備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

八代尚宏「日本の労働市場改革の方向性」(一橋ビジネスレビュー 2007.WIN)

 経済財政諮問会議において氏が取組む労働市場改革に関する、短いながらもまとまったレビュー。内容の紹介は省略するが、いくつかの疑問点を整理しておくこととしたい。*1

経済社会環境の変化について

 本稿において八代氏は、日本の雇用をめぐる経済社会環境は、特に1990年代以降、大きく変化していることを指摘し、それに関連して次のように述べる。

 特に1990年代以降には、国内から海外への雇用需要のシフトも顕著となった。日本の海外直接投資・海外生産の拡大と日本への輸出(逆輸入)の大幅な増加は、国内市場において海外への低賃金労働と競合する未熟練労働者への需要を低下させる半面、輸入以上に増えている輸出品関連産業では熟練労働者への雇用需要が大きく増えている。こうした雇用需要の二極化現象と、それにともなう賃金格差の拡大は先進国に共通したものであるが、製造業と比べて労働生産性が低く、質の高い雇用需要が相対的に少ないサービス業が大きな比率を占める日本の労働市場では、余剰となった労働者の受入れが困難であり、その傾向が一層大きい可能性が高い。

 この説は、かつて論じたように、熟練労働市場と未熟練労働市場の「壁」が超えられないものである場合は妥当するが、企業の採用活動がより柔軟であり、労働市場の需給に応じて、その「壁」が容易に変動し得るものであるならば、賃金格差は拡大せず、必ずしも妥当な説とは言い切れない。また、1990年代の長期不況以降の日本の状況は、それが妥当しない可能性を示しているのである。

 日本の海外直接投資・海外生産は、確かに近年大きく拡大しており、輸出の大幅な増加というのも事実である。しかし、貯蓄・投資バランスで考えれば、それらは、国内における投資需要が縮小したことの裏返しであると指摘できる。

 つまり、八代氏の含むところとは異なり、海外直接投資・海外生産の拡大、輸入の増加、賃金格差の拡大といういずれの事実についても、景気循環にともなうシクリカルな原因によるものだということができる。
 また、1990年代半ばから急速に拡大したパート・派遣労働者等の大幅な需要増加については、次のように記述されている。

 1990年代末からの非正社員の大幅な増加は、単に企業の利益追求のための人件費削減策との見方があるが、1980年代までの企業行動の整合性を前提とすれば、むしろ「雇用のポートフォリオ」の変化を反映したものと考えられる。

 「1980年代までの企業行動の整合性を前提とすれば」というところが「くせ者」なのであるが、この記述には首を傾げざるを得ない。企業行動に関連して、非正社員が増加している理由を問う調査は各種あるが、そのほとんどは、近年の非正社員の増加は、(高度情報化等に伴うものとするよりも)コスト削減のためであるとする回答がほとんどを占めているように思う。つまり、非正社員の大幅な増加は、長期不況・デフレ下において雇用にかかるコストを削減せざるを得ないという企業の事情によって引き起こされたと解釈するのが妥当であろう。

日本的雇用慣行の問題点

 長期雇用、年功賃金、企業別労働組合に代表される特徴を持つ日本的雇用慣行に関し、八代氏は、以下のような問題が生じていることを指摘する。

  • 暗黙のうちに、専業主婦に支えられた世帯主労働者を前提(慢性的な長時間労働、補助的労働者の存在)
  • 低成長下において、長期雇用は、円滑な産業転換を妨げるとともに、新規参入者の雇用機会を抑制する
  • 「内部労働市場」における年功賃金は、インサイダーの正社員と、アウトサイダー非正社員との間に格差を生じさせる。
  • 高齢者の雇用機会を抑制する

 ここで問題としたいのは、2番目の論点である。日本の雇用慣行は、政府の規制によって成立したものではなく、いわば自生的に形成された制度である。長期雇用という仕組み(あるいは、その裏側にある解雇法制)に対しては、確かに一部に批判はあるが、企業経営者が総がかりでその解消を求めているようなものではなく、そのメリットも享受している。この点に関しては、本稿の中でも、長期雇用や年功賃金が、企業内の能力形成システムと整合的であった可能性が指摘されている。
 だが八代氏は、解雇法制が依拠する判例の根拠は、過去の高成長期の大企業の慣行であり、それを低成長期にそのまま適用することは困難であるという。複数均衡の含意を応用すると、現在の雇用慣行の「均衡」は弱い均衡であり、これを強い均衡に変えていくことで、雇用保障の社会的コストを解消し、高付加価値産業への転換を進めることが可能になる、ということであろう。
 比較制度分析の言うところでは、日本的な長期雇用システム、労働者の入離職が頻繁に生じるシリコンバレー型の雇用システムは、そのいずれもが「均衡」となり得るモデルである。長期雇用を行う企業が大多数を占めている場合において、特定の企業がシリコンバレー型の雇用管理を行うと、質の高い人材は長期雇用を行う企業によって囲い込まれるため、優秀な人材の採用が困難となり、その企業は、長期的に生き残ることができない。よって、現在の日本の状況では、長期雇用は、いずれの企業にとっても有力な雇用システムとなる。
 八代氏が含意するように、現在の弱い均衡を別の均衡に変えることは、少なくとも、現在の企業経営者の意に沿うものであるようには思われない。さらに、現在の「均衡」が弱い均衡であるということの根拠が問題となる。先に指摘したように、1990年代以降の経済社会環境の変化は、それが半永久的に継続する構造的な変化であるというよりもむしろ、シクリカルな原因に伴うものであった。だとすれと、その根拠にも疑問符が付くこととなる。

その他の問題点に関して

 残りの3点の指摘については、単純に否定しきれるものではない。特に、長時間労働・補助的労働者の存在がバッファーとなり、それによって支えられている日本的雇用慣行を、ワーク・ライフ・バランスや処遇の均衡という視点から改善する、あるいは別の雇用システムを実現するという考え方は、近年、多くの人の支持を集めているようにも感じられる。
 この考え方は、日本的雇用慣行が持つ成長促進の機能を(当面は)弱めるものであったとしても、それとは異なる雇用慣行(社会のモデル)を志向する動きと捉えることができる。成長とのトレード・オフの下で、政府の規制、ないしは経済主体のインセンティブに働きかける政策により、漸進的に、日本的雇用慣行に変更を生じさせる。しかしながら、抑制された成長の下で、この考え方が「社会的厚生」を高めることになるのかは、一概には断定できない。少なくとも、それを望まない嗜好を持つ労働者にとっては、幸福度が低下することになる。
 とはいえ、人口が減少する中で、多くの人の社会参加を促すため、特定の属性を持つ者に不利な仕組みを変え、公正な労働条件に近づけることが重要であるというのも正論である。しかし、そのために必要とされる「転職の容易な効率的な労働市場」を本当に創ることができるのかという点には、疑問をぬぐいきれない。また、これまで企業が担ってきた労働者の能力形成を、新たなシステムの下では、いったい誰が担うことになるのだろう。
 長期雇用を前提とした雇用システムを維持する中に、その実現を図る術はないのだろうか・・・

(関連)

*1:ここには記載していないが、自分が八代氏に感じる最大の違和感は、建前の「正論」以上に、本音では、人材ビジネスの利害によって発言しているのではないかと感じられるところである。