フリードリヒ・A・ハイエク「自由の条件[2] 自由と法」(1)
- 作者: ハイエク,F.A. Hayek,気賀健三,古賀勝次郎
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2007/09/01
- メディア: 単行本
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第9章 強制と国家
- 強制は、ある人の行動が、自分自身の目的でなく他人の目的のために他人の意志に奉仕せられる場合に生じる。飢餓の脅迫から極めて低い賃金でいやな仕事を引き受けねばならないことや、私を雇おうとする唯一の人の「支配下に」あることは、強制ではない。
- 強制は、個人のために私的領域を保障することによって防ぐことができる。ただし、その範囲と内容については、特定の人に特定のものを任意に割り当てるべきでなく、また、固定的であるべきでもない。この問題について人々が見出した解答は、保護領域を決定する条件を支配する一般的規則を承認すること。
- 私的領域と国家の強制的支配、道徳(略)。
第10章 法、命令および秩序
- 法律とは、不特定の人々が一定の条件の下にある場合に常に適用されるもので、特定の事実には全く関わらない。特定の種類の人々(婦人、老人等)に適用される場合であっても、その区別が集団の内部・外部の人々に正当なものと等しく認められるならば、その区別は恣意的なものではない。これは、その区別の望ましさについて合意が必要であることを意味するのではなく、(正当かどうかの)見解が集団に属すか属さないかに依存しないことを意味するに過ぎない。例えば、集団内部の人々だけがその区別に賛成しているならば、それは明らかに特権である。
- 抽象的で一般的な規則としての法は、我々を自由にする。自分の行動を自ら決定し得る範囲が各個人に理解され、保障されることは、その人に自分の知識を十分に利用させることになり、その意味で合理的と言える。その際、法は、彼等の行動が彼等の社会の一般的・永久的特質に順応していることを保証する。規則は常に適用され、特定の場合に望ましい結果が生じさせるかどうかには依存しない。
- 各個人が一貫した行動計画を実行できるということは、社会的行動が秩序を持つことを示しているが、これは統一的な管理の結果ではない。社会に関する秩序は、個人の行動はよい結果を予想する先見によって導かれること、人々は自分達の知識を有効に利用し、かつ他人からの協力を高度の確信を持って予見できることによるものである。M・ポランニーは、これを「多中心的秩序の自生的形成」と呼ぶ。
第11章 法の支配の起源
- 古代の人々は「個人的自由」という意味での自由を知らなかった、とよく言われるが、全盛期のアテネ(或いは後期ローマ共和国)では決してそうではない。アリストテレスは、「法律でなく人民が統治する」種類の政府、「全てのことが法律でなく多数決によって決定される」種類の政府を非難。この様な政府は、彼にとって自由な国の政府ではない。
- 英国におけるエリザベス朝以降の「個人の自由」を巡る議論、成文憲法・権力分立の原則に関する構想の出現(略)。一方、ベンサムと功利主義者達は、それまで英国の制度の最も賞賛された特色の大部分を軽蔑的に取り扱い、合理主義の原則に立って英国の法律と制度を全面的に作り直す欲求を英国に持ち込んだ。
第12章 アメリカの貢献=立憲制