というものは存在しておらず、あるのは新規学卒者の「入社」の問題だけであったことになる。長期不況下において新規学卒者の採用が抑制されたが、それ以前には(あるいは、それ以後においても程度の差はあれ)「ほぼ間違いなく全員が自分の就職先を見つけ出すことができ」た。企業の採用は、卒業予定者に対し、定期的に、職務とは関係のない「人間力」を基準として実施される。また、日本の労働法では、採用内定はそれ自体が労働契約の締結であり、採用内定者は労働者となる。こうした日本の雇用システムの中での学校から職業への移行には、「教育を離れた後の5年以上の期間、その期間の大部分において雇用に就いており、学校を離れてから初職を見つけるのにかかった期間が6カ月未満」の若者を「勝ち組」とみなす欧米社会におけるような意味での若年雇用問題は存在しない。欧米社会では、若年雇用問題とはすなわち仕事の経験がなくスキルの低い若者の問題であり、若者のスキルを高める仕組みを創ることが対策の主眼となるが、そもそもスキルのない新規学卒者に対する日本の定期採用制のもとでは、こうした問題意識は生じ得ない。

 しかし日本では、企業の定期採用が新規学卒者を対象とする一方で、それ以外の入職口は限られたものとなる。就職氷河期世代に不安定な仕事に就いた若者が年齢を重ねると、しだいに正規雇用者との間の賃金格差が大きくなっていき、若者の労働問題は顕在化することとなった。このため特に2003年に若者自立・挑戦プランが策定されて以降、キャリア教育・職業体験の推進、インターンシップ、日本版デュアル・システムの導入、ジョブカフェの設置など、さまざまな若年雇用政策が実施されることとなる。この流れは現在まで続いているが、新規学卒者の定期採用制がその一部をなす日本の雇用システムの中に、異なる労働市場観に基づく制度を根付かせることは難しく、「事業仕分け」以降は、施策が「迷走」するようなことにもなる。
 また、大学進学者は増加を続けているが、大学教育の中身は職業とは無関係である。「入社」にあたっての大学教育の意義は、優秀な素材であることを保証することにとどまり、偏差値による一元的な物差しが社会全体を覆うようになっている。教育においてこうしたことが許されてきたのは、大学の教育費は学生の親が支払い、また学生の親はそれを支払えるだけの収入を得られる仕組みが社会的に成立していたからである。一方、欧米社会のような「ジョブ型」の雇用システムでは、教育費は公的に負担され、そこでの教育は、社会の役に立つ公共財的な性格を持つことが必要になる。

 以上、若者と労働をめぐる本書の視点をみてきたが、こうした構図は、日本の雇用システムについての歴史的な視点と、若年雇用問題に関する国際的(横断的)な視点を重ね合わせ、抽象化することで描くことができたものといえる。この構図を踏まえた上で、未来の日本の雇用システムをどう描くかがつぎの話となる。本稿の筆者は、前著の感想において、不安定な就業を継続する層と正規雇用に就いた層に分断された日本の雇用システムの「二重構造」の解決策について、「本書には、その回答は記載されていない」と指摘した。一方、本書には、この点について、一歩進んだ記述がなされている。
 最初に、新規学卒者が「ほぼ間違いなく全員が自分の就職先を見つけ出すことができ」た以前の雇用社会を取り戻すという「全員メンバーシップ型」処方箋が検討される。この方法の問題は、そもそもメンバーシップ型の雇用システムは実定労働法の前提から逸脱した慣行であること、そしてそこでの働き方は職務、時間、空間の無限定性という、本来労働者が受け入れがたいはずの本質的な権利の放棄と抱き合わせとなっていることである。一方、その対極にある「全員ジョブ型」処方箋は、スキルのない若年労働者が一番の被害を被るという欧米社会の一般的な若年雇用問題を日本にももたらすものであり、国民の納得を得ることは難しい。
 このため筆者は、従来のメンバーシップ型の正社員とは異なる「ジョブ型正社員」という新たな類型を確立することを推奨する。そして、改正労働契約法の規定により、有期契約労働者が5年以上の反復更新後に希望して無期雇用となった場合のその後の働き方や、コース別雇用管理における「一般職」の働き方などが、この「ジョブ型正社員」の核となるのではないかとしている。

 このように、本書は、前著の内容から一歩先に進んだものとなっており、日本の雇用システムに内在する「二重構造」の解決策を考えるという視点からも興味を引くものである。正社員の場合と明確に分かれた非正規雇用者の労働市場があり、これらの中間層がないということは、正社員と非正規雇用者の間の賃金評価を公正に行うための「市場」が存在していないことをも意味している。第三の類型を日本の雇用システムの中に位置づけることができれば、それぞれの働き方の間の「均衡」を図る方向へも、一歩前進することを可能にしてくれるかもしれない。
 しかし同時に、例えば、パート労働者とフルタイム労働者の間の均衡処遇の問題などは数十年以上も前から指摘され続けてきたものであり、その頃から、同様の問題意識と処方箋の提示はなされてきた。にもかかわらず、これまで中間的な働き方を社会的に確立することはできておらず、均衡処遇を可能にする制度や慣行が備わるには至っていない。そもそも均衡処遇とは、今では企業内での均衡を意味するに過ぎない。そうした意味から、このようなシナリオの現実味に疑問を持つ者も少なからずいるだろう。例えば、従来の日本の雇用システムが、日本企業の技術的特性とも制度的な補完関係を持ちつつ、これまで生き残ってきたのだとすれば、そこには強い経路依存性が存在することになる。
 ただし、この後者の観点について言うと、最近では、日本企業の技術的特性の中にも変化の兆しがみられる。IT関連産業をはじめとしたエレクトロニクス産業では、製造工程における「すり合わせ」の領域が縮小し、一定の機能をまとめた「モジュール」の組み合わせによる領域が拡大する「モジュール化」が進んだことが指摘されている。「モジュール化」が進むと、各部品・中間財の「連結部分」(インターフェイス)が標準化されるため、これら部品・中間財に係る製造工程間の調整は容易になり、 垂直的統合を維持することの必要性が低下する*1。すり合わせの領域では、最適設計された部品・中間財をトータルで相互調整しなければ、最終製品の機能等が十分に発揮されない。しかし、モジュール化が進むと、モジュール間のインターフェイスが集約化され、製品アーキテクチャーの複雑性を緩和できるため、製品の標準化(コモディティ化)が進むことになる。
 日本の雇用システムでは、定期採用された新規学卒者が下位の職務を形成し、上位の職務は昇進・配置転換により内部から補充される「内部労働市場」を特徴とする。またその中で、企業特殊熟練を計画的OJTにより形成してきた。しかし、生産の技術面においてモジュール化が進むと、垂直的統合による生産の必要性が弱まることで、一般的な職業訓練や職種別の外部労働市場等の強みはより高まることになるだろう。このような日本企業の技術的特性の変化は、「ジョブ型正社員」という類型に対して一種の強みをもたらすものであるだろうし、日本の雇用システムを、長期雇用と労働移動双方の顔を持つ「複線型」雇用システムに変化させるという考え方にも、リアリティを与えることになるだろう。

 最後に、大学教育と学校から職業への移行の問題について、エビデンスを踏まえた検討をしてみたいと考えているが、この点については、またいずれ稿を改めて書くことにしたい。

*1:この議論は「製品アーキテクチャー論」(藤本隆宏『能力構築競争─日本の自動車産業はなぜ強いのか』など)に基づくもので、いまでは『ものづくり白書』等の政府文書にも取り上げられている。