備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

末石直也『計量経済学 ミクロデータ分析へのいざない』

 2015年の刊行。取り上げるテーマは線型回帰に始まり、操作変数法、プログラム評価、GMM*1、制限従属変数、分位点回帰、ブートストラップ、ノンパラメトリック法と、わずか200頁の中で多くのテーマが取り上げられる。数式展開も概ね丁寧であり、それに増して、「痒いところに手が届く」記述が多い。日本語で読める計量経済学の書籍としては、現時点のベストと思われる。

*1:Generalized Method of Moments(一般化モーメント法)

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清水昌平『統計的因果探索』など

 実証分析における因果推論の「興隆」に関しては、これまでも様々な書籍を取り上げてきたが、その重要性は、もはや論を待たないものとなっている。また、2010年の「信頼性革命」以降、リサーチデザインを重視した誘導型による因果推論が高まってきたことも既に述べているが、本書が取り上げる線形非ガウス非巡回モデル(LiNGAM)*1は、これらとは異なり、あらかじめ因果のモデル(有向非巡回グラフ)を仮定して分析を行うのではなく、データそのものから因果の方向と大きさを測定するアプローチをとる(ただし、一定の数理的仮定は必要)。

*1:LiNGAMは、ノンパラメトリックパラメトリックセミパラメトリックという因果探索の3つのアプローチのうちのセミパラメトリック・アプローチに相当。

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小野善康『資本主義の方程式 経済停滞と格差拡大の謎を解く』

 日本経済は成長経済から成熟経済へと移行し、これまで、成長経済を基礎として作り上げられたマクロ経済学上の数々の処方箋は、大きな見直しを迫られている。本書で著者は、このようなストーリーを明快かつコンシステントに説明するモデルを提示し、これを基に現代の日本経済を読み解き、政策提言を行う。
 著者の書籍は、これまで、本ブログでも何度か取り上げた。特に10年前の『成熟社会の経済学』(2012年刊行)のエントリーでは、前半に同書の内容を整理したが、端的にいえば、いわゆる「流動性の罠」が常態化し、実質残高効果(ピグー効果)が成立しない経済学、というものである。本書のストーリーも概ねこれと重なり、大枠として、これに付け加えるべきことは特にない。

traindusoir.hatenablog.jp

 強いていえば、本書はモデルによる説明を重視しており、特にモデルから導出される新消費関数は、ケインズの消費関数と因果関係が逆、すなわち消費が所得を決定するものとなることから、読み手の興味を引くものである。ただし、この新消費関数に関しても、同じく10年前の以下のエントリーの中程に記載したとおり、2007年に出版した『不況のメカニズム』の中で、既にケインズの消費関数が批判されている。

traindusoir.hatenablog.jp

 2010年の「信頼性革命」を起点に、経済学では実証分析の重要性が高まったとされ、このところ話題となる書籍も、ミクロデータを縦横に活用する骨太の実証モノが中心であったように思う。待機児童問題において政策上の既成の考え方が鮮やかに反証される、といったように、実証分析の社会的インパクトは大きく、研究者にとっても魅力を感じる分野であることがうかがえる。こうした中で、本書のような理論中心の書籍を読む経験には、最近では新鮮さすら感じさせる。

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渡辺努『物価とは何か』

 物価は、直感的には「モノの値段」という風に捉えられがちだが、その本質は貨幣と商品(財・サービス)全般との交換比率、すなわち貨幣の価値を示すマクロ経済的な概念である(経済主体それぞれの購入する商品構成が異なれば、経済主体それぞれに異なる物価が構成できる)。本書は冒頭で岩井克人ヴェニスの商人資本論』で用いられた蚊柱と蚊の比喩を使い、『物価とは「蚊柱」である』と表現する。中央銀行の金融政策が目指すのは「物価の安定」、すなわち貨幣価値の安定であるが、同じ「物価の安定」であっても、「個々の価格は忙しく動きまわるけれど全体としてみると安定している」のと「個々の価格が全く動かず、その当然の帰結として全体も動かない」のとでは様相は大きく異なる。著者は、今の日本経済は後者、すなわち個々の価格が動かない「病的」な状態であるとする。

