ラスカルの備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

経済セミナー編集部編『新版 進化する経済学の実証分析』

 その名称が示す通り、本書では、経済学の様々な分野における実証分析について、その最前線を、その分野の第一人者が渉猟。2016年に『経済セミナー』の増刊号として出版され、2020年に増補版として改めて出版されている。
 「経済学の実証分析」といえば、労働経済学における自然実験を用いた実証分析や、因果推論に係る方法論的な業績に対し、2021年のノーベル経済学賞が授与されたことが記憶に新しい。

"The Royal Swedish Academy of Sciences has decided to award the Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 2021 with one half to David Card “for his empirical contributions to labour economics” and the other half jointly to Joshua Angrist and Guido Imbens “for their methodological contributions to the analysis of causal relationships”

NobelPrize.org

 本書は、労働経済学、開発経済学、教育経済学などの分野での実証分析に加え、マクロ経済学行動経済学の実証分析なども幅広く網羅する。冒頭の対談等からうかがえるのは、経済学における実証分析の近年の興隆であり、特に、ランダム化比較試験、差の差(DID)、回帰不連続デザイン(RDD)、傾向スコア、操作変数法など、リサーチデザインを重視した誘導型による因果推論である*1

*1:操作変数法は「信頼性革命」以前からよく使用された分析手法であるが、「信頼性革命」によって、操作変数の意味はより明確化されている(操作変数によって、処置変数から自己選択バイアスが除かれる)。

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「複線型」雇用システムの可能性

traindusoir.hatenablog.jp

 前稿では、統計の結果をもとに、以下の二つの結論を導いた。

  • 中高年層の高学歴化は今後さらに進む。このことは企業に対し単位労働コストの上昇という形で影響。現在の賃金水準を維持する上で、コスト上昇分に見合う労働生産性の増加が必要。
  • 25~29歳台の賃金に対する中高年層の相対的な賃金低下は、世代ごとにみれば、就職氷河期以降もさらに進む。

 最初の結論は、企業の雇用・賃金管理に係る予測し得る課題であり、二つ目の結論は、これまでの傾向からの予測である。労働生産性を高めるには技術革新や資本装備率の(適切な)向上が必要であり、(労働生産性の増加が望めず)単位労働コストの引き下げが必要となれば、働く者の納得を得る上で、賃金の(職務カテゴリーごとの生産性に応じた)個別化が進むとも考えられる。
 一方、上述の結論から、25~29歳台の賃金は中高年の賃金と比較し相対的に上昇しているとも指摘できる*1。前々稿にて指摘した高学歴ならぬ「高偏差値」層の若年者にみられる一般的な新卒者とは異なる入職傾向は、日本の雇用システムに「複線型」の仕組みをもたらす「兆し」ともとれ、また若年者の賃金が相対的に上昇する方向性とも整合する。

*1:若年者の中高年に対する希少性を反映する傾向ともとれる。

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高学歴化と労働者の学歴構成

 前稿では、(日本版)ジョブ型雇用をめぐる動きに関し、それが求められる背景として、これから入職しようとする日本の若年者にジョブ型への志向性がみられることを指摘し、特に医学部志望の高まりや情報系学部の人気、また後者のケースでは起業やスタートアップ企業への就職、あるいはプログラミング、データ分析等の技能を通じ就職しようとする動きがみられることを指摘した。こうした一括りに「キャリア志向」という言葉で表現できる動きに加え、高学歴化を背景に、既に働いている労働者においても学歴構成は変化しつつあり、このことも日本の雇用システムに影響を与え得る。
 本稿では、高学歴化と、労働者の学歴構成に対するその影響を確認する。

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濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機』

 2009年に刊行した『新しい労働社会』において、著者は日本とは異なる欧米諸国の雇用システムを「ジョブ型」と名付け、それとの対比から、日本の雇用システムを「メンバーシップ型」という観点で説き起こした。近年、日立など日本の大企業が目指す賃金・雇用管理制度の見直しに関し「ジョブ型導入」との報道がなされ、その内容が日本的雇用慣行に染まる文脈から抜け切れず、ジョブ型への誤った理解をもたらしかねない危うさを孕むものであったことから、著者は「覚悟を決めて」本書を「世に問うことにした」とのことである*1

 本書では、本来のジョブ型とはどのようなものかを確認しつつ、日本の雇用システムを入口から出口、賃金、労働時間制度や労使関係に至るまで、細部に渡り、「メンバーシップ型雇用」という観点から徹底的かつ過不足なく論じ切る。

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新型コロナの影響を受けた2020年の国内経済

先月24日に国民経済計算年次推計(フロー編)が内閣府経済社会総合研究所より公表された。この統計では、家計貯蓄率、純貸出(+)/純借入(-)(いわゆるISバランス)、政府のプライマリーバランスなどが注目される。

www.esri.cao.go.jp

結果のポイントをみると、

  • 名目雇用者報酬は減少したが、労働分配率や家計貯蓄率は大幅に上昇
  • 制度部門別のISバランス(対GDP比)は家計のプラス幅が大幅拡大し、その反面、一般政府のマイナス幅は大幅拡大
  • 一般政府のプライマリーバランスはマイナス幅が拡大

といった点が注目される。総じて、新型コロナの国内経済への直接的影響や、特別定額給付金など政府からの移転の影響を反映するものとなっている。ただし、これらは2020年単年でみた場合のフローの動きである。政府からの移転は一時的なショックを緩和する上で重要ではあるが、翌年度の前年比には逆向きの影響を与える。

本稿では制度部門別所得支出勘定のデータを中心に、可処分所得や貯蓄の動向、雇用者報酬の動向について分析する。

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大沢真理『企業中心社会を超えて 現代日本を「ジェンダー」で読む』

初版は1993年で2020年に改めて文庫化されたもの。タイトルに明示されるとおり、本書では、日本経済がオイルショックを効果的に乗り越えることができた理由として世界的にも評価された日本的雇用慣行を「ジェンダー」の視点から批判的に読み解き、唯物論フェミニズムと接続した独自の労働問題を理論化する。その際、主として批判の対象とされるのは(やはり、というべきか)小池和男の「知的熟練」であり、小野旭、野村正実、橘木俊詔から、小池の理論的出自ともいえる氏原正治郎まで取り上げ、家事労働の責任を負うことのない日本の男性労働者の「特殊」性に輪郭を与える。

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今年の10冊

恒例のエントリーです。以下、順不同で。

岡崎久彦『戦略的思考とは何か』

1983年刊。現在、ソ連は既になく、中国が著しく台頭しその核心的利益が明確になる中、日本の周囲の情勢は様変わりしているが、本書にある「思考の型」は今でも当てはまる。日本の地政学的、或いは米国の勢力圏としての位置付けに、今も何ら変わりはない。例えば、集団的自衛権の必要性、何故アメリカがそれに強く拘るのかも、本書の「思考の型」を当て嵌めればよく理解できる。デモクラシーの下での戦争、情報重視戦略など、頁を捲るごとに学ぶべきポイントが次々に現れる。日本がこれまで如何に恵まれた環境にあり、情勢判断も戦略もない「単純思考」でも生き残ることができたのは何故なのか、つくづく思い知らされる。日本の進路とは、主体性は持ちつつも、「決定」すべきものではなく、「発見」すべきものなのだろう。

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