備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

ロナルド・ドーア「誰のための会社にするか」

誰のための会社にするか (岩波新書)

誰のための会社にするか (岩波新書)

第1章 コーポレート・ガバナンス―「治」の時・「乱」の時

  • 米国では企業=株主の所有物、日本では企業=一種の共同体という企業組織の見方があり、その2つのモデルを「株主所有物企業」と「準共同体的企業」と名付ける。
  • M&A促進政策には、会社は比較優位事業に集中すべきである、経営者に対する市場の規律を働かせる、という観点から肯定する論法があるが、現実には、①株価は経営能力の正確な指標とはならない、②企業開示やアナリストの評価も、必ずしも企業の実態を把握したものとはならない(エンロンの破綻の事例等)、③買収者の合理性には限度があり、計算違いが圧倒的に多い、④経営者が株価を注視することで、短期の利益を重視し長期にわたる企業の成長を考えないようになる可能性が高い。

第2章 グローバル・スタンダード企業統治の社会的インフラ

  • 「株主所有物企業」は、アングロ・サクソン資本主義の中核的特徴であるが、例えばドイツでは、法制度としても実態としても企業は株主所有物形態をとらない。経営者の任免権を握る監査役会は、株主代表が半分、従業員代表が半分で構成される。北欧の国々もだいたい似たような制度。南欧では、従業員の関わり方は株主と同格ではないが、国家の役割がより大きくなる。
  • 新自由主義に対しては、平等や「生産主義」(カネづくりよりモノづくり)の観点からの批判がある。(後者に関して、)現実には、法人企業の総利潤に占める金融の割合は、米国の後を追うように高まっている。計理士の所得を増やし、計理士の「付加価値」としてGDPを膨らますことが国民の福祉に繋がるか。
  • 制度→期待→行動→制度の循環的複合体により、文化的伝統が与える動機付けのパターンは、強化されたり、変更させられたりする。「株主所有物企業」にはアメ/ムチの制度、「準共同体的企業」には信用の制度が出来上がるのが自然。米国のサーベンス・オックスレー法は、「人を疑う心の制度化」。

第3章 どこに改革の必要があったのか

  • 90年代以降の長期不況は総需要の低下が主因であり、日本企業の効率性や競争力はバブル時代の形態とさして変わらない。ただし、配分構造の変革により、賃金・消費が抑制されている。
  • 日本的経営が負の側面を表すようになったことを示す論法には、①続発する不祥事、②内部昇進経営者の決断力の欠如、③過剰投資・資本効率の低下、④株主の軽視・利回りの低さがある。(③、④に関連して、)一般に、経済成長が進むと限界資本生産性は低下する。日本ではその傾向が特に顕著であり、1950年代後半以降、成長率も資本効率も低下した。とはいえ、1980年代を通じて、資本の生産性は低下しなかった。近年の株主重視の動き(配当の増加)を資金調達の必要からと考えることは、2001-04年がゼロ金利の4年だったことを考えると疑問。

第4章 組織の変革

  • 1993年以降の商法改正(略)。社外重役の招聘、執行役員制の導入、取締役会の圧縮、監査役会の強化など諸制度改革の「部長・課長アンケート」による評価は高くない。

第5章 株主パワー

第6章 株主天下の老後問題

  • 高齢化社会では、老後の生活の保障として、貯蓄の役割がますます重要となり、また、現代は、庶民でも間接的に株主になっている時代である、との論理に対する批判。
    • 機関投資家は、経営者報酬の決定に係る経営者階級の共通利害があるため、事業会社の経営者を監視しない。
    • 株式市場は、機関投資家の売買シェアが大きい。
    • 年金負担の増加を①掛け金の増加で賄っても、②労働に対する資本シェアを拡大し、配当・利子の拡大で賄っても、現役負担の割合は同じ。
  • 世の中が金融天下になっていく過程の重要な変質。

第7章 ステークホルダー・パワー

  • 「準共同体的企業」では、「安定配当政策」がとられ、裁量的に使える分は、投資、現金・預金、従業員報酬に分けられる。また、春闘では、組合員がベアを勝ち取ると、組合員でない管理職の給与も同様に上がる。1973年の春闘時には、労働者代表の姿勢は印象的であり、かなり洗練されたマクロ経済的議論を展開。討論の結果、「春闘の世間相場」が形成され、それが大企業と中小企業の二重構造的な賃金格差を軽減する効果を持った。
  • 労働組合弱体化の要因(略)。

第8章 考え直す機運

  • CSR、SRIについて(略)。

第9章 ステークホルダー企業の可能性

  • ステークホルダー社会の実現に向けて、①M&A審査委員会の設置、②株式持ち合いの再構築、③従業員の経営参加(企業議会)、④付加価値計算書の作成等の制度的手段を講じていくことを提案。

コメント 本書では、株主重視経営が次の2つの意味で相対化されている。1つは、「出資者による所有」*1という法令上の規定がある中でも、所有権の会社への権能は必ずしも絶対的なものではないこと。*2その意味で、著者による「誰のための会社にするか」という問立ては、1つの見識である。2つ目は、国際比較により、「出資者による所有」というあり方も、アングロ・サクソン資本主義の特徴であるに過ぎないことを示している。
 その上で、M&A促進政策やコーポレート・ガバナンス変革に対する批判的視座として、株価が合理的な指標とならないこと等の4つの視点が提示されるが、これらの課題を解決するための方向性として、(岩田規久男氏のように)企業開示の充実や競争促進政策には向かわず、ガバナンスにおけるステークホルダー民主主義のような政治的過程の構築に向かう。しかしながら、このような向きは、適者生存の原則に支配される市場経済の中で、生き残る制度となり得るのかという疑問があるとともに、仮に、このような政治的過程の構築に成功したとしても、そこでの決定の指針となるのは、引き続き経済学的な原理であると想像する。
 さて、このような著者の向きの背景にあるのは、「新古典派経済学」という言葉の使い方に表れるような経済学への無理解と、金融サービス等の付加価値ウェイトの高まりを根拠なく批判するような、過度の「生産主義」への傾斜であると思われる。前者についていうと、著者の言う「新古典派経済学」が「ニュー・クラシカル」の意であるならば、過大評価の趣向がある。一方、それをより広義に捉えると、例えば「ニュー・ケインジアン」的な経済学に依拠しつつマクロ経済政策を重視するような立場はどの範疇に入るのか不明確である。後者についていえば、金融の高度化が消費者の効用を高めたり、資力のない者が事業を始めることを可能にするといった事実を過小評価しているといわざるを得ない。*3
 「日本経済の競争力ばかりでなく、日本社会の行方も考えてください」と訴える賢人の見識に引き続き耳を傾けるべき価値があることは認めるが、若干頭の固いところがある点は割り引いて受け入れる必要があろう。

*1:株式会社形態の特質の1つ。神田秀樹「会社法入門」参照。

*2:土地を利用する権利が所有権とは別に設定される場合があるように。

*3:無論、事業資金の借入の際の担保主義や、経営者個人の保証を求める慣行の存在等にはさらなる改善の余地がある。