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経済セミナー編集部編『新版 進化する経済学の実証分析』

 その名称が示す通り、本書では、経済学の様々な分野における実証分析について、その最前線を、その分野の第一人者が渉猟。2016年に『経済セミナー』の増刊号として出版され、2020年に増補版として改めて出版されている。
 「経済学の実証分析」といえば、労働経済学における自然実験を用いた実証分析や、因果推論に係る方法論的な業績に対し、2021年のノーベル経済学賞が授与されたことが記憶に新しい。

"The Royal Swedish Academy of Sciences has decided to award the Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 2021 with one half to David Card “for his empirical contributions to labour economics” and the other half jointly to Joshua Angrist and Guido Imbens “for their methodological contributions to the analysis of causal relationships”

NobelPrize.org

 本書は、労働経済学、開発経済学、教育経済学などの分野での実証分析に加え、マクロ経済学行動経済学の実証分析なども幅広く網羅する。冒頭の対談等からうかがえるのは、経済学における実証分析の近年の興隆であり、特に、ランダム化比較試験、差の差(DID)、回帰不連続デザイン(RDD)、傾向スコア、操作変数法など、リサーチデザインを重視した誘導型による因果推論である*1

*1:操作変数法は「信頼性革命」以前からよく使用された分析手法であるが、「信頼性革命」によって、操作変数の意味はより明確化されている(操作変数によって、処置変数から自己選択バイアスが除かれる)。

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「複線型」雇用システムの可能性

traindusoir.hatenablog.jp

 前稿では、統計の結果をもとに、以下の二つの結論を導いた。

  • 中高年層の高学歴化は今後さらに進む。このことは企業に対し単位労働コストの上昇という形で影響。現在の賃金水準を維持する上で、コスト上昇分に見合う労働生産性の増加が必要。
  • 25~29歳台の賃金に対する中高年層の相対的な賃金低下は、世代ごとにみれば、就職氷河期以降もさらに進む。

 最初の結論は、企業の雇用・賃金管理に係る予測し得る課題であり、二つ目の結論は、これまでの傾向からの予測である。労働生産性を高めるには技術革新や資本装備率の(適切な)向上が必要であり、(労働生産性の増加が望めず)単位労働コストの引き下げが必要となれば、働く者の納得を得る上で、賃金の(職務カテゴリーごとの生産性に応じた)個別化が進むとも考えられる。
 一方、上述の結論から、25~29歳台の賃金は中高年の賃金と比較し相対的に上昇しているとも指摘できる*1。前々稿にて指摘した高学歴ならぬ「高偏差値」層の若年者にみられる一般的な新卒者とは異なる入職傾向は、日本の雇用システムに「複線型」の仕組みをもたらす「兆し」ともとれ、また若年者の賃金が相対的に上昇する方向性とも整合する。

*1:若年者の中高年に対する希少性を反映する傾向ともとれる。

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高学歴化と労働者の学歴構成

 前稿では、(日本版)ジョブ型雇用をめぐる動きに関し、それが求められる背景として、これから入職しようとする日本の若年者にジョブ型への志向性がみられることを指摘し、特に医学部志望の高まりや情報系学部の人気、また後者のケースでは起業やスタートアップ企業への就職、あるいはプログラミング、データ分析等の技能を通じ就職しようとする動きがみられることを指摘した。こうした一括りに「キャリア志向」という言葉で表現できる動きに加え、高学歴化を背景に、既に働いている労働者においても学歴構成は変化しつつあり、このことも日本の雇用システムに影響を与え得る。
 本稿では、高学歴化と、労働者の学歴構成に対するその影響を確認する。

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