備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

岡澤憲芙・連合総研編「福祉ガバナンス宣言 市場と国家を超えて」

福祉ガバナンス宣言―市場と国家を超えて

福祉ガバナンス宣言―市場と国家を超えて

「福祉ガバナンス」の意味

 「福祉ガバナンス」とは耳慣れない言葉であるが、その輪郭は、宮本太郎氏による本書の総論において大まかに描かれる。
 まず、従来の福祉国家では、社会政策は、受動的な所得保障が中心であったが、これを能動的な参加保障に切りかえる。ただし、米国のワークフェアについては、それが、ともすると低賃金の労働を強制し、労働の商品化を促進する側面をもっていることを批判している。
 また、従来の制度では、若年期の教育から低熟練労働を経て安定した雇用へと至り、心と体の弱まりとともに労働市場から引退し老年期を迎えるという、いわば単線的なライフステージのみが認められていた。新たな福祉ガバナンスの下では、ライフステージの多様性を認める。つまり、必要に応じて、労働市場を離れ、家族ケアや訓練を受けることを可能にする。近年の流行であるワーク・ライフ・バランスも、そうした多様性の中に捉えることができる。
 これまで、我が国の福祉を実現する主たる機能を担ってきた社会保険についても、多様な選択に応える柔軟なものにしていくことを追求しており、レーンの提唱するプログラム(総合所得保険)が紹介される。このプログラムは、「当該社会で標準的な生涯労働時間を基準として、それを超えた労働時間を市民が高等教育や職業教育、ケア、レジャーなど様々な目的のために活用することを認め、その「引き出し権」を設定する」というものだ。なお、社会保険とそれを支える理念である「社会連帯」については、後の久塚純一氏の論考の中で解体され、その語られぬ側面(=排除)が暴かれることになろう。
 こうした公共サービスを提供する主体は、従来の福祉国家のように「官」が中心となるのではなく、多様な主体が重層的に関わる。つまり、新たな福祉ガバナンスは、公共サービスを担う機能を国際化、分権化、多元化することで実現されるのである。

ベーシック・インカム

 以下、個別の論考にも興味深いものがある。特に、駒村康平氏の論考、あえて一つを紹介すれば、(普遍的)ベーシック・インカムについての論考は興味深い。(普遍的)ベーシック・インカムは、労働の商品化、生活のための労働を否定し、人間が完全に自由な生活をするための手段として位置づけられる。そこでは、「自分が真になにをしたいのかわかっている、すでに完成した人間像」が想定されている。また、最低限の所得保障がどの程度かを決めることは難しく、それが相対貧困水準だとすれば、高い所得税率を設定する必要があり、経済はその負担に耐えることができず自壊してしまうのではないかと指摘する。

経済成長についての特殊な見方

 自分の関心事項とあえて結びつけるならば、やはり経済成長や幸福との関係について考えてみたい。前者についていえば、本書の広井良典氏の論考では、「経済成長による失業問題の解決」という経済成長観が提示され、経済成長→生産性上昇→失業という無限サイクルの下で、政府の景気刺激策が永遠に続くとの見方が示される。このような経済成長観は、有効需要の原理によって総需要の大きさは決まっており、不況均衡のような状況もあり得るとする小野善康「不況のメカニズム」の経済観と一定の親和性を持つものであるが、この不況均衡は、超長期におけるそれではない。*1広井氏の論考の中で語られる生産性上昇は、労働効率の上昇による超長期の成長(均斉成長経路における成長)につながるものではなく、資本蓄積がもたらす中期的な成長(均斉成長経路に収束する過程の中で生じる成長)と関係していると想定されるのである。
 一方、広井氏がJ・S・ミルの「経済学原理」から導き出した「定常型社会」における成長なき経済は、超長期の経済の姿を意図している。この視点に立つと、失業の拡大は、資本に対する労働の相対的な価格競争力を高める。資本蓄積が進んだ産業(製造業)の限界生産力が高まったとしても、限界生産力の低い他の産業(サービス産業)において、労働力が吸収されることになる。さらに、超長期まで視界を広げれば、新世代の誕生によって需要の構造も変わっているだろう。
 いずれにしても、経済成長を論じる上での経済学のスタンダードであるソロー・モデルの含意とは異なる。また、前出の駒村氏が指摘するように、「経済成長のほとんどない資本主義は成立しない」と考えるべきであり、広井氏のいう「定常型社会」の実現可能性は限りなく想定しがたいものである。

*1:(04/17/08付け追記)この箇所についてはpending。いわゆる「リフレ派」の経済観では、「長期」では貨幣数量説が成立し、量的緩和政策は、期待の効果を通じて一般物価に影響を及ぼす。一方、小野理論では、期待の効果は重視されない。また、小野理論は、「有効需要の原理」が賃金・物価を決めるという意味で一般理論に忠実であり、「長期」「短期」の区分(あるいは、「ピザの生地」にあたるもの)は存在しない(たぶん)。不況均衡が字義通り「一般理論」化されており、新古典派総合のような見方が取り込まれているわけではない。いずれにせよ、さらに考えるべき余地は大きいのだが、考えるヒントを得る上で、まずは、econ-economeさんのよく纏まったエントリーを読むことが先決か。